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2021年06月15日

白間美瑠(NMB48)インタビュー「できないからこそ誰よりも努力して自信に繋げました」

白間美瑠 NMB48 みるるん シダレヤナギ 卒業 タウンワークマガジン townworkNMB48の最後の1期生で、卒業を発表している白間美瑠さん。グループ結成当初は12歳で泣き虫の妹キャラだったのが、いつしかエースとして引っ張る存在に。その11年は1人の少女の成長記のようでもありました。センターを張る卒業シングル「シダレヤナギ」の発売を前に、アイドルとしての軌跡と今後の展望を語ってもらいました。

 

レッスンで毎日怒られて泣いてたことを思い出します

――「シダレヤナギ」のレコーディングやMV撮影で、「これが最後」みたいな感慨はありましたか?

1期生で最後まで残って、いろいろなメンバーの卒業シングルに関わってきて、いつも寂しい気持ちになっていたんですね。自分のときもそうなるかと思ったら、あまりなりませんでした(笑)。

MVは自分から「笑顔で終わりたい」と伝えていたんです。撮影はずっと楽しい雰囲気で、休憩中にメンバーとバスケとかして遊んでいて。撮り終わってから、「あれ? これで卒業シングルなんや」と思いました(笑)。

――レコーディングもそんな感じでした?

淡々と進みました。でも、「いつもの椅子」(カップリングのソロ曲)はグッときました。バラードで歌詞が今までの自分と重なっていて。初期からお世話になったディレクターさんと写真を撮って、最後に自分で歌った曲を聴いたとき、ちょっと泣きそうになりました。

――歌詞の通り<瞼閉じれば色々と浮かぶ>ことも?

ありました。特にレッスンには、辛い思い出も嬉しい思い出も詰まってます。最初の頃、私はダンスに全然ついていけなくて、先生に怒られては泣いてましたから。

「美瑠だけ揃ってない。ステージに出なくていい」と言われて、レッスンから抜け出して、床で「もうできひーん!」と暴れたり。そこにお姉さんメンバーが来てくれて、「一緒に練習しよう」と慰めてもらう毎日でした。そんな光景を思い出して、「自分、成長したな」と思いました。

 

サラッとできるように見せたいので努力は表に出しません

――確かに、初期の美瑠さんは泣き虫キャラだったのが、今やエースですからね。

NMB48に入る前は人前に出ることがめっちゃ苦手で、学校の日直で挨拶するのもイヤで泣いていたんです(笑)。そんな自分がたくさんの方の前で歌って踊っているから、すごいなと。NMB48で根性を付けてもらいました。

――もともとアイドルが好きではなかったんですよね?

アイドルは嫌いでした(笑)。「ブリッコや」と思って、歌番組でアイドルが出たら、チャンネルを替えていて。でも、モデルのお仕事に興味があって、NMB48のオーディションに応募したんです。

最初はアイドルなんて簡単だと思ってました。ヒップホップダンスを1年くらいやっていたし、オーディションでも自分が一番だった気がして、「センター行けるやろ」と(笑)。その自信を最初からコテンパンにされました。歌って踊って、立ち位置を覚えて、もう大変。アイドルはすごいと実感しました。

――美瑠さんはよく「誰よりも早くレッスン場に入って最後まで残る」と、自分でも言うし他のメンバーにも言われてました。早い段階から、そうしていたんですか?

そうですね。怒られたくない一心でしたけど、できないからこそ誰より努力しないとダメだと、気づかされました。心配性で、自分が一番練習していることが確かでないと自信を持てないのは、今もずっとあります。

ステージでは1回も間違えずに完璧にやりたい。でも、そのために頑張るのを表に出すのは恥ずかしい(笑)。サラッとやっているように見えるのが、カッコイイと思うんですよね。

 

握手会で他の列に並んだ人にもアピールしました

白間美瑠 NMB48 みるるん シダレヤナギ 卒業 タウンワークマガジン townwork――もともと好きでなかったアイドルの楽しさややり甲斐は、どんなところで感じました?

