熱中できるものを見つけるための条件│岩崎夏海
母親の影響を多大に受けた幼少時代
ぼくは子供の頃にアンリ・ルソーが好きだった。アンリ・ルソーは画家である。いわゆる印象派に属するが、その作風から素朴派などとも呼ばれている。ルソーも歴史的な芸術家の例にもれず生前は絵がちっとも売れなかったが死後に評価が高まって、今では画集なども数多く出版されている。ルソーの絵を見るのは比較的容易い。
ぼくがルソーを好きになったきっかけは、子供の頃に母親に連れられてその展覧会を見に行ったからだ。母親もルソーが好きだった。思えばぼくは母親にだいぶん影響を受けた。母親が好きなものはたいてい好きになった。母親とは趣味が合ったのかもしれない。かといって性格は全然違うし、ちっとも仲が良くないのが面白いところだが、いずれにしろぼくは母に教えてもらったものをいくつも好きになった。それが、成長するきっかけの一つになったのかもしれない。
ぼくは今振り返っても親や周囲から愛情をたっぷり注がれたという記憶がない。どちらかといえば放任主義の教育を受けた。父親の口癖が「あいつは甘やかせているからダメなんだ!」というくらい、父親は「甘い」ということが嫌いなので、ぼくもけっして甘やかされなかった。かといって厳しくしつけられたというわけでもなく、放っておかれたというのが順当なところだろう。
緊張するくらい夢中になったもの
なぜかは分からないが、ぼくはそういう環境で何かを愛することには長けていた。特に面白いものを愛することに長けていた。熱中することが得意だった。集中力はなかったが、とにかく何かに夢中になるのが得意だった。一度耽溺すると、なかなか飽きないのだ。浮かび上がってこないのである。子供の頃のユニークな記憶がある。ぼくは、「仮面ライダー」が好きだった。好きすぎるあまりに、「仮面ライダー」が始まる時間になると緊張した。特に、オープニングの主題歌が流れる前は緊張した。
そのため、とてもおしっこをしたくなった。それで、「仮面ライダー」が始まる前は3回か4回、ときにはそれ以上トイレに駆け込んでおしっこをしていた。それで、母親があるとき心配して、ぼくを病院に連れて行ったことがあった。あまりに頻尿なので、何かの病気ではないかと思ったのだ。
しかし、結果は病気ではないということだった。「緊張で尿が近くなっているだけでしょう」と。しかし、「仮面ライダー」にそれほど緊張するというのは、今ならまた別の病気と診断されていたのかもしれない。それほど「仮面ライダー」が好きだった。
熱中する能力は成長するためには必要不可欠である
「成長」することにおいて、この「熱中」するというのはとても重要だと思う。「不可欠」とまではいえないかもしれないが、ないと困るだろう。なぜなら、熱中すればそれだけ多くの時間を努力に費やすことができるからだ。例えば、サッカーが大好きな子供と、特に好きではない子供とでは、同じ練習をしても、苦しさの度合いが全然違う。大好きな子供はちょっとの苦しみで済むが、特に好きではない子は大いに苦しむ。この差は、最初は小さくとも、長い年月のうちに大きな差となって表れるだろう。
だから、能力の差は愛情の差と言い換えることができるかもしれない。愛情というより、熱中度合いの差というべきか。何かに熱中する度合いが高ければ、それだけ能力が高くなる。つまり、どれだけ熱中できるかということが、そのまま「能力」と言い換えることもできるのではないだろうか?
では、どうすれば人は熱中できるのか? どうすれば何かを好きになれるのか?それにはいくつかの要件が必要だろう。
いいものに「触れる機会」と「近すぎない」という絶妙なバランス
まず一つは、「いいもの」が近くにあること。ぼくの場合は、それがアンリ・ルソーだった。アンリ・ルソーに触れる機会がなく、へぼい画家の絵しか見たことがなければ、ぼくはおそらく絵を好きにならなかっただろう。そうしていたら、美的感覚は育まれなかったかもしれない。だから、いいものに触れるというのはとてもだいじなのだ。そこで、熱中するチャンスを育めるかもしれないのである。
次に、「枯渇」が必要だろう。
例えばルソーの絵を見たいと思って、それが十全に見られる環境だったら、いずれ飽きてしまうだろう。それよりも、見たいけど見ることができない——というような、にんじんを目の前にぶら下げられた状態が必要なのである。
高校時代、ぼくは親からゲームを禁止されたが、禁止されればされるほど、ゲームへの愛情は高まった。それで、ますますゲームにのめり込んだ。「仮面ライダー」も、今みたいにビデオがあれば、それほど好きにならなかったかもしれない。そのオープニングも、見るのにそれほど緊張しなかったかもしれない。
昔の「仮面ライダー」は、週にたった一度、あっという間に過ぎていくから面白かったのである。それを長い間待っているから緊張したのだ。
そうした「枯渇」が、「与えられる」ということと適度なバランスで配合されたとき、熱中度合いは爆発的にふくらんでいくのだ。
企画:プレタポルテby夜間飛行
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岩崎夏海(いわさきなつみ)
1968年生。東京都日野市出身。 東京芸術大学建築科卒業後、作詞家の秋元康氏に師事。放送作家として『とんねるずのみなさんのおかげです』『ダウンタウンのごっつええ感じ』など、主にバラエティ番組の制作に参加。その後AKB48のプロデュースなどにも携わる。 2009年12月、初めての出版作品となる『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』(累計273万部)を著す。近著に自身が代表を務める「部屋を考える会」著「部屋を活かせば人生が変わる」(累計3万部)などがある。