冨田菜々風(≠ME)インタビュー「オーディションに何度落ちても、なりたい自分をイメージし続けてきました」
指原莉乃さんが=LOVEに続いてプロデュースするアイドルグループ、≠ME(ノットイコールミー)。結成から2年を経て、ミニアルバム『超特急 ≠ME行き』でメジャーデビューします。そのセンターに立つのが冨田菜々風さん。これまでの歩みの中で自分が変わったきっかけや、アイドル活動への想いをうかがったインタビューは、終始笑い声が絶えませんでした。
接客よりお皿洗いをしたいタイプでした(笑)
――鹿児島にいた頃、バイトしたことはありました?
ないんですけど、ずっとお皿洗いの仕事がしたかったです(笑)。大きな食洗器にお皿をガシャンと入れて、一気に乾燥させて出す。私、1人でコツコツ無心にやるお仕事が好きなんです。逆に、接客はたぶん苦手だったと思います。自分の中で人と線を引いてしまうところがあったので。
――今は握手会やオンラインお話し会で、菜々風さんはグループで一番笑いが絶えないと聞きます。
私、めちゃめちゃうるさいと思います(笑)。笑い声が大きいのと、ファンの皆さんに会えた嬉しさで、テンションがどんどん上がってしまって。
最初の握手会は緊張して、今の私と全然違う大人しい感じだったと思います。でも、ファンの皆さんがやさしいので心が開けて、1対1でお話して笑い合うのは素敵なことだと気づいてからは、楽しさでいっぱいです。
――学校では真面目な生徒だったそうですね。
校則をバリバリに守ってました(笑)。前髪は目の上の決められたラインで切って、触覚は出さない。色付きリップは禁止だったので、薬用リップしか使ったことがありません。あと、みんなが言うことに流されるタイプで、自分から発言することは絶対ありませんでした。
雑誌を見て「こんなキラキラした世界に行きたい」と
――3歳からお姉さんに付いて行ってダンスを始めたそうですが、人前に出るのは好きだったんですか?
だんだんイベントやお祭りに出させていただくことが増えて、観てくれた方に「良かったよ」と声を掛けてもらったのが嬉しくて、ステージに立つのが楽しくなりました。観てくださる方を元気にしたいと、小さい頃から思うようになりました。
――芸能界を目指したのも早かったんですか?
中学生になって、お姉ちゃんが買っていたファッション誌をたまたま読んだんです。夏休みにハワイに行った企画のページがあって、「こんなに輝いている世界があるんだ!」と見てるだけで笑顔になって。私もそっちの世界に行きたいと思いました。それでオーディションに初めて応募したんですけど、書類落ちでした。
それからいろいろなオーディションを受けて、いいところまで行くことはあっても、落ちる繰り返し。高校生になってからも、ずーっと受かりませんでした。私は引きずるタイプなので、落ちるたびに相当ヘコんでました。
不合格続きの経験が最後の最後に活かせました
――受けていたのはモデルオーディションですか?
最初はモデルさんと女優さんに憧れて、アイドルには正直興味ありませんでした。キラキラしたアイドルは、田舎感まる出しだった私にはできないと思っていて。でも、歌やダンスも、モデルも女優もできるのがアイドルだと気づいてからは、アイドルのオーディションもどんどん受けるようになりました。それでも、やっぱり受からなくて。
高校3年生になると年齢制限で厳しくなって、他の道も考えないといけなくなってきたところで、どうしても受かりたいオーディションがあったんです。これが最後というつもりで受けたんですけど、やっぱり落ちてしまって。「もうダメだ」と思ったとき、イコラブ(=LOVE)さんの姉妹グループのオーディションを知りました。それで本当に最後の最後という気持ちで受けたら、やっと念願が叶って合格できました。
――手応えもあったんですか?
歌もダンスも今までで一番できたと思います。それまでのオーディションでは、人の多さに圧倒されたり、緊張したりで、思うように力を発揮できずに終わってしまって。でも、そういう経験を重ねたからこそ、「今度は大丈夫」と思えて不安はありませんでした。いろいろ落ちて学んだことが、最後に活かせたかなと思います。
――≠MEのメンバーになって上京して、東京暮らしに戸惑いはありませんでした?
めちゃめちゃありました。電車が本当にわからなくて。地元の電車は2両なんですよ(笑)。それで右に乗るか左に乗るかだけ、わかれば良かったんですけど、東京に来た途端、何とか線といろいろあって、どれに乗ったらいいのか。
それに、鹿児島にいたときは洗濯もごはんも全部お母さんがやってくれたので、何も知らないまま出てきてしまって。洗濯するとき、お母さんに電話して「洗剤をどれくらい入れたらいいの?」と聞いたりしました。片づけも苦手で全部がイヤになって、「もうできない!」って地元に帰りたくなったこともあります(笑)。お母さんはすごいんだなと実感しました。
センターに立つのは不安しかありませんでした
――菜々風さんの歌唱力の高さはどう磨いたんですか?
歌に自信があったわけではなくて、ノイミー(≠ME)に入ってから、ものすごく練習しました。お風呂で歌ったりもします。声が響くのと、蒸気でノドが荒れないので。これからまだまだレベルを上げていくつもりです。
――最初のオリジナル曲「≠ME」から、菜々風さんはプロデューサーの指原莉乃さんに歌声を買われて、センターに抜擢されました。
振り入れが始まるちょっと前に、みんなが集まったところで指原さんからの電話を繋いでいただいて、いきなり「センターを発表します」と言われました。いつかセンターに立つことを目指していましたけど、まだ自分はふさわしくないと考えていたので、名前を呼ばれてビックリでした。最初は不安しかなくて、「私がこのグループをダメにしてしまうんじゃないか」と思っていました。
でも、「≠ME」でひとつの作品を作って、いろいろなステージに出させていただいて、メンバーが「菜々風がセンターで良かった」と励ましてくれるので、今は自信を持ってセンターに立てています。振りを覚えるのは遅いんですけど、人の何倍も練習して、動画も何回も観ていて。普段の自分はちょっと頼りないので、パフォーマンスでみんなを引っ張っていけるようになりたいです。
ライブで笑顔になってもらえる瞬間が楽しくて!
