伊藤かりんインタビュー「夢を追いかける過程で1日1日を充実させていけば、結果的に楽しい人生になると思います」
元乃木坂46で将棋親善大使としても活躍中の伊藤かりんさん。グループ時代は同期やアンダーライブのまとめ役となり“有能”と言われてきました。精鋭揃いのメンバーの中で、自分だけの武器や立ち位置を見つける姿勢は、現在のタレント活動にも貫かれています。インタビュー中にたびたび出た「楽しむ」が、その軸のようです。
自分の存在意義をいつも探していました
――高校時代からバイトをしていたそうですね。
高校1年の4月1日からやっていました(笑)。アイドルになりたかったので、ボーカルレッスンに通いたくて。最初が飲食店で、専門学校に進んでからも古着屋とか派遣とか、暇さえあれば働くようにしていました。
――バイトでも有能ぶりを発揮していたんですか?
いえいえ。有能という言葉がひとり歩きしていますけど、私は勉強も運動も苦手で、全然できるキャラではないんです。できないことのほうがいっぱいありました。
――でも、高校では学校史上初の女子生徒会長までやったとか。
それはただ目立ちたがりだったんです(笑)。中高一貫の学校で、生徒会は中学からずっとやっていて、高校では会長になろうと。人と違うことをやるのは好きでした。私が生徒会長になってから、学校がちょっと明るくなった気がします(笑)。
――世話好きなタイプではありました?
そういうこともないです。ただ、中学でサッカー部に入っていて、選手としては男子の中で足手まといだと思っていたので、その分、何かで貢献したくて。洗い物や片づけをするように心掛けてはいました。今までの人生でずっと、自分の存在意義を見つけないとイヤだったんです。
良いライブにするためにメンバーをフォローしました
――乃木坂46時代には、アンダーライブで全員の立ち位置を書いた表を作っていた、という話が知られています。
他の子は自分のポジションと左右が誰かをメモするくらいだったところで、私は全体像が見えてないと頭に入らなくて。だから、全員分を書いていただけなんです。みんなは私がそうしていることを知っていたので、わからなくなると聞いてきました。
――当時のアンダーメンバーは、かりんさんのことを「お母さんみたい」と言っていました。最初から20歳過ぎだったこともあって、頼られていたんでしょうね。
誰かのために何かをするというより、1人でもできてないと良いライブにならないので。私としては、まとめ役になろうとしたのではなく、自分にできることを探して、必要なら年下メンバーをフォローしていました。
――かりんさんは1期生オーディションに落ちて、受かったメンバーを見に行って乃木坂46のファンになり、2期生に合格。そのときには、あの錚々たるメンバーの中で、どんなことを目指していましたか?
アイドルを目指し続けてきて、アイドルになることがゴールになってしまっていて。しかも、19歳で2期生オーディションを受けたときは届かないゴールだと思っていたので、正直ゴールの先までは考えていませんでした。入ってから徐々に、役割や目標を考えていった感じです。
選抜を目指すよりグループを陰で支えようと
――乃木坂46では、どんな存在意義を見つけました?
将棋に出会ってからは、自分が増やせるファン層を作ることを目指しました。グループ内では、私は選抜を目指すより陰に徹するというか、下から支えようと早い段階で思いました。
――シングルごとの選抜発表で選ばれなくても、落ち込むことはなく?
選抜発表はいつも「誰が選ばれるだろう」と、視聴者のような感覚で聞いていました(笑)。私はアンダーライブが大好きだったので、アンダーは落ち込むものではなく、「今回はこのメンバーで曲を作ってもらえるんだ」という感じでした。
――将棋はテレビ番組の『将棋ウォーズカップ~芸能界最強決定戦~』に乃木坂46代表で出場したのがきっかけで、最初から売りにしようとしていたわけではないんですよね?
全然です。たまたま他に将棋ができるメンバーがいなかったから、立候補して番組に出ただけです。私もお正月に親戚とやった程度だったので、正直その1回で終わると思っていました。
――何か自分の武器を探してはいたんですか?
アイドルは武器があったほうがいいと思います。でも、無理やり探しても、好きになれるかわからないじゃないですか。本当に好きなことができたら、アピールすればいいと考えていました。私はもともとナンプレとか頭を使うゲームが好きだったので、将棋に出会えたのは良かったです。
――2018年にはアマ初段を獲得しましたが、上達のために身を削ったわけでもなく?
