【悩み相談】休憩時間などに交わす「雑談」が苦手です(名越康文)
【悩み】
20歳の大学生です。バイト先で休憩時間に雑談をするのが苦手です。何かをよくしようとか、問題を解決しようといった目的があれば話を聞いたり、意見を言ったりすることができるのですが、自分の生活と直接関係がなく、あまり興味を持てない芸能人や政治のニュースについての、長々とした会話についていくのが苦痛です。こんな協調性がないことではいけないと思うのですが……。
【名越先生の回答】
話を合わせることと、協調性は違う
興味をもてない話題に対して退屈してしまう。それ自体は自然なことだし、そのことをもって「協調性がない」など、ネガティブな自己評価に結びつける必要はないと思います。
僕自身も20代の頃、哲学や思想に関する本をよく読んでいた時期がありました。それ以外の分野の話はあまり興味を持てず、お金を稼ぐ話とか、政治経済といった話題になると、自分にとっては関係がないと感じ、その場に居合わせることがちょっと辛く、いたたまれないような気持ちになったことを覚えています。
確かに、周囲の人と力を合わせて何かを行うという意味での「協調性」は、社会のなかで生きていくうえで大切な能力です。ただ、先にも述べたように、それは「あまり興味をもてない世間話に耳を傾ける」ということを意味するわけではありません。もちろん営業職など、高いコミュニケーション能力が求められる職種であれば、「まったく興味の持てない世間話に合わせる力」が必要になる場面も、もしかするとあるかもしれません。
また、どんな仕事についたとしても、日常生活の中では、空気を読んで、周囲の話に合わせることが求められる場面がある、ということは確かでしょう。
しかし、例えばシステムエンジニアや研究職などのように、高い専門性を持つ仕事であれば、別に「世間話」ができなくても、少なくとも「チーム内での協調性」という意味では問題はないはずです。実際、世間話に合わせることができなくても、「チームの中で力を合わせて仕事をする」ということに長けた人はいくらでもいます。
どれだけ興味のない分野も、必ず自分の「何か」と共通する要素がある
世間話に耳を傾けることと、仕事をしていく上での協調性というのは、まったく別物だと考えたほうがよいし、そういう点では、興味が持てない芸能人や政治のニュースに、無理をして話を合わせる必要などないと僕は思います。
ただ、だからといってそういった「世間話」のすべてが無駄で、不要であるかというと、そういうわけでもない、というのが僕の意見です。
昔、廣松渉という人が、「知性の越境」ということを言っていました。簡単に言えば、どれほど異なる分野の間にも、そこには何か共通する要素や、関係性がある、ということです。これを聞いたとき、僕はなるほどそうだ、と感銘を受けました。
世の中には、「自分にとって何の興味ももてない情報」が溢れています。しかし、たとえどれほど興味を持てなかったとしても、実はそれらは、あなたが最も興味を持っている「何か」と、必ず接点があるんです。
なぜそんなことが言えるのか? それは、この世で起きていることはすべて、「人間」が行い、「人間」が発見し、「人間」が伝えているものだからです。
例えば、「ある実験室で、素粒子の未発見の挙動が発見された」というニュースがあったとします。これ自体は、物理学に特別の興味を持つ人でなければあまり興味を持ちづらいニュースかもしれません。
しかし、その発見をしたのは人間であり、その発見に「価値があるという判断」をくだしたのも人間であり、その情報を伝えているのも人間であり、それを聞いているあなたも、もちろん人間なのです。僕はよく心理学の講義の際に「人間は常に、対象を擬人化して捉えている」ということを、お伝えします。
例えば私たちは自動車の前面にあるライトに対し、無意識のうちに「目」を感じ取ります。自動車が壊れて、廃車置き場に打ち捨てられているのを見ると、なんだか車が悲しい表情をしているように見えることもあるでしょう。これが「擬人化」です。
