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2015年09月24日

観察力とは何か│名越康文

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テレビでおなじみの精神科医・名越康文(@nakoshiyasufumi)が心の悩みにズバッと答える! この記事は公式メルマガ「生きるための対話」よりお届けします。

探し物を見つけたければ「にんにく」と唱えよ!?

推理小説の探偵は、犯人のちょっとした言動から、事件解決の手がかりを発見します。あるいは、冒険物の主人公は、誰よりも早く状況の変化を察知し、仲間をピンチから救います。

現実の人生においても、こうした「何でもないところから、何かを見つけ出す」能力というのは、人生を大きく左右することがあります。では、そういう「観察力」は、どうしたら身につくのでしょうか? 生まれつきのもので鍛えようがないものなのか、それとも、心がけ次第で伸ばしていくことができるものなのか。

先日、8月27日(木)に放送された、劇団ひとりさんや中村あんさんが司会を務めるNHKのBSプレミアムの番組「仮説コレクターZ」に出させていただいたとき、「物を探すとき、名前をつぶやくと早く見つかる」という仮説を検証する、という企画がありました。

1000冊ぐらい本が入っている本棚からある本を探す。そのとき、一人は本のタイトルを「◯◯、◯◯、◯◯……」とつぶやきながら探し、もう一人は、「にんにく、にんにく、にんにく……」とつぶやきながら探すんですね。ちなみにこ「にんにく」というのは、「探し物が出てくるおまじない」として有名なものなんだそうです。「にんにく 探し物」と検索すると、いろんな記事が出てきますので、興味のある方はご覧ください。

さてその結果、どうだったか。そう、予想通り、という方も多いでしょうね。物の名前を唱えるよりも、「にんにく」と唱えるほうが早く探し物が見つかったのです。

もちろん、なぜそうなるのか、というメカニズムは、客観的に証明されてるわけではありませんが、このエピソードには、「観察力を高めるにはどうしたらいいか」という疑問についての、大きなヒントが隠されているように思うんです。

「じっくり見る」と観察力が失われる?

なぜ「にんにく」と唱えると、探し物が見つかるのか。それはおそらく、探し物を見つけるときには、「見つけよう」「探そう」という欲を抑える必要があるからです。見つけよう、探そうという欲で心がいっぱいになると、視野が狭まってしまい、本来の観察力が発揮できなくなってしまう。

「にんにく、にんにく……」という無意味な言葉を唱え続けていると、自然と「見つけたい」という欲が消えてくる。そうすると身体からふわっと力が抜けて、視野が広がり、本来の観察力が発揮される。おそらく、そういうことが起きているのだと思うんです。

観察というのは、常に「全体」を視野に捉えておく必要があります。なぜなら、「個」というのは常に「全体」の関係性の中から立ち上がってくるものだからです。例えば「木」を観察するとき、葉っぱや、枝、幹、根っこといった「部分」に着目することがあっても構わないのですが、そういうときでも常に「木」という全体を視野に入れておかなければいけない。そうでなければ、僕らはすぐに、「木」という本質を見失い、部分にとらわれてしまうのです。

これは、言われてみれば当たり前のことですが、実践的にはしばしば、忘れ去られやすい観点です。例えば僕らは「観察しろ」といわれると、なんとなく「じっくりと見よう」と考えがちです。「ぼんやり、なんとなく」ではなく「じっくり」見るイメージが、観察という言葉にはつきまといます。

生物学者が顕微鏡の向こうで動く微生物の動きをじっと眺めたり、画家が、モチーフをさまざまな角度から見ながらデッサンをしているイメージというのは、確かに「観察」のひとつの側面ではあります。しかし、そうやって「じっくり時間をかけて見る、聞く、触れる……」というイメージで観察しようとすると、僕らはどうしても「部分」にとらわれてしまい、全体、すなわち本質を見失いやすい。これは「観察」をめぐる、大きな落とし穴だと僕は思います。

観察は「理解」の対極にある

なぜ「時間をかけてじっくり見る」ことによって、僕らは本質を見失ってしまうでしょう? ひとつの原因は、「じっくり見る」ことによって、僕らは対象を言葉や理屈で「理解」しようとしてしまうからです。

「じっくりと見よう」「じっくりと聞こう」と心がければ心がけるほど、僕らはどうしても見たこと、聞いたことを頭の中で理解し、言葉として記憶に留めようとしてしまいます。「ああ、このシャツには花の柄が入っているな」とか「この映画のストーリーは最初に酒場でケンカがあって……」という具合に、言葉による「記憶」ばかりが膨らんでいく。