やり甲斐よりも、ついて行かなきゃいけなくて。毎日新しい経験があって、自分が今何をしているのかも理解できないまま、どんどん時が過ぎていった感じです。

でも、(2013年の)じゃんけん大会で大島優子さんに勝って、「こんなかわいい子がいたんや」みたいなコメントをいただいたのは、自信になりました。握手会も1人の方が何度も回ってくれていたのが、そのじゃんけん大会のあとは列ができるようになったんです。横のメンバーたちより私が(人数で)勝ってるのが、やり甲斐になりました(笑)。

――自分のレーンに人を増やすために、やったことも?

あります。列がなくなって棒立ちになる時間に、他の列に並んでいる人たちにアピールしようと、会場の音楽に合わせて1人で踊ってました。そしたら、「隣りの列で見ていて、かわいいなと思って来たよ」ということが増えました。

もともと人との距離感が近くて、握手会では「目力がすごいね」と言われて。目と目を合わせて、感謝を体全体で届けることも心掛けました。両手を繋ぎながら振り回して、ジャンプしたり(笑)。

 

バラエティは勢いと大きな声で何とかなると学びました(笑)

――NMB48は大阪のグループだけに、アイドルながらお笑いにも力を入れていて、美瑠さんは『キングオブコント』にも出場しました。

出ましたね~。NMB48は関西の子が多いから「絶対笑いを取ってやる!」ってどん欲なんです。でも、私はお笑いは苦手でした。

48グループが集まる番組でも、たとえばキュン台詞を言う企画で、AKB48さんやSKE48さんは普通にかわいく言うんですよ。でも、スタッフさんが「NMBは面白いことを言ってくれるよね」という顔をしてきて(笑)、プレッシャーはありました。

――冠番組の『NMB48 げいにん!』ではモノボケをしたり。

よくやりました。迷ったら何もできなくなるので、とにかく勢いですね。面白くなくても、勢いと大きい声を出しておけば、何とかなると学びました(笑)。

 

「ここで言わなきゃ」と覚悟を決めました

――11年間のアイドル人生で、自分の中で最高潮だったのはいつですか?

(2014年に)「らしくない」でWセンターにさせていただいたときですね。「ここからは私たちが頑張る時代や」と思って、自信がめちゃくちゃ付きました。

――2017年に「ワロタピーポー」で初の単独センターになったときは?

そこは「私がNMB48を引っ張っていく」と覚悟ができたときでした。前の年、みるきー(渡辺美優紀)の卒コンで、そう宣言させていただいたんです。いつもはコンサートの最後のMCは、「美瑠が話す?」と聞かれても断ってきました。でも、そのときは「ここで言わないと!」って熱い気持ちがメラメラして。そんな宣言をした自分にビックリしましたけど、それから意識がガラッと変わりました。

――言動も変わりました?

言葉で伝えるのは苦手です。でも、さや姉も言葉よりカッコ良くキメた背中で語ってくれたので、私もそうなれるために誰よりも努力しました。センターに立ったとき、圧倒的なオーラを見せられるように。

 

アイドルはファンに「明日も頑張ろう」と思ってもらうのが大事

白間美瑠 NMB48 みるるん シダレヤナギ 卒業 タウンワークマガジン townwork――アイドル活動の中で、悔しい想いをしたこともありました?

いっぱいあります。大きかったのは、SKE48さんのライブにNMB48が1曲だけ、「マジジョテッペンブルース」で出させていただいたことがあって。私は5列のうちの2列目で「前のほうや!」と思っていたんですけど、レッスンで舞台監督さんに見ていただいている前で、めっちゃ間違えてしまって。監督に「この子は全然できてないから一番後ろに降ろして」と言われたのは、めちゃめちゃ悔しかったです。

――それはキツかったですね。

泣いて家に帰って、お父さんに「何で泣いてんねん!」と気合いを入れられました。「お前が世界観にちゃんと入れへんかったからやろ!」と、ヤンキーの曲だったから、「オラッ!」とか言う練習をさせられました(笑)。

――日ごろ落ち込んだときは、どう立ち直ってました?

お父さんが11年間、ずっと車で送り迎えをしてくれて、私が落ち込んでたり気が緩んでると、何も言わなくても気づいて、喝を入れてもらってました。最初の頃は、いつも「さや姉を越える気持ちで行ってこい」とグータッチをしたり。その車の中での時間は大きかったです。

――アイドルとして大事にしていたポリシーはありますか?

