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2018年11月21日

アーティスト(MINT mate box)/デザイナー・やすだちひろさんに聞いた「やりたいことを次々と実現していくコツ」

やすだちひろ タウンワークマガジン
オリジナルブランド『CHIHIROYASUDA』のデザイナーを務めるなど、ファッションの世界で活躍する一方、現在はMINT mate boxのベーシストとしても精力的に活動している、やすだちひろさん。20歳でファッションに興味を持ち始めたという遅咲きながらも、ショップスタッフ→バイヤー→デザイナーと着実に可能性を広げていった彼女に“新しいことに前向きに挑戦し、成功するコツ”を教えてもらいました!

バスケットボール選手になる夢を諦め、20歳でファッションに目覚めた

やすだちひろ タウンワークマガジン
――もともと、小さい頃に憧れていた職業はなんでしたか?

小さい頃は、その時々で将来の夢がコロコロ変わっていたんですよね。宝塚でタカラジェンヌになりたいとか。ピアノをずっとやっていたから、ピアノを活かせる職業に就きたいとか。ただ、“自分が得意とする分野で何かを発信できる人になりたい”っていうことは常に軸にあって、それは今もブレないなって思います。

学生時代になりたかったのは、長年やっていたバスケットボールの選手。大学もバスケの強い学校に入って、本気で選手を目指していましたね。でも、そこで他の選手との実力の差を目の当たりにして、挫折して……。この先バスケを続けられないんだったら、自分には他にどんな可能性があるんだろう?って考え始めた時に出会ったのが、ファッションでした。

――何年前のことですか?

20歳だから、5年前ですね。当時はちょうど青文字系のファッションがすごく盛り上がっていた時代だったこともあり、“こういうファッションがあるんだ!”っていうのをその時に知って。こういうファッションだったら、私も女の子として可愛くなれるような気がして、そこから、洋服やメイクに興味を持つようになりました。バスケができないなら、特に大学での目標もなかったので思い切って大学も辞めました。

――めちゃくちゃ潔い!

あはははは。で、私は地元が兵庫なんですけど、神戸にお洒落なショップが多いことを知っていたので、まずはその中にあるショップで働こうと思って。青文字系の雑誌でよく取り上げられている、個性的でゆったりとしたサイズのお洋服を取り扱っているブランドで数ヶ月だけ働きました。その時はまだ、バイヤーになりたいとかブランドを立ち上げたいっていう夢はなくて、単純に、ファッションの楽しさや、女の子が可愛くなれる可能性をお洋服を通して伝えていきたいっていう気持ちで働いていましたね。

――その後、原宿にある人気ショップ(SPINNS原宿店)に移り、カリスマショップスタッフとして注目されるようになるわけですが、上京を決めたのも“より多くの人に発信していきたい”という想いからですか?

そうですね。たくさんの人に発信していくには、大阪や東京みたいに人が集まっている場所のほうがいいだろうなって思ったし、だったら、流行の最先端をいく原宿で働きたいな、と。とはいえ、いきなり上京して生活していけるのかな?っていう不安もあったので、社会保険はちゃんとしてるかな?とか、交通費は出るのかな?とか、現実的なこともすごく調べて(笑)。その上で、当時自分が興味を持っていた派手な古着ファッションも取り扱っているSPINNSに入店を決めました。

SNSで好きなファッションについて発信したことが、新たな夢を掴むキッカケに

やすだちひろ タウンワークマガジン
――でも、好きで入店したとはいえ、実際にショップスタッフとして働いたからこそわかった大変さもあるはずです。

私の場合、“人と直接関わりたい”とか“私の考えたコーデを見てもらいたい”っていう気持ちが強かったから、接客だったり、店頭や打ち出し商品の前にあるトルソーに自分で考えたコーデを着せる作業は大好きでしたね。ただ、SPINNSは毎週新商品が入荷されるので、その都度、棚に入っているストック用の洋服を整理整頓しないといけないんですけど、特にその作業が苦手でした(笑)。

でも、今思えば、業務的な大変さよりも、自分が夢見ている“発信していく人”になるには、今後どういうことをしていけばいいんだろう?って悩んでいる時期が、自分にとっては一番ツラかったかもしれないです。どうすればいいのか?正解が見えない中で、試行錯誤していくのは大変でした。

――その状況はどうやって打開したんですか?

