電車で化粧をしてはいけない理由│岩崎夏海
ネットで「電車で化粧することの何がいけないのか?」という内容の記事を見た。「電車で化粧をしてはいけないという理由には根拠がない。したがって、マナーとして守る必要がない」というのである。
これを読んで気づいたのは、「電車で化粧をしてはいけない理由」を知らない人が多いということ。それと同時に、考えても分からない人も多いのではないか──ということだった。しかしこれには、非常に明確な理由がある。そしてそれは、深層心理に訴えかけてくるものなので、確かに分かりづらいものでもあった。
そこで今回は、電車で化粧をしてはいけない理由について書いてみたい。
化粧やファッションは、相手への敬意を示す表現のひとつ
この理由は、分かりづらくはあるものの、とても簡単でもある。まず、電車の中で化粧をしている人を見ると、人々はどう思うか?それは、「これから誰か大切な人に会うのだろう」と思う。化粧をするのは、誰か大切に思う人に会うからだ。
一般的に化粧は、他人に対して自分を飾るためにする、自分をよく見せようとする行為である──と考えられている。特に女性の場合は、「好きな男性のためにする」とされることもある。確かにそういう側面もあるだろうが、しかし実際は、必ずしもそれだけではない。それよりも、一種のマナーとして機能しているところがある。化粧は、男性女性に限らず、会う相手への敬意を示すものだ。
化粧に限らずファッションというものは、基本的に相手への敬意を示すものである。相手が不快な思いをしないよう、礼儀としてするのである。事実、世界中のいわゆる「礼服」は、どれも着るのが面倒くさいものだ。モーニングやドレス、あるいは日本だったら羽織袴や着物など。例えばネクタイも、首を絞めるという面倒くささをアピールするためのものだ。
なぜ礼服が面倒くさくなっているかといえば、それは相手に「私はここまで面倒くさい思いをしてこの服を着ています。つまりそれだけあなたに気を遣っているからですよ」ということを言語外メッセージで伝えることができるからだ。それゆえ、相手もそれを受け取れば、コミュニケーションが良好に進展するのである。
化粧シーンを見せることは「気を遣っていない」というアピールに等しい
化粧にも、この考え方が当てはまる。人は、しっかり化粧をした人を見ると、男性であれ女性であれ、それがきれいかどうかは別にして、相手からの敬意を感じることができる。だから、化粧をしてこられることを嫌う人は基本的にいない。自分への敬意を悪く思う人はいないからだ。
そういうことがあるから、人は、化粧をしている人を見ると「これから会う人に対して気を遣っているのだな」と受け取るのである。そこで、翻って考えてみると、「化粧をしていない」ということは、相手に対して気を遣っていない──ということともなる。それは、相手をなめているということと、ほとんど同義だ。
そして、「化粧をしているその瞬間」を見せるということは、そのことの積極的なアピールに等しい。なぜなら、「化粧していない」という事実は、よく見ないと気づかないが、「化粧をしているその瞬間」というのは、誰が見てもすぐ気づくからだ。そして、「化粧をしているその瞬間」というのは、まだ「化粧をしていない」ということでもあるので、「私は化粧をしていません」ということを積極的に伝えているということにもなる。
つまり、電車内で化粧をするということは、電車に乗っている不特定多数の人に対して、「私は化粧をしていません」と大声でアピールしているのと同じなのである。それは、とりもなおさず「私はあなた方に気を遣っていません」と言って回るような行為に等しいのだ。
「マナー違反」で片づけることが本質を見えにくくしている
「化粧をしている瞬間」を見せるというのは、そういうメッセージを深層心理に訴えかけてくる。だから、他の乗客にとっては不快きわまりないものだ。電車の中で、いきなり見ず知らずの人から、「私はあなたに気を遣っていませんよ」と言われたら、誰だって嫌な気持ちになるだろう。もちろん、気を遣ってほしいとは思わない。ただ、それをわざわざアピールはされたくないのだ。それは、やはり我慢ならないことである。そんなアピールをされて不快に思わない人は、この世の中にはほとんどいないといっていい。
そのため、ほとんどの人は電車内で化粧をしている人を見ると、とても不快な気持ちにさせられる。しかしそれは、あくまでも深層心理に訴えかけるものなので、なかなか認知しにくいし、概念化できない。だから、「マナーだから」とか「みっともない」とか、他の理由を取って付けて説明しているのだが、それがかえって本質を見えにくくしているところもある。
もちろん、ごくまれに電車で化粧をしている人を見ても不快に思わない人がいるが、それは、言語外メッセージに対して鈍い人──つまり空気を読めない人か、自分の深層心理に気づけない人──つまり鈍感な人と言わざるを得ないだろう。
企画:プレタポルテby夜間飛行
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1968年生。東京都日野市出身。 東京芸術大学建築科卒業後、作詞家の秋元康氏に師事。放送作家として『とんねるずのみなさんのおかげです』『ダウンタウンのごっつええ感じ』など、主にバラエティ番組の制作に参加。その後AKB48のプロデュースなどにも携わる。 2009年12月、初めての出版作品となる『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』(累計273万部)を著す。近著に自身が代表を務める「部屋を考える会」著「部屋を活かせば人生が変わる」(累計3万部)などがある。
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