歌って踊るのがアイドルの基本。汗をかいてガムシャラに頑張る姿を見せて、応援してくださる方に元気や笑顔を届けるのが、一番大事だと思ってました。楽しんでいただきながら、「明日も頑張ろう」という気持ちになってもらえるのがアイドルですね。

 

これからは大人の女性の強さを出していけたら

白間美瑠 NMB48 みるるん シダレヤナギ 卒業 タウンワークマガジン townwork――卒業後はアーティストを目指すんですよね。

やっぱり歌って踊ることが好きなので、ソロアーティストとして笑顔やパワーをお届けできたら幸せです。ステージに立ち続けながら、アイドルとして演技もバラエティもグラビアも経験させていただいたのを活かして、卒業後もいろいろなジャンルに手を出していきたいです。

――目指すアーティスト像はありますか?

NMB48ではかわいい部分を出してきたので、ここからは大人の女性の強さを出せるアーティストになりたいと思っています。もともと倖田來未さんが好きだったので、セクシーなダンスをずっとやりたくて。

普段は洋楽やK-POPばかり聴いていて、カッコイイ感じが好きです。リトル・ミックスさんという3人組のガールズグループが女性の強さを出していて、よく聴いています。私も夢としては日本だけでなく、韓国とか海外のいろいろなところでライブができたらと思っています。

――IZ*ONEを生んだ『PRODUCE48』で、最終選考まで残ったことも大きかったり?

すごく大きな影響を受けました。あのときに自分は歌って踊ることが好きなんだと、改めて実感できたので。日本のアイドルはファンの方と一緒に頑張って成長過程を見せますけど、韓国では厳しいレッスンでパフォーマンスを固めて、初めから完璧なものを見せる。それを『PRODUCE48』で少し感じさせてもらったので、自分もそういうふうになりたいです。

 

人が寝ているときも練習すれば変われるはず

白間美瑠 NMB48 みるるん シダレヤナギ 卒業 タウンワークマガジン townwork――秋元康先生から卒業シングルに「シダレヤナギ」という歌が贈られたのは、腑に落ちました?

シダレヤナギの花言葉に“自由”があって、いろいろな風に流されながら、これから自由になっていくという意味が込められているのかなと思います。

――卒業したら、芸能界以外でやりたいこともありますか? バイトをしてみたいとか(笑)。

バイトやりたいです! 焼き鳥屋さんで働きたい。焼き鳥、めっちゃ好きなんです。ねぎま、シロ、みの……。何でも食べます!

――焼き鳥屋で働きたいというより、焼き鳥が好きなだけでは(笑)?

でも、握手会でファンの人と接してきたので、接客も絶対好きです。来てくださる方を楽しませて、笑顔になってもらうのは同じじゃないですか。接客もしたいし、焼き鳥を焼きたいし、まかないもいっぱい食べたいです(笑)。自分でも焼き鳥屋を開きたくて、名前も考えてあるんです。白間美瑠に掛けて「ねぎまみる」という(笑)。

――(笑)。11年のアイドル活動を通じて、夢を叶える秘訣も見つけましたか?

みんなが寝ているときに練習しておくことで、成長できて自信にも繋がりました。どれだけ他の人より努力するかで、変われるはずだと思います。

 

■Profile
白間美瑠(しろま・みる)

1997年10月14日生まれ。大阪府出身。2010年にNMB48のオープニングメンバーオーディションに合格。2011年7月発売のメジャーデビューシングル「絶滅黒髪少女」から選抜メンバー入り。2014年11月発売の10thシングル「らしくない」でWセンター、2017年12月発売の17thシングル「ワロタピーポー」で初の単独センターを務めた。2021年3月にNMB48卒業を発表。卒業記念写真集『REBORN』を7月7日に発売。

◆白間美瑠 OFFICIAL Twitter@shiromiru36
◆白間美瑠 OFFICIAL Instagram@shiro36run
◆NMB48 OFFICIAL SITEhttp://www.nmb48.com/

企画・編集:ぽっくんワールド企画 撮影:河野英喜 取材・文:斉藤貴志

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