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2021年05月10日

嶋佐和也(ニューヨーク)インタビュー「バイト先で知り合った、いろいろな人との出会いが自分にとって大きかった」

ニューヨーク 嶋佐和也 お笑い 芸人 よしもと 吉本 タウンワークマガジン townwork
お笑いコンビ“ニューヨーク”のボケ担当嶋佐和也さん。芸人を続けながら、たくさんのバイトを経験していたそうです。あるとき、バイトをせずに芸人としての収入だけで生きていくという覚悟を決めたことが、自分のなかで一つの大きな変化だったとか。そんな嶋佐さんに、芸人を「仕事」としての自覚したときのお話、アルバイトでのお話を伺いました。

バンド好き、音楽好きだったので、音楽関係のオーディションを受けた

――嶋佐さんは子どもの頃、お笑いの世界への憧れは?

テレビはよく見ていて、小学3年の頃、毎週、大好きな『ごっつ』(『ダウンタウンのごっつええ感じ』)を見ていて、すぐに“松本(人志)信者”になりました。ただ、自分でお笑いをやってみようと思うようになったのは大学の頃ですね。

――コンビを組んで活動を?

大学4年の時に、同級生と組んで1回だけ『M-1』に出たんです。もちろん1回戦落ちで、その相方は普通に就職したんですけど、僕は卒業してNSCに入りました。

――就活はせず、NSC一本だったんですか?

バンド好き、音楽好きだったので、レコード会社とか音楽関係だけはちょっと受けてました。ただ、案の定レコード会社は難しくてエントリーシートの段階で落ちて、音楽雑誌の出版社だけ2次面接まで行ったんですけど、それも最終的にはダメだったので、もうNSCに行こうと。

――親御さんの反応はいかがでした?

大学4年の秋くらいに電話したら、父親は寛容でした。「俺も高校のときお笑いやりたくて、西川きよし師匠に手紙出したことがある」と。母親は何言ってるんだって感じでしたね。ただ、しばらくして年明けに電話したら「行きたいんでしょう、それなら」と認めてくれました。

人のやっているネタを見たり、思いついたものから型を決めずにネタを作っていった

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――NSCに入って、2010年にニューヨーク結成。今のスタイルに固まっていったのはどのように?

ボケをやりたい、というのはあったんですが、全然ネタの作り方すらわからなかったので、徐々に徐々に、こんな感じかなと作って、作家さんから言われたことを実践してみたり、人のやってるネタを見たり、思いついたものから何でもどんどん作ってました。型は決めずに、コントも漫才もどっちもやろうと。最初、たまたま出演させていただいたテレビで「あるある」っぽい、ちょっと偏見っぽい、毒っ気のあるネタをやったら反応が良くて、初めてテレビに引っかかったというのがあったので、一個こういう形があるのかなと思ってしばらくやってみました。でもいろいろなタイプのネタをずっと作ってました。

――わりと毒のあるネタと言われがちですけど、そこを目指したわけではなく?

たまたまそこが引っかかっただけで、全然そうじゃないネタもいっぱい作ってました。

――手応えを感じた瞬間はありましたか?

ここ、という瞬間というより、ちょっとずつですね。細かいことを積み重ねているうちに、という感じで。ライブや呼ばれた番組とか一つずつ……。でも、『M-1』は大きかったですね。10年目でようやく、「ネタ面白いね」と先輩や周りの芸人さんに言っていただけるようになって。それは自信というか、力にはなりました。でもやっぱりそこも含めて徐々に、ホントにちょっとずつっていう意識です。

バイト先の店長さんは、今でも連絡くれる人もいるし、いい出会いだった

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――ちなみに、これまでどのようなバイト経験をされてきましたか。

牛丼屋さんでバイトしてました。楽しかったですね。バイトのみんなが仲良くて、同じくらいの年代で、みんないいやつで。ファミレスもいい人ばっかりで。あ…でも、いくつかのバイト先には嫌な奴もいましたね (笑)。ただ、世の中には色んな人がいるんだなって社会勉強にはなりましたけど。

――そういう人がいた時の対処法はあるんですか?

