渡邉幸愛(SUPER☆GiRLS)インタビュー「最初はダメでも継続していれば夢は叶う」
メンバー5人が卒業して7人が加入した新生SUPER☆GiRLSで、5代目リーダーとなった渡邉幸愛さん。3月で21歳の若さながら、アイドル活動は小学3年生から。波乱万丈のキャリアを振り返りつつ、思い描く未来図についても語ってもらいました。
レッスンで泣きながらも目立ちたい気持ちが強くて
――幸愛さんは小学生の頃から、地元の仙台でアイドル活動をしていましたね。
小さい頃からすごい目立ちたがりで、人前で何かするのが好きな子だった……と聞いてます。自分では全然覚えてませんけど(笑)。小学3年生のとき、仙台の広告に出られるオーディションを受けて、小さく載ることができて、事務所にも入りました。そこでREXというグループに入って、住宅展示場やショッピングモールで歌っていて、「もっとたくさんの人に見てもらいたいな」とすごく思っていました。
――目立ちたい気持ちがアイドルを目指す原点だったんですね。
そもそもは「アイドルになりたい」というより、歌やダンスのレッスンが楽しかったんです。踊りはバレエを3歳からやってましたけど、歌は死ぬほどヘタだったんですね(笑)。レッスンでうまい順に並ばされると私が一番下で、泣きながら歌ってました。それでも「ステージに立ちたい」と思っていたのは、やっぱり目立ちたい気持ちが強かったんでしょうね。
迷った末に地元を離れて東京でメジャーグループに
――その後、Party Rocketsを結成して仙台を拠点に活動。そして、SUPER☆GiRLSに2期生として加入しました。エイベックスのメジャーグループから話が来て、迷いなく「入りたい」と?
めちゃめちゃ迷いました。私はスパガ(SUPER☆GiRLS)ができたときのオーディションに落ちて、当時はスパガの動画も観られなかったんです。受かった人たちが活躍して素敵なPVが上がって、レコード大賞にも出たのを直視できなくて……。それが巡り巡って自分が入れるのは、すごく大きなことでした。
だけど、パティロケ(Party Rockets)に在籍中も紆余曲折あって、シングルごとにメンバーが脱退していて……。自分もそうなるのは悲しかったし、残るメンバーに申し訳ない気持ちもすごくありました。
でも、パティロケのメンバーに相談したら「頑張っておいで」と言ってもらえたし、そもそも事務所の社長がそのお話をくださったので。自分が信じてきた人たちが背中を押してくれたから、最後のチャンスのつもりで東京に出てきました。
――当時は高1で「最後」には早くなかったですか?
今思えば、めちゃめちゃ若いですけど(笑)、小3からやってきて、小学校や中学を卒業するタイミングで、「そろそろ区切りをつけようか」と考えてきたので。高校生になるときはすごく迷って、それでもパティロケで頑張っていたらスパガのお話をいただいて、本当に最後のチャンスだと思ったんです。
最後のチャンスだったのに「もう無理だ」と思いました
――スパガに入ってからは夢がどんどん叶っていった感じ?
いきなりパシフィコ横浜でライブという素敵な経験をさせてもらいました。でも、最初の1~2年は精神的にすごく不安な面も多かったです。ファンの皆さんの新メンバーを受け入れる態勢がまだ整いきってなかったし、1期生にも後から「本当に大変だった」と聞きました。
パフォーマンスが劣っているのは自覚していて、でも、どうしたらいいのかわからない。1人暮らしになって、東京に友だちがいないので息抜きもできない。個人の仕事がないから時間も持て余して、同じ録画を何回観たことか(笑)。
テンションがどんどん下がって、「もう無理だ」と思うたびに仙台に帰ってました。帰るときは事務所に許可を取らないといけなくて、「幸愛は帰り過ぎ!」と怒られたこともあります。わざわざ上京したのに、月に2回くらい帰ってましたから。
――東京での生活も大変なことはありました?
何しろ、お金がなかったので(笑)。パン屋さんに行って、堅くて日持ちするフランスパンを1本買って、3日に分けて食べてました。ダイエットにはなりましたけど、ひたすら堅いパンを食べて、無駄に顎が強くなりました(笑)。
――そういう時期をどう乗り越えたんですか?