楽しんでやっていました。将棋雑誌の連載で戸辺(誠)先生からいただいていた宿題の量は多かったんですけど、先生が忙しい合間を縫って、私だけのための問題を作ってくださっていたので、感謝してました。そのお気持ちに愛情を感じて、嬉しかったです。
将棋で自信を持てたのは精神的に大きかったです
――NHKの『将棋フォーカス』で司会を務めたり、第一生命のCMの『将棋編』に出演して、反響は大きかったでしょうね。
街で話し掛けてくださる方の年齢層が変わりました。電車で隣りに座ったおじいさんと、何駅もの間、将棋の話をしたこともありました。
お仕事の幅が広がったことはもちろん、「将棋ならどんなアイドルにも負けないぞ」と自信を持てることがひとつできたのは、精神的に大きかったです。
――2019年に乃木坂46を卒業したときは、どんな展望がありました?
将棋関係のような、趣味を活かしたお仕事ができたらいいなと。自分が前に出るのはあまり得意でないので、食べ物でも商品でも、何かを紹介するリポーター的なことがしたいと思っています。
――今のところ、順調に来ている感覚ですか?
立ち止まってはいないと思います。のんびりお散歩している感じです(笑)。
――将棋親善大使として、今後やりたいこともありますか?
ずっとイベントをやりたくて、一度棋士の先生方とできたんですけど、その後、コロナ禍で難しい状況になってしまって、続けられていないのが残念です。将棋人口を増やすのが私の役目だと思っているので、また可能になったら、いろいろな地域でイベントを開きたいです。
あまり先を見すぎないで生きています
――10月からは『開運音楽堂』(TBS)でミュージックプレゼンターを務めています。MC的な仕事は得意分野ですよね?
はい。ただ、カタカナが言い慣れてなくて(笑)。アーティスト名は結構カタカナが多いので、ちょっと緊張します。カンペを見ないでカメラ目線で言わないといけなくて、私は記憶力も良くないので頑張りたいです。
――YouTubeチャンネルでは「特技はない」と話していました。
そうなんです。趣味はたくさんあるんですけど。将棋もアイドル界では一番だと思っていても、卒業したら特技とは言えないし。でも、何ごともハマると深くやるタイプなので、趣味の延長から特技になって、また仕事に繋がればいいなと思います。
――将来的な夢はありますか?
あまり大きな夢を持っても、叶わなかったらショックを受けるじゃないですか(笑)。そうなると悲しいので、あまり先を見すぎないで生きています。それより、毎日を楽しく過ごせたら、人生最後まで楽しく行けると思うので、無理はしません。
楽しそうな方向に進んできたのでストレスはありません
――そういうスタンスは、ショックを受けた経験が実際にあったからですか?
そうかもしれません。小、中、高とアイドルのオーディションを受けては落ち続けていましたから。今は鋼のハートで落ち込むことはないんですけど、当時はショックで泣きました。それで、受かると思わないで受けるようにしたら、気持ちが楽になりました。
――かつ、乃木坂46に合格。結果的には、ベストだったかもしれないですね。
本当にそうなんです。夢は叶わないと思っていたら、最終的にいい人生になって、今も毎日楽しいです。楽しいと思う方向に進んできたので、ずっとストレスなく生きています。
――遠い夢を追い掛けて切羽詰まるより、毎日を楽しむほうが、良い流れを呼ぶのかもしれませんね。
私も夢を目指してバイトをしてましたけど、バイト自体も楽しかったんです。乃木坂46の2期生を受けたときはもう19歳で、落ちると思っていたから別の道も考えていて、そっちに行っても楽しかっただろうなと。
夢が叶ったら一番いい。でも、その過程の1日1日を充実させていれば、結果はどちらに転んでも、楽しい人生になると思います。
伊藤かりん(いとう・かりん)
1993年5月26日生まれ。神奈川県出身。
2013年に乃木坂46の2期生オーディションに合格。2015年より『将棋フォーカス』(NHK Eテレ)の総合司会を4年に渡って務める。2018年に日本将棋連盟よりアマチュア初段に認定。2019年に将棋親善大使に就任。同年に乃木坂46を卒業。『カンニング竹山のイチバン研究所』(TOKYO MX)に出演中。10月より『開運音楽堂』(TBS)でミュージックプレゼンター。
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企画・編集:ぽっくんワールド企画 撮影:小澤太一 取材・文:斉藤貴志
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