あまり深く関わらないってことじゃないですか。でも、嫌な人がいないバイト先もあるんですよ。ふぐ屋さんのバイトは、店長さんもバイトもみんないい人で、飲みに行ったりしたし、今でも連絡くれる人もいるし、いい出会いだったなと思います。

――芸人さんの場合、時間の融通を利かせるのが大変だと思うのですが、いかがでした?

吉本はライブが多いし、急にオーディションが入るので調整が大変なんです。新宿にあるデパートの警備員のバイトをしてたことがあるんですけど「誰か他にバイトできる人いない?」と言われたので芸人仲間を10人以上紹介して、みんなで入れ替わりながらやってました。一時期、そこの警備員の半分以上が芸人だったことありましたね(笑)。

――バイトを辞めて、芸人活動のみに専念したのはいつ頃ですか?

6~7年前ぐらいですかね。それまでは本当にいろんなバイトをしたので、バイトをせずに芸人としての収入だけで生きていくというのは、一つの大きな変化だったかなと思います。

――バイト経験が今に活きてるな、と思うことはありますか?

いろいろな人との出会いは大きかったです。さっきの警備員もおじさんばかりで、普段接点ないような人とも仲良くなって、今でも連絡くれる人もいますし。嫌なやつもいましたけど、バイトの場って人間観察のいい勉強になるんですよね。それが今、ネタ作りの参考になってるのは良かったなと思います。

運もあるかなとは思いますけれど、でもやらないことには何も始まらない

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――芸人としての活動で、初期の頃、これが大変だったというのはありますか?

無我夢中だったので、初期の頃はとにかく必死にやっていただけ、という感じです。目の前にいろいろなことが起きて、あっという間に時間が経ってる感じで。ネタを作ってライブに出て、それが増えていって、それが楽しかったです。新しい芸人仲間もできて、めちゃめちゃ嫌な人はいなかったし、みんな優しいし。いや、嫌な人もいたんでしょうけど、記憶に残っていないか、たまたま関わらず来たのかなと思います。

――先ほどのバイトの話でもそうですけど、嶋佐さんはそういうマイナスの場にはわざわざ長居しないという感じもありますね。

そこで深入りして付き合うことはないですよね。そのほうがいいと思います。

――読者に向けて、夢に向かって進んで行くうえでこれを大事にしたらいいんじゃないか、というアドバイスをお願いします。

とにかくやってみたらいいと思います。どうしてもやりたいと思ったら、やらないと後悔しますし。僕の場合は、ネタの作り方もわからない状態で初めて、ありがたいことにこのくらいまではやらせてもらえるようになったので…。もちろんそれは運もあると思ってるんですけど、でも、やらないことには始まらない。やっぱり、大学の時、ここでそのまま就職したら後悔すると思ったんですよね。それで芸人の世界に飛び込んでみようかなと思って。

――先ほどおっしゃっていた音楽雑誌にもし受かっていたら……。

行ってたでしょうね。本当わからないですよね、そうなったらどうなってたんだろう…。飛び込んでみた、というそこだけですよね、自分の決断は。運が良かったと思います。

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■Profile

嶋佐和也(しまさかずや)

1986年5月14日山梨県富士吉田市出身。NSC東京校を卒業後、2010年に屋敷裕政とお笑いコンビ「ニューヨーク」を結成。2020年の「M-1グラプリ」、2020年の「キングオブコント」のファイナリストとなる。趣味はロックライブ鑑賞、プロレス・格闘技観戦、映画鑑賞、CD収集、酒、パチンコ、筋トレ、ギター、献血、絵、人から服をもらうこと、知らない街を散策すること。

◆OFFICIAL Sitehttps://mosh.jp/classes/page/20074
◆YouTubeニューヨーク Official Channelhttps://www.youtube.com/channel/UCS17iKEInkBuHkxtEcCnTTQ/featured
◆OFFICIAL Twitter@shimasahead
◆OFFICIAL Instagram@kazuyashimasanewyork

企画・編集:ぽっくんワールド企画 撮影:河井彩美 文:田部井徹

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