そうやって、「じっくり見る」ことによって物事を「理解」することで、僕らは観察した気分になってしまいがちです。しかし、皮肉なことに、そういう「理解」を積み上げれば積み上げるほど、本質からは遠ざかってしまいます。なぜなら、積み上げた記憶や知識による理解が、「その時」「その場」で起きた「現実」に対する、感情や心、身体の躍動を抑制してしまうからです。

物事の本質に触れるためには、身体に備わったすべての感覚を総動員させる必要があります。それは、ある意味では言葉や論理による「理解」とは対極にあるような体験です。目の前にリンゴが置かれているとき、僕らは言葉やイメージによって「これはリンゴです」と理解する。でも、「観察」というのは、そうした言葉や論理、イメージによって作られた「ベール」を剥がして、「リンゴそのもの」に触れる、ということなんです。

ちょっと難しい話になりました。もっと率直に、砕いた言い方をすれば、「本当の観察」というのは、「あ!」「これは!」「なんだ!?」という驚き、あるいは感動の中にしかないということです。「じっくり見よう」「じっくり聞こう」という姿勢は、物事を論理的に理解し、記憶や知識を積み上げるためには効率的ですが、そこには大きな副作用もある。それは、「その時」「その場」に対する
心身の反応そのものを低下させてしまい、その人本来の「観察力」を奪ってしまうことなのです。

観察とは「一瞬を待つ」こと

じっくり見て、理解する。そういう姿勢では、心身の働きは抑制され、本当の観察力が発揮されることはありません。逆に言えば、心身を躍動させることこそが、その人本来の観察力を発揮する近道だということです。

例えば映画を観たとする。メモを取るように映画のストーリーを追っているだけでは、あなたの「観察力」は決して解放されません。あなたの心身が、完全に映画に没入し、時間を忘れて楽しんでいる、その<瞬間>にこそ、本当の「観察」が行われうるのです。

これは対人関係でも同じです。「この人、私のことどう思っているんだろう?」「俺の話、ちゃんと聞いてくれているのかな?」と、言葉のレベルで「観察」しているうちには、「本当の観察力」は決して発揮されない。相手や、その場に同調し、溶け合い、一体化することができたある瞬間に、まるで稲光のように「これだ!」という感覚が訪れる。

当然、そんな雷光に打たれるような劇的な瞬間というのは、そう簡単には訪れてくれません。2時間の映画であっても、友人と雑談している1時間であっても、対象と本当に深く一体化できるのは、瞬間です。ふとした瞬間に「あ、いま、ちょっとこの人のことがわかったかも?」と思える。スポーツでいえばいわゆる「ゾーンに入る」と言われるような瞬間。そうやって相手と同調できたその瞬間にこそ、僕らは本当の意味で、対象を「観察」することができるのです。

以前、東京芸大の高名な美術史家のI先生のお弟子さんから、こんなエピソードを聞いたことがあります。I先生に連れられてある美術館に行ったとき、I先生は学生の3倍ぐらいの速度でスタスタと館内を歩いていくのだそうです。学生たちはあんまりI先生がさっさと歩いていってしまうので、あまり作品をじっくり見ることができなかった。しかし、展示の中程まで歩いていくと先生は立ち止まり、口を開いたのです。

「あの作品と、あの作品を見ておくといいよ。」

そうやってI先生は、そこまでの展示の中で、学生が見るべき作品を指示しました。そう、I先生は、スタスタと歩きながら目に入った一つ一つの作品に、一瞬のうちに同調し、きちんと観察をしていた。そして、学生にアドバイスをしたわけです。

もちろん、こんな達人レベルの観察力を身につけるのは難しいでしょう。でもはっきりわかることは「観察というのは、時間をかければいいというものではない」ということです。10分間観察しようと、1時間観察しようと、本質をつかむのは瞬間の出来事なのです。時間をかけて観察することに意味があるとすれば、その「一瞬」が訪れるのを待つ、「待ち時間」(時にはそれは長い年月となることもあるかもしれませんが)ということでしかないのです。

観察というのは、人の心や物事の本質に触れることであり、人の心や物事の本質というのは「瞬間」の中に宿っています。それに触れたければ、「知りたい」「見たい」という欲を捨てて、対象に没入してしまうしかない。そこにこそ、本当の「観察力」が生まれるのだと僕は考えています。

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精神科医・名越康文名越康文(なこしやすふみ)
1960年、奈良県生まれ。精神科医。臨床に携わる一方で、テレビ・ラジオでコメンテーター、映画評論、漫画分析など様々な分野で活躍中。著書に『毎日トクしている人の秘密』(PHP、2012)、『自分を支える心の技法 対人関係を変える9つのレッスン』(医学書院、2012)、『Solo Time 「ひとりぼっち」こそが最強の生存戦略である』(夜間飛行、2017)などがある。 2019年より会員制ネットTV「シークレットトーク」を配信中。

※文中の社名・所属等は、取材時または更新時のものです。

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