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2015年02月16日

「親しみの空気」のない論争は不毛です

親しみの空気

テレビでおなじみの精神科医・名越康文(@nakoshiyasufumi)が心の悩みにズバッと答える! この記事は公式メルマガ「生きるための対話」よりお届けします。

言葉には射程距離がある

ニュースを見ると、海外でも国内でも、噛み合ない議論というものがあちこちに見られます。

ここで考えておかなければいけないことは、「言葉には射程距離がある」ということです。

言葉を発する人がそれを意識しているかどうかとは関係なく、言葉にはそれが「届く」距離がある。理屈っぽくいうなら、言葉は辞書的な意味だけではなく、それを発した人が持つ歴史的、心理的、あるいは関係性に基づいた枠組によって規定されるものだということですね。

これは言葉が持っている当たり前の性質なのに、実践的には、しばしば無視されています。そして、それによって失われているものは途方もなく大きいと僕は考えています。

言葉の射程距離は、その言葉を取り巻く枠組みを何となく共有できるかどうかによって決まります。それを共有できなくなった瞬間、言葉はありとあらゆる形で誤読されるようになります。

そして、非常に厄介なことなんですが、この「射程距離」は、発信者の努力だけで広げることはできません。言葉の射程距離は、常にその言葉を受け取る人とともに作りだすしかない。もちろん、それを届かせようという努力とか、力量が発信者に求められるのは当然です。しかしより大切なことは、それが発信され、受信される「場」の力なんですね。それが整っていないことには、言葉は届かない。

それはもう、絶望的に届かないんです。

「親しみ」がないところに生産的な議論はない

言葉が発せられ、受け取られる場に必要なのは、僕の言葉でいえば「親しみ」です。例えばいま、政治議論の場に「親しみ」らしきものが見られるでしょうか。むしろ、親しみの対極といってもいい空気が蔓延しているように思います。常に相手の言葉尻をとらえて批判し、失点させようとしている。

ときどきラジオ番組に出演すると、互いに相手の意図を汲みあうような親しみの空気を強く感じることがありますが、メディアに乗る言葉のやりとりで、それはどちらかというと例外的です。テレビやtwitterの議論は「親しみなんてあってたまるか」という雰囲気がほとんどですよね。

これでは、言葉の射程距離は絶望的なくらい短くなってしまいます。

僕が議論をしない理由はこれです。面と向かってもしないし、twitterでの議論なんて論外です(笑)。だって、親しみがないところでは言葉は絶対に通じないから。

親しみのない場でいくらがんばって言葉をつくしても、まったく無意味です。個人的にはそんなに好みではないけれど、欧米人でスピーチが上手な人は、必ず冒頭でちょっと笑いを取りますよね。あれはやはり、大陸の厳しい文化の中で培われたスキルなんだと思います。

つまり、言語そのものが通じないことだって少なくない大陸では、人前で話すときには何よりその場に「親しみ」の空気を作るということが死活的に重要だということが、骨身にしみているんでしょうね。それがなければ、いくら理路整然と内容を述べても通じないものは通じないのだということを、彼らはよく知っている。

ただその一方で、僕は冒頭にジョークを挟むといった「話術」でやれることには限界があるとも思っています。はっきりいえば、意図的に相手の言葉の「距離」とか「方向」をずらしてやろうと構えている人たちの前で話すことに、どんな意味があるのか、と思っているんですね。

互いに親しみを持って言葉を交わせる場を作ることができれば、言葉の射程距離は驚くほど伸びます。それは、言葉を受け取る側にとっても、発信する側にとっても、すごくメリットの大きいことだと思うんです。どうしてみんな、そういう方向に向かおうとしないのでしょう。

「親しみ」は偏見を共有することによってつくるもの

「親しみ」とは何か。僕の中でもまだ十分にこなれていない言葉なんですが、誤解を恐れず言うなら、「偏見を共有しあう人とともにつくる、温かみのある空気感」だと思うんです。

ここでいう偏見というのは「価値観」とか「先入観」というぐらいの意味です。あえて「偏見」という言葉を使うのは、「親しみ」というのは別に「神のように公平で、慈愛に満ちた態度」といった大上段に構えたものではないことを強調したかったからです。

たとえ意見が自分と違っていたとしても、「まあそれはそれとして、あなたと話していると楽しいね」「あなたのことが好きですよ」というのが、「親しみ」という言葉で僕が言いたいことです。これってよくよく考えると、“偏見”なんですよね。だって、それは言葉を交わす前に、無意識的に、先入観として生じるものですから。まったく公平ではないし、主観的なものです。

でも、「この人と話しているとどういうわけか楽しいね」という“偏見”を互いに共有することができれば、対話そのものが自然に動きはじめ、思わぬものが生み出されるんです。冷静に見れば互いに真逆のことを話していたり(笑)、論理がさほどかみ合っていないように見えても、親しみのある空間ではどういうわけか、オリジナルでクリエイティヴなものが生まれてくる。

逆に言えば、言葉を発信し、受け取る場に参加するメンバーが、互いに相手を操作しようとしたり、利用しようとしたり、あるいはやっつけようとするような“偏見”を持っていたら、対話はまったくクリエイティヴなものになりません。相手の言葉尻を捉えて、その定義をその人の使い方からわざとずらしちゃうようなことをしていると、どんどん言葉の射程距離が短くなっていくだけなんですね。

そういう偏見を共有した「親しみ」という土壤を育て、そこで対話することによってはじめて、僕らは何かクリエイティヴなものを育てることができるということだと思うんです。政治談議の場にそれを期待したいところですが、まずは僕らの身近なところから、「親しみ」を育てることを、始めてみませんか。

少なくとも「親しみの空気」のない論争は不毛だということを、「常識」にしませんか。

企画:プレタポルテby夜間飛行

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精神科医・名越康文名越康文(なこしやすふみ)
1960年、奈良県生まれ。精神科医。臨床に携わる一方で、テレビ・ラジオでコメンテーター、映画評論、漫画分析など様々な分野で活躍中。著書に『毎日トクしている人の秘密』(PHP、2012)、『自分を支える心の技法 対人関係を変える9つのレッスン』(医学書院、2012)、『驚く力 さえない毎日から抜け出す64のヒント』(夜間飛行、2013)などがある。