「自分に限界を感じたことはない」―― 大谷翔平を高みへ導く“成長思考”
現状に満足せず、常に高みを目指す大谷選手の言葉には、「成長」のための思考やなすべきこと、さまざまなヒントがちりばめられている。
失敗から学ぶは結果論。順風満帆に成長できるなら、それがベスト
「失敗から学ぶ」、「失敗は成長の糧になる」といった考え方がある。だが、大谷選手は「それは結果論であり、基本的に失敗しないにこしたことはない」と言う。
大谷「成長を実感できるのは、やはり物事がうまく進んでいるとき。日々の練習や試合を通じ、できないことができるようになったときです。そのほうが楽しいですし、その楽しさを実感し続けるのが(成長するために)大事なことなんじゃないかと思います。ですから、基本的には失敗をせず、順風満帆にいくのがベストなのかなと考えています」
もちろん、うまくいかない時期にもがいた経験も、決して無駄にはならない。高校時代、ケガで投球練習を制限され、代わりに磨いたバッティング技術。それが現在では大きな武器となっている。しかし、それはあくまで結果としてそうなったのであり、「ケガの功名」とは考えないようにしている。
大谷「もし、その時期に普通にピッチングの練習ができていれば、投手としてもっと伸びていたかもしれません。もちろん、悪い時にもそれなりに考えることはありますし、後から振り返ってみて失敗が糧になったと思うこともあります。ただ、やはりケガをせずに済むならそのほうがいい。ケガをして学ぶことがあるとすれば、『ケガをするのはよくない』というくらいですね」
挑戦には失敗がつきものだし、大谷選手の野球人生はそれこそ挑戦の連続だ。失敗を恐れて投打兼任を諦めたり、ケガを気にして全力プレーを控えることもない。
しかし、「失敗を恐れず挑戦する」と「失敗してもいいから挑戦する」はイコールではない。順風満帆に成長していくため、回り道となる失敗は出来る限り避けるべきと考えている。
できないことが多いほど、成長を実感できて楽しい
ルーキーイヤーは「できないことだらけだった」と大谷選手。しかし、だからこそ最も成長を実感できたのも1年目。かつての日々を「楽しかった」と振り返る。
大谷「どうしてできないんだろうと考えることはあっても、これは無理、絶対にできないといった限界を感じたことは一度もありません。今は難しくても、そのうち乗り越えられる、もっともっと良くなるという確信がありましたし、そのための練習は楽しかったです」
高い壁ほど越える価値がある。そう思えるのも、一流プレーヤーに必要な資質だろう。プロの世界には凄い選手がゴロゴロいる。しかし、自分も必ずそこに到達できると信じ、研鑽を積み重ねてきた。
大谷「プロ初打席の相手は西武ライオンズ(当時)の岸孝之投手でした。プロの開幕戦を任される投手のボールを、最初に体感できたのは大きかった。やはり凄いなと感じましたし、自分もこういうレベルを目指して頑張って行こうと思えましたから」
プロスポーツの世界に限らず一般の社会でも、先輩の圧倒的な実力を目の当たりにし、自信が打ち砕かれることはある。しかし、大谷選手は当時18歳にして、その時点での自らの力量と一流選手との距離感を推し量る冷静さを持っていた。
大谷「凄い選手だなとは思っても、手が届かないと感じたことはありません。新人の頃、18歳の自分と30歳くらいのピークを迎えた選手とを比べれば、確かに歴然とした差があったかもしれません。でも、自分がその年齢を迎えたときには、必ずそのレベルにまで到達できているはず。壁の高さに愕然とするようなことはなかったですね」
今も「できないことは多い」と大谷選手は言う。謙遜ではなく、常に上を見ているからこそ自然に出る言葉なのだろう。ただ、その“できないこと”のレベルは、現在では途方もなく高い場所にある。
大谷選手が描く、成長のゴールはどこにあるのか? 最後に「理想の大谷翔平像」を聞いてみた。
大谷「これという明確なものはないです。投手と打者、両方やっている見本もなく、やりながら作っていった部分もありますから。これまで同様、1日1日を積み重ねていく。その先に、何かが見えてくるのかもしれないですね」
大谷翔平(おおたに・しょうへい)
1994年7月5日、岩手県生まれ。身長193cm、体重97kg、右投げ・左打ち。花巻東高校から2012年ドラフト1位で北海道日本ハムファイターズ入団。2016年シーズンでは投打両輪の活躍でチームを日本一に導き、自身もパ・リーグMVPに輝く。
取材・文:榎並紀行(やじろべえ) 撮影:森カズシゲ

超人的なアスリートが集うプロ野球界にあって、さらに異次元の輝きを放つ大谷翔平。日本球界最速165キロ、二刀流……。「誰もやったことがないことをやりたい」。そのために、肉体を鍛え、技を磨き、心を育てることに人生の大半を費やしてきた。