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2017年11月22日

千鳥・大悟&ノブに聞いた「芸人になると決心した瞬間は?」【コヤブソニック2017出演者インタビューVol.1】

千鳥・大悟&ノブに聞いた「芸人になると決心した瞬間は?」【コヤブソニック2017出演者インタビューVol.1】

11月3日〜5日までの3日間、インテックス大阪にてタウンワークが特別協賛したコヤブソニック2017が行われた。連日ステージには錚々たるアーティスト、芸人が集結。熱いパフォーマンスを繰り広げてくれました。

そんな、第一線で活躍する出演者たちも、かつては夢見る少年少女だったはず。今回タウンワークマガジンでは、彼ら、彼女らが夢を見つけた瞬間、そして今に至るまでの物語を語ってもらいました。全4回シリーズでお送りします。まずトップバッターを飾ってくれるのは千鳥のお二人です。
 

<子どもの頃の夢>
(子どもの頃になりたかった職業)

子どもの頃の夢は日本テレビの社長!

大悟 僕は、小学校6年生の頃には、吉本に入るって思っていました。

――小さい頃からお笑いが好きだったのですね。

大悟 そうですね、昔から大好きでした。

ノブ 僕はですね、野球が好きな男の子ではあったものの、小さい頃の夢ってなんだったかすっかり忘れていたんですよ。でも、最近番組のロケで実家に帰ったときに小学校の卒業文集を見てみたら、「将来の夢:日本テレビの社長」って書いてありました。

――テレビに出る人ではないけれど……。

ノブ そう、なぜか社長(笑)。とにかく、テレビが大好きだったんでしょうね。

――中でも、どうして日本テレビを選んだのでしょう。

ノブ 当時、“視聴率三冠王”と言われていて、子ども心にすごい会社だと思ったからでしょうね。我ながら単純(笑)。
 

<夢を見つけた瞬間>
(今の仕事を目指そうと思ったキッカケ)

夏祭りに来ていて吉本の芸人を見て「あっち側に行きたい!」と思った

大悟 岡山県の北木島で生まれて、周りには娯楽がなんにもないんですけど、年にいっぺんの楽しみというのが、島の神社で行われる夏祭りで。そこに来ていた吉本の芸人さんを見て、「自分あっち側に行きたい!」と思ったのがきっかけですね。

ノブ そういう大悟とは高校からの同級生なんですけど、高校卒業後、大悟は芸人を目指して大阪に出て、僕は普通に広島で就職をして。芸人やりたいけどそんなの無理やろなぁと思っていたら、大悟から誘われたんですよ。「ひとりで大阪のピン芸人として売れたから、俺と一緒に漫才したら売れるだけやで」っていう甘い言葉で。だから、会社に辞表を出して、親を説得して大阪に出ていったら……ひとつも売れていなかったっていう(笑)。

千鳥・大悟&ノブに聞いた「芸人になると決心した瞬間は?」【コヤブソニック2017出演者インタビューVol.1】
 

<夢への道のり>
(今の仕事につくために、努力したこと、作戦を立てたこと)

意味のわからない、根拠のない自信だけはあった

ノブ 僕らみたいなお笑い芸人の場合、とにかくネタを作るしかないですよね。

大悟 そうやな。

ノブ 今考えたら、おそろしいですけどね。なんの保証も確証もないまま、ただただネタを作って、それで売れようって思うわけですから。

大悟 ただ、「売れるためにこうしよう」っていう話をしたことはなくて。

ノブ うん。意味のわからない、根拠のない自信だけ。

――おもしろいネタがあれば、絶対に売れるはずだと信じていたわけですね。

ノブ そうなんでしょうね。もう、若気の至りでしかない(笑)。
 

<創意工夫>
(人気者なるために、工夫したこと)

前髪は、少しでもさわやかに見えるように立ち上げています

ノブ おもしろいネタを作るっていうのはもう大前提として、個人的には前髪を立ち上げるっていうことをしました。少しでもさわやかに見えるように。今もヒゲ脱毛をしています、こう見えて(笑)。大悟は……。

大悟 見ての通り、さわやかさとは無縁(笑)。ネタ作りのほかに、売れるためにしてきたことってないかも。

ノブ あとは、僕らはたまたまM-1に9年連続で準決勝進出できて、おかげでたくさんの人に名前やネタを知ってもらったというのは、大きいですね。

千鳥・大悟&ノブに聞いた「芸人になると決心した瞬間は?」【コヤブソニック2017出演者インタビューVol.1】
 

<血と汗と涙>
(今の仕事を通して辛かったこと、悔しかったこと、がんばった記憶)

