優(BugLug)インタビュー 『忍耐力は、夢を叶える上で、のちのち絶対に生きてくる』【俺達の仕事論vol.17】
2016年に起きたボーカル一聖の事故のため、しばらくはフロントマン不在のままでの活動を余儀なくされていたBugLug。今年5月7日には一聖が完全復帰し、5人で日本武道館でのライヴを成功に収めた。今回はギタリストの優さんに登場いただき、初めてのバイトであるカーテン工場の話題からBugLug活動当初までのバイト遍歴を伺いました。
コンプレックスから同年代の高校生が多くいるようなバイトは嫌だった。
――優さんは、どんな仕事をするにしてもてきぱきこなしそうなイメージがあります。
確かに、そうかもしれないです。
――やっぱり。人生で初めてバイトをしたのは?
僕は高校に入学してすぐ学校を辞めたんですけど、そこからすぐ、カーテンの布を作る工場で働きました。
――10代で最初にバイトをするときって、まずコンビニやファストフードが思い浮かびそうですけど……。
学校に行っていない僕としては、コンプレックスから同年代の高校生が多くいるようなバイトは嫌だったし、髪形も自由にできる職場がいいなと思って。通っていた中学校の向かいに、規模は大きいけど家族経営のカーテン工場があったから、外にあった古い看板を見て電話してみたんです。面接では、「野球好き?」って聞かれて……。
――優さん、野球好きですよね。
そう、だから「はい!」って答えたら、「じゃあ明日から来て」って言ってもらって(笑)。
――ドラマのようなこと、本当にあるんですね。仕事内容は、どういったものだったのでしょうか?
当時、社長の親族でもある23歳くらいの先輩と自分しか若い人がいなくて、あとはパートのおばちゃんが数人いたんですけど、僕は何十台もある布を織る機械をひとりで全部監視して、糸が切れたときには、直してもう一度機械を動かすっていう仕事をしていました。
――家族経営の工場だとアットホームな雰囲気がありそうですし、年若い優さんはかわいがってもらえていたりして?
当時、まだ15、6歳ですからね。いろいろ教えてもらったし、ごはんに連れて行ってもらったりもしたし。社会勉強もさせてもらいました。僕がバンドやっていることも知っていて、休みの融通を利かせてくれたり、応援してくれていたりもしたんですよ。
――なんて温かい職場!
本当に、みなさんにすごく良くしてもらいました。そして、カーテン工場でのバイトを始めて割りとすぐ、ほかに2つのバイトをするようになって。
――バイトを3つ掛け持ちですか⁉
そうです。朝9時から夕方17時までカーテン工場で働いて、そこから新聞販売店に行って夕刊を配達して、そのあとは焼肉屋のホールと厨房で22時まで働くっていう。
――普通に考えると、だいぶハードです。
でも、学生だったら朝から学校に行って授業を受けて、夕方は部活をして、そのあとバイトに行く人もいるわけじゃないですか。そのときは、多分そういう感覚だったんじゃないかな。バイトでミスしたりして、どんなに使えなかったとしても、「バンドで食べていきたい」っていう夢を持って一生懸命な若者に対して、どの職場の人たちも大目に見てくれていたところもあったと思うし。
バイトを掛け持ちしたのは、プロと同じ機材を使いたかったから。
――どの職場でも、大人たちが優さんの夢を理解して、愛情を持って接してくれていたわけですね。
本当にそうです。新聞配達にしろ、焼肉屋にしろ、飛び込みで「働かせてください!」ってお願いしたんですけど、そういう情熱エピソードも込みで、かわいがってもらえたのかなって。焼肉屋さんでは、一緒に働いていたおじいちゃんが毎日おにぎりを持たせてくれたりとか。周りの方に、支えてもらっていました。
――それにしても、どうしてバイトを3つも掛け持ちしていたのでしょうか?
さっきも言った通り、自分は学生じゃないっていう思いが相当大きかったから、同年代のバンドが安いギターを使っている中、プロと同じ機材を使いたくて。とにかくたくさん働いて、お金を貯めたかったんですよ。結果、実力は全然追いついていなかったものの、今でも使えるクオリティの機材をそろえることができました。なので、1年半で3つのバイトかけもち生活は終わらせて、17歳のとき、今度はカフェショップで働き始めました。
――また、飛び込みでお店にかけあったんですか?
いや、それこそタウンワークを見て電話したんですよ。上京することになって、1年で辞めてしまったんですけど。
――焼肉店やカフェショップといった接客業は、好きだったのでしょうか?
