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2021年07月23日

万引Gメン&スポーツ新聞のスクラップ!? すゑひろがりずにバイト経験を聞きました

すゑひろがりず 和風変換 南條庄助 三島達矢 芸人 お笑い 吉本 大宮セブン 狂言 M-1 タウンワーク townwork アルバイト
和服に身を包み、小鼓と扇子を片手に古風な言葉遣いの「狂言風漫才」で人気の、すゑひろがりず。売れるまではバイトが必須だったというお二人。なかでも、南條さんは“スポーツ新聞でスクラップ制作”、三島さんは某有名量販店で“万引Gメン”と、少し変わったバイト経験があるとか。2つのエピソードを中心に、バイトにまつわる様々なお話を伺いました。

お笑いで食べられるようになるまでは、バイトも生活リズムの一部だった(南條)

——まずはこれまでのバイト経験について教えてください。

南條 ファミレス、ピザの配達、バーの店員、居酒屋、スポーツ新聞でのスクラップ制作、あとは派遣の肉体労働も経験しました。

三島 僕は、焼き鳥店、パチンコ店、AD、カメラアシスタント、万引きGメン、漫画喫茶、介護ヘルパー、カラオケ店と…。

南條 駐車場もやってたよね。

三島 駐車場の管理人、あと牛丼チェーン店でも2日働きました(笑)。お笑いで食べられるようになるまでは、バイトが人生といっても過言ではないくらいたくさん経験しました。

南條 朝起きてバイト行って、夜にネタ合わせやライブをするという生活リズムの1つになっていましたから。

上京後にバイトの面接で大苦戦した三島。その原因とは…!?

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——なかでも一番長かったバイトはどれでしょうか?

三島 東京に出てきてからの“歌詠み茶屋”(カラオケ店)は一番長かったバイトで、そこは僕が困っていた時に雇ってくれたところでした。

——困っていたというのは?

三島 東京に出て来てすぐの頃、面接に落ち続けてバイトが決まらなくて…。上京前に貯めたお金を切り崩しながらの生活で、お笑いの仕事は週に1回あるかないかだったので、かなり焦りました。その時期はお笑いよりも、バイトを決めることしか頭になかったかもしれないですね(苦笑)。意気込んで上京したのに、お笑いで何も挑戦しないまま、生活が出来ないせいで地元に帰るなんてカッコ悪いじゃないですか(笑)。

南條 それを知って「どういう面接をしてるん?」と聞いたら、「とにかく受かりたくてめっちゃアピールしてる」みたいなことを言うんですよ。たとえば、ポスティングのバイトの面接に行って「このチラシで街を変えたい」みたいな異常な熱量で挑んでいて(笑)。

三島 地元では知人の紹介でしかバイトをしたことがなかったから、当時32〜33歳でしたけど、毎回きっちりスーツを着て「この街がポスティングのチラシで盛り上がればいいなと思います!」って。

南條 そんなんで盛り上げられるかっ!

三島 面接官の方にも「ウチはそういう感じでもないんで…」と言われて(笑)。南條からは「もっとラフな感じで、時給がいいからっていう理由でもいいと思うよ」というアドバイスをもらいました。

——三島さんが苦戦している時、南條さんは別のバイトをされていたんでしょうか?

南條 そうですね。駅に無料で置いてある“町働きさん”(タウンワーク)の冊子は必ず持って帰っていました。上京してすぐは派遣で建設現場に行って、資材を運ぶ荷揚げの仕事をしました。時給で選びましたが、最初の頃は暑さや重労働に疲れてしまって、ネタ合わせもそこそこに「今日はもうなんも出来へん」って。

——慣れるまでが大変ですよね。

南條 そうですね。長かったのは“西洋お好み焼きのおかもち”(ピザのデリバリー)で、その後“運動瓦版切り貼り人”(新聞社のスクラップ制作)のバイトをしました。東京では大きく言うとその2つです。バイトが決まっても生活は大変でしたが、上京してすぐは“一発当てるぞ!”とか“さぁ勝負や!”という気持ちで日々やっていたので、焦っていた三島に比べるとポジティブでしたね。どちらかというと不安になっていた時期は、大阪で結成8年目を迎えたあたりで、個人的にはその頃が一番辛かったんです。

“万引き捕物奉行”のバイトは、自分の中に正義感が湧いた(三島)

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——お二人が経験した異色のバイトについても伺いたいのですが、三島さんは「万引きGメン」をやられていたそうですね。

三島 大阪時代に、某有名量販店の清掃担当をしていた流れで、店長に「Gメン出来る?」と声をかけられました(笑)。店内を見回って、万引き現場を見つけたら店を出た瞬間に声をかけて警察に引き渡すのですが、言い換えるなら“万引き捕物奉行”ですね。万引きをする人は、大きいカバンを持っていたり、カバンの口が開いていたりするので、見ているとなんとなく分かるんですよ。50人くらい捕まえました。

——衝撃的ですね。

三島 僕自身も、実際に現場に直面すると“もう二度と同じことはして欲しくない”という思いと“悪を更生させないと!”という今までは自分でも感じていなかった正義感が湧いたことに驚きました。警察は厳しく注意をするので、僕はあえてバックヤードに入った瞬間に「人生終わったな、二度とウチに帰れると思うなよ」と耳元で囁くんです。小さな声で不安を煽る言葉を言い続けると相手は罪悪感からめっちゃ怖がるんですよ。自分がやられても怖いと思うし“再犯防止をするにはどうしたら”という方法を考えた結果ですね。

——それは、特に反抗する相手に対してですか?

三島 対応は全員に対して同じでした。

南條 いやいや、レパートリーないんかい(笑)!

