スマートフォン用サイトを表示

アルバイトや転職に役立つ情報が満載!最新のお仕事ニュースなら【タウンワークマガジン】

2017年05月10日

27歳の出張料理人・新羅彩乃さんに聞く、やりたいことをどんどん形にする秘訣

出張料理人 新羅彩乃 タウンワークマガジン
出張料理人という一風変わった職業でテレビでも特集されたことのある新羅彩乃さん。小学生で料理人なることを志し、18歳でその夢を叶えた彼女はひとつの場所にとどまらず「やりたいこと」に挑戦し続けてきました。目標に向かって進むために必要なことや秘訣をうかがってみました。

「社長になってお金を稼ぐ」が夢だった小学生時代

――新羅さんが料理人になると決めたのは小学生だったそうですね。

私が小学5年生のときに母親が出産入院したんです。そのとき、仕事で忙しい父、部活で帰りが遅くなる兄、姉の代わりに私がご飯を作ったら「美味しいね」と言われるのが思った以上に嬉しくて。当時から「社長になってお金を稼ぎたい」という野望があったので、料理人だったら早く1人前になれそうだし、社長への道も近いかなと思ったんですよね。

――確かに、企業の社長になるより、料理人で独立して社長になるのが早そうなイメージですものね。それで、料理人になってから、いろんなところで働いていますよね。

すべて飲食業界ではありますけど、いろんなところを渡り歩いてきました。高校卒業後、ホテルの和食レストランに入社して、上司から超スパルタ教育を受けて。でも、私がいたホテルが出世のスピードがすごく遅くて3年いてやっと盛り付けさせてもらえる…みたいなところ。「これじゃ10年いても料理が作れないのでは」と思って1年ちょっとで退職。

その反動ですぐに料理が作れるところがいいと個人経営のフレンチレストランで働き始めました。ここでも最初の課題は1から10までのフランス語を覚えてこいというもの。「それ、料理に関係なくない?」って感じであまり聞いていなかったんです。それでも、ダシのひきかたや下準備などはオーナーシェフから教わりました。ただ、熱心なシェフで夜遅くまでいろいろ教えてくれるんですけど、当時19歳で遊びたい盛りの私は修行よりも遊びに行きたい気持ちが強くて。結局、そこも残業が多すぎて辞めてしまったんです。

それで、同世代がたくさん働いている居酒屋でアルバイトをすることにしました。ここは厳しい修行もなくみんなでワイワイやれるので楽しくて。

厳しい修行よりも楽しく仕事ができる環境をとった20代前半

出張料理人 新羅彩乃 タウンワークマガジン
――厳しい修行よりも楽しい職場環境を選んだんですね。

そうです。この頃はただ、毎日が楽しくて「料理人として独立して社長になる」という夢も薄れていたんですよ。そうしたら、仲良しのお客さんから「アナタは将来、何がしたいの?」と聞かれて。それで、昔からの夢を話したら、「今、ここにいたらずっとこのままだよ」と言われたんです。自分でも薄々、わかっていることを人からはっきり指摘されるのってキツいですよね。でも、そのお客さんは「独立したいのなら、きちんと料理を学びなさい。勉強をしている1年間はしんどいかもしれないけれど、10年後が楽しいほうがいいでしょ」と言われて、その通りだなと。

――目の前の楽しさを捨てて、10年後に楽しい方をとることにしたんですね。

それで、22歳のときに調理専門学校に通い始めました。ここで初めて料理の基礎を学んで、ホテルの上司やフレンチレストランのオーナーシェフが言っていたことが理解できたんです。フランス語の数字は料理を作るうえで欠かせない言葉だと分かったし。これまで上の人たちが私に教えてくれても「それ、必要あるの?」と思って真剣にやってこなかったことが、すべで大事だったと分かりました。教えてくれた人たち、ごめんなさい!!って気持ちでいっぱいです(笑)。

でも、性格的に最初から勉強だと理解できなかったと思うんですよ。先に現場で実践していたうえで勉強し直したので、余計、頭に入ったんですよね。私みたいなタイプは後で学校に入って正解だったと思います。

出張料理人 新羅彩乃 タウンワークマガジン
――勉強するのに順番は関係ないんですね。必要な時にいつでも勉強すればいいわけで。それで、専門学校を卒業した後はどんな仕事を始めたんですか?

