カレー沢薫の「日々、なりゆき、運任せ」│スマホとの付き合い方を考える
年が明け、すでに1月も半分が経過しようとしている。
このままだと例年通り何も成し遂げぬまま、ネットに生息する「時報鳥」の「悲報!今年一か月終了!」という鳴き声を聞いて無駄に焦ることになるだろう。
ちなみに時報鳥には「あと3か月」と、残り時間をカウントして焦らせたり、果ては「今年の日曜もう5回しかない」などと言い出す亜種も存在するが、曜日の概念がないフリーランスや無職はノーダメなので、我々にとっては無害な種とされている。
逆に言えばまだ11か月半残っていると言える、今年こそ何かしら志をもって日々を過ごしたいものである。
そんなわけで、仕事や生活、全ての日常をテーマに「日々、なりゆき、運任せ」というコラムをしたためていきたいと思う。
何か抱負を立てようと思ったが、何も思いつかない、もしくは改善するところが多すぎて選べず、ついに「がんばる」と半紙に書き始めたかのようなテーマだ。
ちなみに私は最近、初詣に行くと「家族の健康」そして「世界平和」を祈るようになった。
「自分」という存在を諦めきった後に残ったのは、純粋な他者の幸福と平和への祈りだったのだ。
この域を目指してもいいのだが、若人や凡人はまだまだ「自分」という小さな存在に拘泥したほうがいいだろう。
というわけで今回の小さな命題は「今年こそスマホとのつきあいかたを考える」だ。
「今年こそ」と言っているあたり、去年惨敗したことがうかがえる。
スマホは現代人の必需品である、我が村のファミレスですらスマホ注文を取り入れだしたことを考えると、スマホなしでは飯すら食えなくなる、もしくは食べられるスマホが登場するまでもう少し、ということだ。
スマホは便利だ、しかしあまりにも多機能すぎる上、無限に情報やエンタメが出てくることから、永遠にスマホを擦り続けてしまう問題も発生している。
これを考えると願いを叶えてくれるランプを手にしながら1日中摩擦しなかったアラジソは精神力が強い、伊達にデズニーに抜擢されてない。
現代人がスマホに向き合う時間は増加傾向であり、現在では成人の53.6%が1日3時間以上スマホを使用、というデータもあるそうで「スマホ依存」などという穏やかではない言葉もよく聞くようになった。
ここで私のアイフォーンが毎週お報せしてくる1日のスマホ利用時間を発表したい。
「8時間56分」だ、さらに先週に比べると「32%減」であり、かなり伸び悩んだ結果のようだ。
ちなみに私はフック船長のように、腕にスマホをビルドインしているわけではない、まだ外付けの段階でこれだ。
もうこの時点で3時間程度しか使ってない者は「まだ大丈夫」と安堵したことだろう、それだけでも価値がある。
しかし、数字だけで判断するのは無駄というのも事実だ。
「生きている人間の約100%が1日24時間呼吸している」と聞いて、由々しき事態だと感じる奴がいるだろうか。
実際「1日3時間以上のスマホ」と聞いても「それの何が悪い」と思う人もいるだろう、具体的な不具合を提示せず「スマホの使いすぎは良くない」と言われても説得力にかける。
だが運よく、ここにはスマホを1日10時間程度使い続け、様々な不具合を抱えている奴がいる。
当事者である私が、スマホ使いすぎによる弊害を語ることで、脱する方法は皆目見当もつかないが「スマホ依存の恐ろしさ」はわかっていただけるのではないかと思う。
まずこの状態になると「会社員」はほぼ諦めなければならないし、学生でも厳しいかもしれない。
いきなり、人によっては死活となる不具合だが、アイフォーンの集計によると、私は昨日「13時間」ほどスマホを使用しており、内ゲームを6時間、SNSを5時間やっていたそうだ、ちなみに私はこの日8時間ぐらい寝ている。
数字が桁違いすぎて逆になんの参考にもなっていないかもしれないが、スマホを使いすぎたことによる「成れの果て」がいるという現実から目をそらしてはならない。
8時間勤務の会社員だとしたら、就業時間中ほぼずっと机にスマホを置いて、仕事の傍らSNSや馬が娘状になったゲームをしているということになる。
こんな社員を雇い続けるような寛大な会社はない、むしろ会社側が退職代行に依頼を出すレベルだ。
ただここまで来てもノージョブ状態であれば問題ない、むしろノージョブノーマネーの人間に時間を与えると、悲観的なことばかり考えて健康に悪い、13時間無心でスマホを摩擦することにより、それらのことを考えずに済むならスマホは最高の健康グッズと言える。
ただ、私は会社員でなくなった後、フリーランスで仕事をしており、その傍ら1日10時間スマホを擦っている。
それで何が起こるかというと「仕事が全く進まない」のだ。
まだ月半ばだが、すでに仕事は後ろ倒しを極めており、月末あたりにハルマゲドンが起こる。
しかしこの期に及んで「スマホを我慢する」という発想にならないのがスマホ依存の怖いところであり、ごく自然に「睡眠」を削りだすか、「品質」をSDGsして終わらせる。
つまりスマホのために「健康」「社会的信用」を犠牲にしており、これを続けると普通に生活が破綻する。
そしてこのままじゃまずいのでスマホ時間を減らそうと思った時にはもう自分では無理になっているのが、真の依存の怖さである。
しかし、この状態で会社員は無理と言ったが、逆に会社という衆目の中でこの域に達するのも無理だろう、私も飛躍的に伸びたのはフリーランスになり、完全に1人で仕事をするようになってからだ。
つまり「他人の存在」はスマホ使用の抑止になるということであり、さすがの私も人と会っている最中に馬を育てたりはしない。
逆に人と一緒にいるのにお構いなしにスマホをいじることで、周りから人はいなくなる。
「スマホと向き合う時間が長くなるほど自分と向き合ってくれる人がいなくなる」というのもスマホの怖さだ。
もしその状況を「これで思う存分スマホに向き合えてラッキー」と感じるなら、少しスマホとの付き合い方を考えた方が良い。
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