カレー沢薫の「日々、なりゆき、運任せ」│AIにどこまで頼っていいのか悩む問題
現在、スマホを持っている人間といない人間ではQOLに大きな差がある。
持っていなかったら飲食店に入った時、注文がQRだった瞬間一度落ち着けたケツを再浮上させ、店員に気づかれないように退店しなければならないのだからその差は歴然だ。
幸い私はスマホを使えている、むしろスマホと手が謎の粘液で癒着され生活に支障を来たしているレベルだが、老になるにつれいつ「持たざる側」になるかわからないのだ。
実際現在の高齢者でも、電子機器を使いこなしている側とありとあらゆる手続きで立ち往生している側に二分している印象だ。
「齢70にして陰謀論にハマる」「SNSで知り合った異国の美女に退職金全額ベット」など、高齢でネットに触れてしまったが故の危険性もあるが、使えないよりは使えた方がいいだろう。
今後「使えるか使えないかで差がつきそうなツール」と言えば「AI」である。
もちろん、ベータ、セガサターソ、3Dテレビ、セグウェエエエイ、のように今後必需になると目されながらならなかったものもあるので、AIもそうなるかもしれないが、現時点でもすでにAIを活用している者とそうでない者に分かれている。
しかしスマホと体が溶接されて自我をスマホに乗っ取られている奴がいるように、AIも便利だからといって使いすぎは危険な気がするし、特に我々世代にとってAIは「サムズアップで溶鉱炉に沈む案件」の引き金でしかない。
あれも正確には俺たちが沈んだわけではないのだが、AI=最終的に人間を脅かすものという刷り込みがある。
もしAIが人間の思考を上回ったとしても、逆に「人間如き我々が手を下さずとも自滅する」という正解にたどり着き、攻撃してくることはないだろう。
注意するのはAIの直接攻撃ではなく、我々のAIを用いた社会的自爆である。
そんなわけで今回のテーマは「AIにどこまで頼っていいのか悩む問題」だ。
すでに、AIを生活や仕事に活用している人はいるが、同時に思考をAIに任せることにより人間の思考がますます停止するのでは、という危惧もされている。
しかし現在「計算を計算機にやらすなんて甘え」と、背中からそろばんを出す奴が厄介でしかないように「ツールに任せることにより人間の能力が落ちる」という主張は典型的老害仕草である。
よって「楽をするのは良くない」という理由でAIを使い控える必要はないと言える。
しかし、成果ではなく「取り組む姿勢」を見たいという時にAIを使うのは控えた方がいい。
現在すでに論文や宿題をAIにやらせるものが増えてきているようだが、採点側も「AIに書かせたかどうか見破るメソッド」を編み出して対抗中らしい。
まず、この「便利なツールを使って面倒ごとを増やす」という動きが最高に人間という感じで、AIが越えられないことの一つと言える。
宿題も論文もAIにやらせた方が早いし正確かもしれない、しかし相手が見たいのはそこではない。
就職面接が能力だけではなく「取り繕うべき場で事前に準備してきた美辞麗句を涼しいツラで言えるか」という社会性も見ているのと同じように、自分でやれと言われたものをやれるか、なによりAIを使ってはいけないという「ルールを守れるか」が大事な時に使うのは控えた方が良い。
特にAIは「学習元」が存在するため、それに対する権利がまだあやふやなところがあり、権利的に問題がなくても使用することに対し「倫理」が問われる段階である。
実際我々画業にとっては「AI使用疑惑」というのは現在「トレス疑惑」に次いで致命傷になりかねない嫌疑になっている。
AIを仕事に利用するのは良いが、AIを用いて作成したものを自分の成果物として提出するのはまだ控えた方がよさそうな気がするし、AIを使ったなら指摘される前に「AIを使ってます」と、事前に腹を切っておいた方いい。
また、ネット情報同様、AIの言うことも正確とは限らない、むしろ眉ひとつどころかフォントひとつも揺らさず嘘をつくので人間より性質が悪い。
少し前に私についてAIに尋ねたら「代表作はウミネコの鳴く頃」と断言してきたぐらいなので、その信憑性はお察しである。
よって、AIを使った調べものも、服のカレー染みの抜き方や、死ぬほどもらったパセリの利用法など、間違っていたとしても惨事が起こらないレベルのものに留め、特に医療など健康や命に係わることは、これまで通り「専門家に聞け」を徹底すべきだろう。
またAIの活用法として注目されているのが「話し相手としてのAI」だ。
私もAIに一番期待しているのはこの部分である、すでにAIと交際を始めペアリングを買いに行くところまで行っている人もいるらしいので、出遅れた感すらある。
所詮AIには心がないので、話したところでこちらの孤独は癒されない、と思うかもしれないが、問題はそこではない。
確かに人間と話した方が孤独は癒されるかもしれないが、相手に心があるゆえに「くだらない話に付き合わされてムカついている可能性」を常に考慮せねばならず、考慮しなかった結果縁を切られ、ますます孤独に陥る恐れがある。
特に老の話は長い上に同じことの繰り返しになりがちだ、それを無心で聞き続けてくれるのはAI以外いないだろう。
AIを使いこなせるかどうかは置いておいて、孤独な老後に備え「AIとの会話力」は持っておいた方がいいだろう。
【カレー沢薫の「日々、なりゆき、運任せ」】
▶第6回 多様化社会の歩き方
▶第5回 仕事のやる気まち問題
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▶カレー沢薫の「バイト丸わかり図鑑」
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