あるいは、大きな建物に、力強さを感じたり、あるいは百貨店の食器売り場で色とりどりのお皿を見つけた時、可愛い! と声をあげたりする。これも、よくよく分析していくと、対象を擬人化していることがわかります。どんなに客観的あるいは物理的な現象である以上、人間が認識し、人に伝える段階では何かしらの主観、つまり擬人化が加えられるのです。
そうやって見ていけば、およそ私たちが目や耳にする情報のなかで、完全に自分にとって無関係なものなどない、ということがわかります。地球の裏側で行われたゴルフトーナメントの行く末も、長年活躍してきた政治家が、汚職で退陣することになったというニュースも、それが人間の営みである以上、すべてどこかで地続きであるわけです。
問題は関心を寄せられるかどうか
「好きな分野にしか興味をもてない」、「あえて触れたくない情報がある」というのは、当然のことです。しかし一方で、「なぜ自分はこの話題に興味を持てないのか」ということを、自分自身に問いかけてみる、ということは必要ではないかと思います。というのも、興味をもてない理由は、対象そのものというよりは、たいていの場合、情報を読み取る自分自身の側にあるからです。
もちろん、無理をする必要はありません。私も、なるべくなら読みたくないニュースや、遠ざけておきたい話題はたくさんあります。しかし、あらゆる情報には、ほとんど無限の読み取り方の可能性があるということは、頭の片隅においておくべきでしょう。
例えば「政治家は所詮、金で動いている」という捉え方で見れば、すべての政治ニュースは、利権と汚職の話題としてしか、捉えることができません。しかし、政治家の一人ひとりを、私たちと同じ一人の人間として捉えてみる。たったそれだけのことでも、政治ニュースの見え方はまったく変わってきます。
どれほどくだらないゴシップでも、どれほどスケールが大きくて私たちの日常とは無関係に見えるニュースであっても、すべては私たちの日常に地続きでつながっている。そこから何を読み取るかは、常に私たちの側に委ねられた選択なのです。
興味のない話は思考の幅を広げるきっかけになるかもしれない
質問者の方のように若い方であれば、「自分が興味をもてない話題」での世間話が始まったとき、それをひとつの「修行」だと捉えるぐらいの余裕を持ってみる、というのはひとつの方法です。
自分がまったく興味のもてない話題についていくのは辛いことではあります。しかし、「この、自分にとってまったく興味のない分野について話してくれる同僚は、もしかすると私の思考の幅を大きく広げる、きっかけを与えてくる人かもしれない」と考え、相槌を打ち、話を合わせてみる。
このとき、別に心の底から「楽しくて仕方がない!」というふうに感じなければいけないわけではありません。それよりは、相手を見下す気持ちや、自己嫌悪に陥るといった「暗い気持ち」をできるだけ少なくするように心がける。できるだけ明るい気分をキープしながら、その場に「居合わせる」ということだけを心がける。
そうやって、自分の興味のもてない話題に耳を傾けていると、そのうち、どれほど興味のない話題であっても、あなたが関心を持つ話題と、どこかで共鳴したり、関係する部分がある、ということに気付いてくるはずです。
最初の目標は、世間話が始まったタイミングで、「明るい気分で3分だけ話に耳を傾ける」ということぐらいでも結構です。もし少しでもやってみようという気持ちになれたら、ぜひ試してみてください。
※この記事は公式メルマガ「生きるための対話」よりお届けします。
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1960年、奈良県生まれ。精神科医。臨床に携わる一方で、テレビ・ラジオでコメンテーター、映画評論、漫画分析など様々な分野で活躍中。著書に『毎日トクしている人の秘密』(PHP、2012)、『自分を支える心の技法 対人関係を変える9つのレッスン』(医学書院、2012)、『Solo Time 「ひとりぼっち」こそが最強の生存戦略である』(夜間飛行、2017)などがある。 2019年より会員制ネットTV「シークレットトーク」を配信中。