SNSを始めたことが、大きなキッカケになりましたね。雑誌やTVに出られるようなモデルに憧れてはいたんですけど、実際は雑誌に呼んでもらえるような立場ではなかったし、SNSがすごく普及し始めた時期でもあったので、自分なりのやり方で可能性を広げていこう、と。ブログやTwitterを通して、自分が好きな古着やその着こなしを発信していったら、私が好きなものを良いと言ってくれる人の数がどんどん増えていったんです。

でもその反面、古着は一点物だから「どこに行けばそれが買えますか?」って聞かれても、「ここに行けば買えるよ」って教えてあげられないことがもどかしくて。そこから、私が好きな古着のシルエットの服を作ったり、なかなか手に入らないようなお洋服をみんなが買えるようにしたら、喜んでもらえるんじゃないかなって思うようになり、バイヤーやデザイナーになりたいという具体的な夢が見えてきました。

――実際にバイヤーやデザイナーとして働き始めたのも、SNSでの人気がキッカケで?

結果的にはそうですね。というのも、私、SNSでは好きことを発信していたんですけど、一緒に働いているショップスタッフとか店長には「ブランドをやりたい」っていう話をあんまりしなかったんですよね。そのせいで、なかなか夢を実現するチャンスが掴めなくて……。当時は居酒屋のバイトも掛け持ちしていたし、“このままショップスタッフをやっていても先が見えないかも”って思い悩んだ末に、一度、「辞めようと思います」って店長に相談したんですよね。

そしたら、その話が社内に伝わり、流行に敏感なプレスの方が「ちひろちゃんって、最近SNSの発信を頑張ってる子だよね」って気づいてくださって。「プレスに来て、一緒にブランドをやろうよ」って声をかけてくださり、デザイナーの夢が動き始めました。それが、2015年の8月、22歳の時ですね。だから、バイヤーになった後にデザイナーデビューをしたっていうわけじゃなくて、自分のブランドの第1弾をリリースするまでの準備期間(服の制作期間)に、平行してバイヤーの経験も詰んでいたという流れでした。

バイヤーの仕事は、会社全体、全国にある各店舗に対する需要を考えること

やすだちひろ タウンワークマガジン
――もともとSNSを使ってお客さんの生の声を聞いていたやすださんにとって、お客さんが求める洋服を仕入れるというバイヤーの仕事は、得意なことを活かせる仕事だったんじゃないですか?

バイヤーの仕事も、就いたばかりの頃は上手くいかなくて悩みました。それまで私がSNSを通して吸収してきた意見は、「ちひろちゃんにこういう服を作ってほしい!」っていう私個人に対する意見だったんですけど、バイヤーをやる上では、自分の感性が全てではないので。私が可愛いと思って入荷しても全然売れなかったり、逆に“これ、本当に可愛いのかな?”って思っていた商品がすごく売れたりするんですよ。

――なるほど。やすださんのファッションのファンだけが、SPINNSで買い物をするわけじゃないから。

そうなんですよね。バイヤーの仕事は、会社全体、全国にある各店舗に対する需要を考えなきゃいけないんですよね。たとえば、原宿や表参道、渋谷、下北沢……っていう地域で見ても、そこにいる人のファッションは全然違うし。いろんなジャンルの服を取り扱っている店だから、古着が好きなお客さんもいれば、派手なファッションが好きなお客さんや、赤文字系のファッションが好きなお客さんもいる。そういう中で、その時々のファッションシーン全体の流行も踏まえて、どういう商品をどの店舗にどのくらい入荷するか?っていうのを決めないといけないんですよね。だから、雑誌やSNSをチェックすることはもちろん、自ら109やラフォーレ原宿、いろんな場所に頻繁に出向いてリサーチするようにしていました。

それに、仕入れる作業の他にも、商品に値段をつけたり、店舗の予算を立てる仕事もやらせてもらっていたので、ここでできることの幅が広がったなと思います。

――その経験は、デザイナーとして服を作っていく時にも大いに活かせそうですね?