――2年間ノイミーで活動してきて、アイドルの楽しさややり甲斐はどんなときに感じますか?
今は状況的に難しいですけど、ライブにたくさんのファンの方が来てくださって、私たちの歌とダンスを見て笑顔になってもらえる瞬間が、ステージから見てわかるんです。その瞬間はもう楽しくて!
よくファンの皆さんに「元気になれる」と言っていただきますけど、私たちも皆さんの応援のおかげで、もっとパワーアップしていくので。ずっとそういう素敵な関係でいられたらいいなと思います。
――逆に、アイドルの大変さを感じるときもありますか?
最初の頃、練習してきてもライブになった途端、歌がコントロールできなかったり、思ったようなパフォーマンスができませんでした。ステージで何曲も歌っていると声がガサガサになったり、最後のほうに体力がなくなってしまったりもしました。
メンバーがみんなそうだったから、全員で体幹トレーニングもしています。でも、そういうことは覚悟のうえでアイドルになったので、辛いことより楽しさのほうがずっと多いです。
――「引きずりがち」という話がありましたが、落ち込んだときはどう立ち直りますか?
3日あれば大丈夫! と思うようにしています(笑)。引きずっても、3日寝たら切り替えようと。あと、そういう日はスーパーのデザートコーナーで、ショートケーキやモンブランやゼリーを大量に買って、夜中に食べて幸せを感じたりもします(笑)。
――アイドルの心構えについて、指原さんから学んだこともありますか?
私はMCが苦手で、人前に立つと頭が真っ白になって、何も話せなくなることがずっと悩みでした。どうしたらいいかわからなくて、思い切って指原さんに相談したら、「菜々風は歌とダンスでファンの皆さんに伝えればいいよ」と言ってくださいました。
もちろんMCもこのままではダメで、少しずつ直していきたいですけど、今はパフォーマンスで感謝の気持ちを伝えることを頑張ろうと。そのアドバイスをいただいてから、他のいろいろなことの考え方も変わりました。自分が落ち込んでいるより、ファンの皆さんにイヤなことがあったとき、私たちの存在が励みになればいいなと思っています。
MV撮影を心から楽しめるようになりました
――結成2周年でのメジャーデビューは、ちょうどいいタイミングでしたか?
ミニアルバムの発売がもうすぐなのに、いまだに信じられないんですよね(笑)。でも、2年間イコラブさんと一緒に握手会を回ったり、ミニライブをさせていただいて、すごく勉強になりました。これからはノイミー単独での活動になるので、イコラブさんのようにパフォーマンスやグループ力を高めて、続いていけるように頑張りたいです。
――デビューミニアルバム『超特急 ≠ME行き』には、配信されていた菜々風さんのソロ曲のバラード「空白の花」も収録されました。
家族や友だちも喜んでくれました。地元のCDショップでもゲットしてもらえるのは嬉しいです。ノイミーはいろいろなジャンルの曲をできる感じがして、そのひとつの色として、私の曲も加われたらいいなと思います。
――「≠ME」のMVではリップシーンで苦労したそうですが、新曲「秘密インシデント」のMVでは唇に指を当てたり、生き生きしてますね。
最初のMV撮影では不安に負けて何回も撮り直して、泣いてしまったりもしました。2作目の「君の音だったんだ」では動画をたくさん観て研究して、泣かずに撮れて。指原さんも「良くなった」と言ってくださったので、ちょっと自信がつきました。「秘密インシデント」のリップシーンは最初の頃では考えられないくらい心から楽しめたので、自分でもすごく変わったと思います。
夢で見た東京ドームに絶対立てると信じています
――メジャーデビューの次の夢は何ですか?
たくさんの方に私たちを知っていただいて、世の中をノイミーでいっぱいにしたいです。私、東京ドームで歌っている夢を見たことがあって、私の夢は現実になることが多いので。憧れの音楽番組とか『紅白歌合戦』とか、まだほど遠いかもしれませんけど、いつか絶対にノイミーで立てると信じてます。
――菜々風さんの今までの経験から、夢を叶えるために大事だと思うことを教えてください。
私はオーディションに落ち続けていたときも、頭の中では常に「いつか自分はあそこに立って、こういうことをするんだ」と思い描いていました。夢を応援してくれた高校の先生に、「なりたい自分をイメージするといいよ」と言われたんです。自分が入りたいグループの写真のセンターに、自分の顔写真を貼り付けるとか。
――菜々風さんもそういうことをしたんですか?
私はそこまではしませんでしたけど(笑)、何度ダメでも諦めないで「こうなるんだ」と、ずっと思い続けてきました。それで今の自分があります。
冨田菜々風(とみた ななか)
2000年7月17日生まれ。鹿児島県県出身。2019年2月、指原莉乃がプロデュースする≠MEのオーディションに合格して結成メンバーに。同年8月に初のオリジナル曲「≠ME」を配信リリース。メジャーデビューミニアルバム『超特急 ≠ME行き』が4月7日に発売。
冨田菜々風 OFFICIAL Twitter:@tomita_nanaka
≠ME OFFICIAL Twitter:@Notequal_ME
≠ME OFFICIAL SITE:https://not-equal-me.jp/
企画・編集:ぽっくんワールド企画 撮影:河野英喜 取材・文:斉藤貴志