後輩の3期生が入ってきたとき、私たちが入った頃の1期生の気持ちもファンの方の状況も初めて理解できました。それと、新体制になったスパガの“第3章”は自分たちで作っていく時期だったんです。1期生中心にライブの構成を考えたりする中で、センターを任せてもらうことも増えて、やりがいを見つけられました。
アイドルとして飾らないことを大事にしています
――現体制で始まった第4章の第1弾シングル「コングラCHUレーション!!!!」(2019年2月27日発売)は、モータウンサウンドの軽快なメロディで、ワクワク感が出ています。
第4章の始まりを祝福する想いを込めていて、歌詞に私たちと重なるところがたくさんあります。特にDメロの“夢をのせて 一緒に笑顔でいよう”。11人は生まれた場所も違ってバラバラに生きてきたのに、集まったのは同じ夢があったから。“一緒に笑顔で”とスタートするのは今のグループの想いとリンクするし、新生活を始める方が聴いても響くと思います。
私自身が今、めちゃめちゃ新鮮な気持ちなんです。4期生がレコーディングスタジオに来て「あのボックスに入って何をするんだろう?」と話していて、「いや、歌うんだよ」と思ったりしますけど(笑)、昔の自分もそうだったし、初心を思い出させてくれます。
――幸愛さんがアイドルをやるうえで、大事にしていることは何ですか?
飾らないことだと思います。アイドルを始めた頃はガチガチに取り繕っていました。握手会での質問にもアイドルらしく返そうとしたり。完璧なアイドルでいたいと思っていたんです。でも、やっぱりスイッチが切れる瞬間があって……。
時間を重ねるうちに、私は雑草魂でやって来たので、そこを隠すことはないと思うようになりました。ステージに立ったら手が届かないほど輝いている人でありたいけど、普段は身近に感じてもらいたい。だから、飾り過ぎないことを意識しています。それをファンの方に受け入れてもらえることもわかりました。
やりたいと思ったことは全部叶っているんです
――ところで、幸愛さんはバイト経験はないですよね?
はい。でも、学校の職場体験でスーパーで働いたことがあって、すごく楽しかったです。品出しや商品を並べたりして、賞味期限の早いものを手前に置くとか、ラベルを全部前に揃えるとか、当たり前のように見ていた商品が人に気をつかわれていたのが面白かったです。
――芸能界以外にやりたい仕事はありましたか?
ずっと携帯ショップの店員さんになりたかったんです(笑)。受付で座って、携帯の使い方を教えたりしたくて。たぶん自分の行ったショップの店員さんがかわいくて、楽しそうだったんでしょうね(笑)。
――「コングラCHUレーション!!!!」には“未来図はすでにもう輝きだしてるよ”という歌詞もあります。幸愛さんの未来図はどうなっていますか?
近い目標だと、第4章のメンバーでワンマンライブをやりたいです。来てくれた方を楽しませて、ひとつひとつ積み上げて、スパガ結成10周年の来年には日本武道館に立ちたいです。
個人では演技のお仕事をやれたら。もともとドラマや映画が好きで、ずっとやりたくて、去年初めてやらせてもらいました。今年もひとつでもやって、自分の幅を広げたいです。
――そういう夢を叶えるために、大事だと思うことは何ですか?
最初はダメでも継続することだと思います。私は今までの人生でやりたいと思ったら、ありがたいことに全部叶っているんです。最初は家族の前で歌っても「音痴だからやめて」と言われていたのが(笑)、続けていたらスパガにも入れました。
他にもドラマ、映画、写真集とひとつひとつ叶ったのは、自分が継続して積み上げた結果だと信じています。正直、今のスパガは歌もフォーメーションもイチからで、すごく大変です。でも、めげずに積み上げていって、夢を叶えていきたいなと思っています。
渡邉幸愛(わたなべ こうめ)
1998年3月17日生まれ。宮城県出身。
小学3年生からの地元での活動を経て、2014年2月にアイドルグループSUPER☆GiRLSに2期生として加入。2019年1月からの“第4章”でリーダーを務めている。ソロで2018年11月にファースト写真集「koume」を発売。女優としてドラマから映画に展開した『咲-Saki-阿知賀編 episode of side-A』などに出演。
OFFICIAL BLOG:https://ameblo.jp/sg-kome
OFFICIAL Twitter:@SG_KOME_avex
SUPER☆GiRLS OFFICIAL SITE:https://supergirls.jp/index.php
企画・編集:ぽっくんワールド企画 撮影:河井彩美 取材・文:斉藤貴志
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