“運動瓦版切り貼り人”のバイト先には、夢の後押しをしてもらった(南條)

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——南條さんは、スポーツ新聞でバイトをされていたと伺いました。

南條 “運動瓦版切り貼り人”ですね。シソンヌのじろうくんとか、同期の芸人が先に3人くらい居て誘ってもらいました。編集部には、過去のスポーツの記録がパソコンにデータとして入っているんです。でも、編集の方たちは、日にちや種目ごとにスクラップしてある記事を参考にすることが多かったので、そのために僕らバイトが記事を切り分けて項目別にスクラップしていました。それまで体を動かすバイトが多かったので、体力的にはとても助かりましたね。

——芸能の世界にも理解がありそうですね。

南條 急遽ライブが入ったりオーディションがあると、誰かが大変になるはずなのに「行っておいでー」と送り出してくれました。「M−1グランプリ」に出る直前までバイトをしていましたが、編集長も「M−1いったら芸能面で大々的にやるから」と言ってくれて。まだ優勝候補とかいうレベルでもないのに、実際に見開きでめっちゃデカく記事を作ってくれたんです。

三島 すごいよなぁ。

南條 それからも事あるごとに記事にしてくれて、夢の後押しをしてもらったぶん、いつか恩返しをしたいなと思っています。

三島が今でも籍を残す“歌詠み茶屋”は、2人にとっても大切な場所

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——三島さんが困っていた時に雇ってくれた“歌詠み茶屋”(カラオケ)のバイトはどうでしたか?

三島 “歌詠み茶屋”の店長も「売れるまでここでやっていいよ」と言ってくれて、「M−1 グランプリ」の時もポスターを貼ってくれたりと応援してもらいました。2014年から「M−1 グランプリ」の決勝の時期まで、約5年働きましたが、店長にはアドバイスとして「売れても天狗にだけはなるな」とよく言われていましたね。あと、僕が老けて見えるから「テレビに出るなら、もうちょっと若々しく出来ないか?」って(笑)。その店長は去年亡くなられてしまったんですけど恩人だと思っていますし、今でもバイトとしての籍は置いてもらっています。

南條 当時はその“歌詠み茶屋”の部屋で、夜中までネタ合わせをさせてもらいましたし、今でもたまに場所を借りに行っています。これからも、変わらず大事な場所であり続けると思います。

バイトで自分の向き不向きを知ることが出来たし、お笑いにも影響を与えてくれた

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——では、改めてバイトを通して得られたことはなんでしょうか?

三島 “歌詠み茶屋”で流行っている曲を知れたり、漫画喫茶で働いた時は、漫画からネタのヒントをもらったりしました。それと、介護ヘルパーをしていた時は、逆に“年配の方はどんなことで笑ってくれるんだろう?”と考えたりと色々なことを吸収出来たと思います。衣装が着物ということもあってか、利用者のおばあちゃんに「素敵な芸風で好きやわー」と言ってもらえたり、たまにテレビに出るとめちゃくちゃ喜んでくれるんです。幅広い年齢層の方に受け入れてもらえると思えたことは自信になりました。

南條 コンビを結成したのも、三島の元の相方と僕のバイト先が一緒だったことから始まっているので得たものは多いです。それと、お笑いを目指す以前の学生時代の話ですが“自分はけっこう仕事が出来るタイプだ”と思っていたんです。でもいざバイトをしてみると、まぁ出来なくて(笑)。軽いミスが多くて“自分って注意力があんまりないんだ”とか、“急なことに対しての対応力がないんだな”と、バイトが自分自身を知る第一歩にもなりました。

——当時の失敗というと?

南條 ファミレスで働いた時の話ですが、一番忙しい時間帯に米の準備を頼まれたんです。急いでいたのもあって、研ぐ機械から出した大量の米をバックヤードで“ぶわっしゃー”って(苦笑)。注文もいっぱい入っているなか、こぼした水と米まみれになりながら“俺なんやねん”って打ちひしがれました。その頃くらいから“普通に会社員を目指すのは無理だ”と思い始めたのかもしれないですね(笑)。得手不得手を知るには良い機会だったので、学生の方であれば、社会に出る前にバイトを挟むのは良い事だと思います。

——では、三島さんからも読者にアドバイスをお願いできますか?

三島 僕からは「考え込み過ぎずに飛び込めばいい」という事と、「面接は楽な感じでいけよ」に尽きますね。これは、当時の自分にも言ってあげたい言葉です(笑)。

 

■Profile
すゑひろがりず

南條庄助(なんじょう しょうすけ) Twitter:@GSOPnanjo
生年月日:1982年6月3日 出身地:大阪府 堺市

三島達矢(みしま たつや) Twitter:@SUEmishima
生年月日:1982年10月2日 出身地:大阪府 大阪市

吉本興業所属。2011年4月に結成。和服に身を包み、小鼓と扇子を片手に古風な言葉遣いの「狂言風漫才」を持ちネタとする。2014年&201年に『キングオブコント準決勝進出』。2019年の『M-1グランプリ』では、自身最高位となる決勝進出を果たす。結成10年目となる今年、4月の大阪を皮切りに、初の全国ツアー『すゑひろがりず結成拾周年全国行脚〜諸国漫遊記〜』を開催中。

■公演情報

『すゑひろがりず結成拾周年全国行脚〜諸国漫遊記〜』

【名古屋公演】
日程:2021年8月5日(木)
会場:名古屋市芸術創造センター

【東京公演】
日程:2021年8月8日(日)
会場:観世能楽堂

*詳細は【萬屋すゑひろがりず】:https://www.yorozuya-suwehirogaris.jp/

企画・編集:ぽっくんワールド企画 撮影・河井彩美 取材・文:原 千夏

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