自分たちを曲げたり変えたりしなかったのがよかったのかもしれない

ノブ 僕らは岡山県の出身なんで、最初は岡山弁で漫才をしようと思ったんですけど、大阪に行ってみたら意外と伝わらないし、「変な言葉やな」って言われることも多くて。その頃、方言漫才師ってあまりおらんかったもんな。

大悟 うん。

ノブ だから、大阪に出てから数年はエセ大阪弁で漫才をしてみたりもしたんですけど、そのときはもう、つらかったですね。自分たち自身がしっくりこないし、お客さんにも全然ウケないし。このままじゃ無理なんかなと思って、もううええわ!って開き直って岡山弁でやり出したら、少しずつ受け入れられるようになったっていう。

大悟 パチンコに通いながらネタを作ったり、週1ペースでライブをやったりっていう生活が意外と楽しかったなぁって、今になると思ったりしますけどね。ただ、レギュラーとか同期がバーっと売れたり、インディーズで一緒によくライブをやっていた笑い飯が先にM-1で有名になっていくのは、仲間としてうれしいしすごいなと思うと同時に、焦りを感じる部分も少しあって。

――そういうとき、心の支えになったのは……。

大悟 周りはどうあれ、やっぱり自分たちは自分たちのお笑いをするしかないっていうことですよね。人の真似をしてもしょうがないし。

ノブ ただただネタをやっていくっていう姿勢を貫いて、お客さんウケを狙うみたいなこともせんかったしな、僕らは。

大悟 せやな。2人があまり変わらなかったというか、自分たちを曲げたり変えたりしなかったのがよかったんかもしれないです。
 

<私の夢>
(仕事、人生の夢)

「年収1億円です」っていつか言ってみたい

ノブ 仕事がある状態をキープすること。その上で、この仕事をしているからには、「年収1億円です」っていつか言ってみたいですね、僕は。

大悟 今、仕事がたくさんあるというのはありがたいことなんですけどね。「芸人になったのに、なんでワシこんな早起きしてんねやろ」って思ったりもするんですよ。なので、もっと朝を考えずに飲める状況と、毎日寿司を食べられる財力を手に入れたいなと。

ノブ 寿司、大好きやからな(笑)。

大悟 うん。好きなときに寿司を食って酒が飲めたら、それが幸せ(笑)。

千鳥・大悟&ノブに聞いた「芸人になると決心した瞬間は?」【コヤブソニック2017出演者インタビューVol.1】
 

<思い出深いバイト>
(過去にした仕事の話)

お笑いで食っていけなくてもたこ焼きで食いつなぐことができた

ノブ 僕は居酒屋とかパチンコ屋で働きましたけど、思い出深いのはパチンコ屋かな。お金がいいし、店長がシフトの融通をきかせてくれるから、夢に向かって働くにはもってこいの仕事なんですよ。

――ただ、お金がいいぶん、大変なこともあるのではないでしょうか?

ノブ ありますね。パチンコの出玉を入れるドル箱が重いとか、1日中ずっと騒音の中で働かなきゃいけないとか。あと、たまに怖いお客さんがいたりするんですよ。一度、負けて苛立っているお客さんに、首を殴られたことがあって。そのときは、すぐ大悟に電話して迎えに来てもらいました(笑)。

大悟 僕が一番長く働いたのは、たこ焼き屋。大阪に出てきてすぐ始めて、5年くらい働いたのかな? 後半3年くらいは店を任されて、ひとりで仕込んで焼いていたんですよ。で、ノブとか笑い飯の2人がよく来てくれたりして。そこの店長さんは、ノブが働いていたパチンコ屋の店長さんと同じくシフトに融通をきかせてくれたし、お笑いで食っていけなくてもたこ焼きで食いつなぐことができたので。夢を追う人は、そういうところを見つけてバイトしたらいいと思います。

千鳥・大悟&ノブに聞いた「芸人になると決心した瞬間は?」【コヤブソニック2017出演者インタビューVol.1】

■千鳥 Profile
高校の同級生だった大悟(ボケ)とノブ(ツッコミ)が2000年に結成した漫才コンビ。第35回(2005年)、37回(2007年)「NHK上方漫才コンテスト」優秀賞受賞。キャッチフレーズは「岡山の漫才番長」。

千鳥ノブTwitter:@NOBCHIDORI
千鳥ノブInstagram:@noboomanzaishi

編集:ぽっくんワールド企画 撮影:内藤恵美 文:杉江優花

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