正直に言うと、働くことはそんなに好きじゃないんですよ。最初に働いたカーテン工場はアットホームだったけど、そこから外の世界に出てみたら、どの仕事もちゃんとシフトを組んで、きっちり守らなきゃいけないことも多いし。でも、やるとなったら、たとえば接客の場合はとても笑顔をふりまけていたし、とてもきびきび動いていたと思います(笑)。
上京後は六本木ヒルズの建築現場でバイト。
――10代にして、しっかり仕事意識を持っていたということですよね。ちなみに、上京する際には、上京資金もちゃんとあって?
もちろん。機材を買うためだけではなく、上京のためにも蓄えておきましたからね。
――バンドマンの場合、身ひとつで上京したというような強者も中にはいますけど……。
僕はそういうのは無理ですね。ちゃんと準備して、前もって東京で暮らす部屋を見つけて。
――さすが、しっかり者。上京後は、どんなバイトをしましたか?
まずは、六本木ヒルズの建設現場に行きました。20kgくらいの砂袋を、1日中ただひたすら運ぶ毎日は……トラウマ(苦笑)。でも、日本のシンボルビルの建設に携われることが嬉しくもあって。今、六本木ヒルズを見ると、感慨深かったりもします。そのあとは、パチンコ屋さん。玉の入った箱を運ぶんですけど、建設現場と同じく、それも力仕事。若いからできたと思いますね。それから、チラシのポスティングもやったし、二十歳くらいのときには友だちとスナック的な店を出したこともあります。
――その若さで、驚きの行動力!
ただ、前のバンドに誘われて、1年くらいで店はたたんじゃったんですけど。その後は、飲み屋でボーイをしたり、前のバンドが終わってBugLugを始めるまでの1ヵ月くらいは、ティッシュ配りもしましたね。
――実に経験豊富ですね。数多くのバイトをしてきた中で、自身の考え方、人生観に影響を及ぼす出会いもあったりしたのでしょうか?
カーテン工場、新聞配達、焼肉屋では、初めて社会というものを学んだし……あとは、最後にバイトをした中野のもつ鍋屋でのバイト経験は、自分にとってすごく大きいですね。店長がロングの金髪で、だいぶパンチのある人で(笑)。知り合いに連れられて、最初は客として行っていたんですけどね、いろいろよくしてもらううちに働くようになって。毎日いろんな人が来たし、店を閉めたあとは朝まで飲んだりとか。
仕事は言われたことをするだけじゃなくて自分の頭を使わなきゃいけない。
――カーテン工場のアットホーム感が戻ってきたような(笑)。
そうそう。BugLugが始まってからもしばらくそこで働いていたんですけど、店長さんも同僚もみんな応援してくれていて、ポスターを貼ってもらったり、事務所の人やバンド友達も来てくれたりもして。楽しく働けていましたよ。
――素敵な思い出でもあるのでしょうね。なお、いろいろなバイト経験を通して、優さんが得たもの、今に生きていることは?
学生生活を送っているだけでは知ることのない理不尽を知るのが、バイト。大人になると大きな責任を負わなきゃいけないこともありますけど、それを知る入り口、第一歩でもありますよね。バイトを通して知った礼儀とか、仕事としての人への対応とか、言われたことをするだけじゃなくて自分の頭を使って仕事をしなきゃいけないとか、人生に必要なことをいろいろ学べたし、今に生きていることは多いですよ。
――そんな優さんが、これからバイトをしようとする人に言ってあげたいことは?
僕の場合、自分の経験から夢を追いながらバイトをする人にしかアドバイスできないですけど……本当に夢を叶えたいなら、お金を稼ぐことだけを考えたほうがいいと、僕は思います。お金がいい仕事は、そのぶん辛いことも多いというのが事実。でも、我慢する忍耐力っていうのは、夢を叶える上で、のちのち絶対に生きてくるので。くじけないで、頑張ってほしいですね。
優(BugLug)
今年、結成7周年を迎えたBugLugのギタリスト。バンドは2016年5月7日に起きたボーカル一聖の事故のため、ボーカル不在のまま4人での活動を続けていたが、翌年2017年5月7日にボーカル一聖が完全復帰し日本武道館公演を成功させる。優のシュアなギタープレイはBugLugサウンド要であり、バンドのスポークスマンでもありバンドを牽引している。また、無類の野球好き。贔屓のチームは中日ドラゴンズ。
◆BugLug Official Site: http://buglug.jp/
◆優 Official Twitter:@you_stg
企画・編集:ぽっくんワールド企画 取材・文:杉江優花 撮影:河井彩美
※文中の社名・所属等は、取材時または更新時のものです。