そうですね。自分の好きなものだけに囚われないで、幅広い視野で判断することもそうですし、アパレルブランドのお金の流れというか、この店が経済的にどういうふうに廻っているのか?ということも、自分でブランドをやる前に学べてよかったなと思います。バイヤーを経験していなかったら、この生地が安いのか?高いのか?とか、大体どのくらいの値段がこのブランドの相場なのか?もきっとわからなかったので。

ただ、そういう経験があったとはいえ、社内で個人ブランドを立ち上げるのは、会社にとっても初めての試みですからね。私も会社への責任を少なからず感じていたし、初めは“どこまで自分の意志を通していいんだろう?”とか、“会社に対する需要と、自分の好きなファッションに差がありすぎるのはどうなんだろう?”とか、やっぱりいろいろ考えました。

でも、周りの人達といろいろ相談しながら、なんとか最初のリリース日を迎えたら、「この数量なら過不足なくいけるはず」と思っていたお洋服がすべて即完して……その光景を見た時は、本当に感動しました!

成功した時のことを明確にイメージしてみると、だんだんやるべきことが見えてくる

やすだちひろ タウンワークマガジン
――そして、そんな感動的なブランドスタートから3年。今では、MINT mate boxのベーシストとしても活躍しています。20歳でファッションに目覚め、5年でここまでたくさんの夢を叶えてきたやすださんから見て、やりたいことや新しいことにチャレンジして成功するためのコツはなんだと思いますか?

私がそうだったように、やりたいことや挑戦したいことがあるなら、SNSなどを通してでも良いのでどんどん発信していくことですかね。自分がコツコツやっていくことで明らかに結果が出ることであれば、あえて他人に言わなくてもいいと思うんですけど、どこから可能性が広がるかわからないことは、まず周りに気づいてもらうことが大切だと思うんですよね。

SNSの場合は、自分の夢を応援してくれている人(フォロワー)を増やすことで、会社の人にプレゼンする時にも「これくらいの人がSNSで応援してくれているから、だいたいこのくらいは人気が出ると思うんです」ってわかりやすく伝えられるっていう利点もありましたね。SNSを上手に活用できると、夢を実現するキッカケになると思います。

――正直、楽器未経験のやすださんが、音楽性も定まらないままSNSでバンドメンバーを募ったという話を聞いた時は「なんて無謀な!」って思ったんですけど(笑)。ブランドでの成功例があったから、そういう思い切った行動ができたんですね。

あははは。そうかもしれないです(笑)。成功というほどではないですけど、ブランドが自分の中で「良い結果が出たな」って思えたことはすごく自信に繋がって。だから、というわけではないですけど、“何かを発信できる人になりたい”という大きな夢の1つとして“音楽をやりたい”って思った時に、思い切って踏み出す後押しになったかなって。

あと、たとえ一見無謀に思えることでも、成功した時のことを明確にイメージしてみると、だんだんやるべきことが見えてくるんですよ。たとえば、“これくらいの数の人にMINT mate boxを知ってもらうためには、このくらいの時期に何をしなきゃいけない”とか。実際に自分が何をすれば夢が叶うかを自分の頭で理解できると、無謀さから来る不安もなくなっていくと思うんです。そういうことを言ってるから、「理屈っぽいね」ってよく言われるんですけど(笑)。“挑戦してみたいけど、上手くいかないかも……”って尻込みしてしまった時には、ぜひ試してみてほしいなと思います。

■Profile
やすだちひろ

兵庫県出身。1993年4月27日生まれ。SNS発信で結成された異色の3人組ギターロックバンド・MINT mate boxのベーシスト。20歳の頃に地元・兵庫の『w closet』で働き始め、上京と共に『SPINNS原宿店』でショップスタッフとなり、カリスマショップスタッフとなる。その後、自分の好きなファッションについて発信していたSNSが注目され、バイヤーに抜擢され、同時にSPINNS社内で初のオリジナルブランド『まると、さんかくと、しかくと。』をスタート。現在は、新たなファッションブランド『CHIHIROYASUDA』を立ち上げ、バンドと両立しながらリリースを続けている。11月22日、『CHIHIROYASUDA』の新作をリリース!

◆やすだちひろOfficial Twitter: @chirochiro_840

◆やすだちひろOfficial Instagram: https://www.instagram.com/chqnchii/

◆MINT mate box Official HP: http://mintmatebox.com/

編集:ぽっくんワールド企画 撮影:河井彩美 取材・文:斉藤碧

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