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2015年06月22日

人はなぜ笑うのか?──笑いの心理学

笑う

テレビでおなじみの精神科医・名越康文(@nakoshiyasufumi)が心の悩みにズバッと答える! この記事は公式メルマガ「生きるための対話」よりお届けします。

人はなぜ笑うのか

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「笑い」が心や身体に良い影響を与えるということが、近年、さまざまな分野において指摘されるようになっています。その一方で、「人はなぜ笑うのか」という問いには、まだ明確な答えが得られてはいません。

もちろん心理学では、このテーマについてさまざまな説明がなされてきました。例えば「親が笑うから、子供はそれを真似て笑う」というのもその有力な説のひとつです。子供を見ると親は笑う。その表情を、子供が真似る。そうやって子供が笑うと親は喜ぶので、子供はもっと笑うようになる。近年ではいわゆる「ミラーニューロン」の考え方をあてはめて説明するものもあります。

でも、こうした説明は、よくよく考えてみると「人はなぜ笑うのか」という問いに答えているとは言いがたいように僕は思います。「親が笑うのをみて子供は笑う」というのは、その「親」がなぜ笑うようになったのか、という説明になっていない。突き詰めて言えば「人類で最初に笑った人は、なぜ笑ったのか」ということが説明できなければ、「人はなぜ笑うのか」ということに答えたことにならないのだと思うのです。

僕は直観的に、「笑い」というものには、もう少し人間存在の根幹に触れるような何かがあるんじゃないか、そう考えています。

笑いのほとんどは思い出し笑い

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僕らが日常で触れる笑いのほとんどは、実は「思い出し笑い」です。笑いというのは実は、その瞬間の出来事によって引き起こされているわけではなく、そのとき起きた「何か」と、過去の記憶の中にある「何か」が結びつく。そのいわば「現実と記憶の化学反応」によって引き起こされるものではないか、と思うのです。

一時代を築いたお笑い芸人である松本人志さんの笑いというのは、徹底して多くの人が潜在的に共有している記憶を刺激するものでした。彼が他の芸人さんと一線を画していたのは、彼が取り扱う「記憶」が、他のお笑い芸人さんたちがそれまでお笑いの場に持って来ないような種類の記憶ばかりだった、ということにあります。

誰もが一度は行ったことのある場所なのだけど、何年も、何十年も手つかずだった「記憶の山」。そういう山を見つけて来ては、「今」に結びつける。その手際の鮮やかさゆえに、多くの人が松本さんの笑いに魅了されたのだと思うのです。

僕らの日常の笑いも、ほとんどの場合は「記憶」と関連しています。自分が何かをしでかしたり、変なことを言ってしまったとき、僕らは自然と笑います。しかしそれは、「今、このとき」の笑いではなく、自分の中で凝り固まっていた記憶や、固定観念が溶け出していくことを笑っている。

だからこそ、笑いというのは、年齢を重ねるとともに、その質を変えていくようになります。例えば「幼児の笑い」というのは、弾けるようなリズムや繰り返しを伴う笑いです。しかし青年の笑いというのは、もう少し社会性を帯びた笑いになる。そしてもっと年齢を重ね、人生の折り返し点を過ぎた人が見せる笑いには、独特の深みや、ゆったりとした時間の流れが伴うようになります。

僕は50歳の半ばですが、最近は落語にはまっています。ある程度の年齢にならないとなかなか落語にはまらないのは、たぶん、落語が刺激する「記憶の山」というのが、ある程度年齢を重ねた人でなければ持っていないような種類のものであるからでしょう。

もっとはっきりいえば、「ダメだ! 私の人生、これでおしまいだ!」といった絶望感を伴うような厳しい人生経験によって培われた「記憶の山」を持つ人でなければ、落語というのは笑えない。逆にいえば、一度でも、そういった窮地に陥った経験を持つ人には、落語というのはおかしくてしょうがないものなのです。

そういう意味では、笑いの芸能というのは、それを観る人の人生と共振してはじめて成立するものなのかもしれません。

自性としての笑い

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このように笑いについて語り始めても、冒頭に掲げた「人はなぜ笑うのか」という問いの核心にはなかなかたどりつけませんね。ただ、その周辺をぐるぐると、渦のように巡っているような感覚だけがあります。

僕が仏教を学ぶ中で、笑いについて知ったことのひとつは「悟った人は大笑いしない」ということです。長く修行を続けて徳を積んだお坊様は、にこっと笑うことはあっても、「わっはっは」と大笑いはしない。そのことには、何か「笑い」の本質について、大きなヒントが眠っているような気がしています。

つまり、「笑い」というものには、もしかすると、仏教でいうところの「自性」(じしょう)があるんじゃないか、と感じるのです。「自性」というのは「事物をそのものたらしませている本来的な、普遍的な性質」のことです。「笑い」に自性がある、というのは、生命の、あるいは人間存在の本質にからんだ何かが「笑い」にはある、ということです。

もちろん、他人のことをあざけるような笑いや、周囲に「私は楽しんでいるよ」とアピールするためだけの笑いには「自性」はないでしょう。ただ、心から笑い、リラックスしているときというのは、どこか人の本質に触れる、手がかりがあるように思うのです。

そうした、人間にとって本質的な笑いというものは、「盛る」ことができません。ほかの感情に比べても、笑いというのは「盛る」と、自分にも、他人にも、すぐにそのことが伝わってしまいやすい感情です。

言うまでもなく、世の中のほとんどの存在は、自性ではなく依他起性あるいは縁起(※)によって存在しています。例えば「陸地」というのは「海」がなければ存在しませんし、「お金」というのは「社会」とか「国家」の裏付けがあって初めて価値を持つものです。

そういう「相対的な存在」を仏教では依他起性とか無自性とかいうふうに呼ぶわけですが、そういう意味では、僕らの周りに、<一辺の疑いもなく「自性」によって存在するもの>なんてそうそうない、ということはわかるでしょう。

もしも「笑い」というものが自性によって存在しているものであれば、それを追求していくことは、人や、世界の本質に迫るひとつの道であるのかもしれない。そんなことを思うのです。

※依他起性あるいは縁起:仏教の唯識論では、存在について遍計所執性(へんげしょしゅうしょう)、依他起性(えたきしょう)、円成実性(えんじょうじっしょう)の3種類があるとされ、このうち依他起性は相対的で、さまざまな機縁が集合して生起したものとされる。また、こういうありようを縁起と呼ぶ。

企画:プレタポルテby夜間飛行

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精神科医・名越康文名越康文(なこしやすふみ)
1960年、奈良県生まれ。精神科医。臨床に携わる一方で、テレビ・ラジオでコメンテーター、映画評論、漫画分析など様々な分野で活躍中。著書に『毎日トクしている人の秘密』(PHP、2012)、『自分を支える心の技法 対人関係を変える9つのレッスン』(医学書院、2012)、『驚く力 さえない毎日から抜け出す64のヒント』(夜間飛行、2013)などがある。