卒業後は肉の勉強がしたかったので精肉店で肉の部位から学び、その後、独立の一歩として和食店で2店舗を任されて店舗マネージャー兼、人材育成などを担当しました。

――卒業後は目覚ましい活躍ですね。でも、店舗マネージャーから出張料理人にシフトした理由は?

私、もともと「お金を稼ぎたい」という気持ちが強いので、店舗運営に関わるようになって、店を持って利益を出すのはなかなか難しいということが分かったんです。家賃もあるし、食材を用意してもその日、お客さんが何名来るのかも分からない。そんなとき知人から、出張で料理を作りに来てくれないかとオーダーがあったんです。

出張で訪れたのは耳の不自由なおじいちゃんとそのファミリーがいるお宅。おじいちゃんに聞こえるよう、みんな大きな声で話していて、これだとレストランで食事をするのは大変だろうなと思ったんです。それで閃いた! いろんな理由でレストランには行けないけれど美味しいものを食べたいと思う人たちに料理を届ける仕事をすればいいんだと。家賃もかからないし、食材もオーダーがあったときに集めればいいからムダがない。それで、昨年出張料理人として独立しました。

自分が作った料理で楽しそうに食事をしている人を見るのが幸せ

出張料理人 新羅彩乃 タウンワークマガジン
――念願の独立を果たしたんですね。今の仕事で楽しいときってどんな時ですか?

いろんな人がご飯を美味しそうに食べている姿を目の前で見られる時ですね。おじいちゃんも子どもも社長さんも年齢や肩書問わず、食事をしているときは楽しそうで。そしていろんな人と出会えることも私にとってのやりがい。20代で社長同士の会食に呼ばれて、知り合いになれたりするので。

――ちなみに仕事ってどうやってとっているんですか?

すべて口コミです。人からの紹介がほとんどですね。だから、異業種交流会やいろんな人たちが集まるようなパーティーには必ず顔を出すようにしています。あとはパーティーの料理を担当するようにして、興味を持ってくれた人に営業をかけたり。それと、他にも飲食店のアルバイトもやっているので、そこでも営業をしています。

――アルバイトもしているんですか!?

出張料理の仕事が毎日入っているわけではないので、知り合いの飲食店を手伝ったり、人材育成の仕事もしています。これは和食店でのマネージャー経験が生きているんですよね。いままでいろんなことをやってきて「この仕事向いているの?これって私がやりたかったこと?」と悩んだり落ち込んだりしましたけど、どの経験も生きているんですよ。寄り道だと思っていたことがすべて正しい道に通じるための道順だったというか。

やりたいことを口に出すことで実現していく

出張料理人 新羅彩乃 タウンワークマガジン
――新羅さんのようにやりたいことをどんどん形にしていく秘訣って何でしょうか?

とにかくやりたいことを口に出すことですね。そうすると周りも覚えてくれて、きっかけがあったときに紹介してくれるんです。私も「独立したい」と口に出し続けていて、ここまで来られたので。あとは「自分がやったことは必ず返ってくる」ということは肝に銘じています。昔、「この仕事、キツイ、やめよう!」と自分の気持ち中心で仕事を辞めたことがありましたが、自分が店舗のマネジメントをしていたときにそれを多くのスタッフにやられたんです。そのとき、上司はこういう気持ちだったのか…と改めて分かりました。自分がされてイヤなことは絶対にしない。それは今、私が仕事を続けるうえで大切にしていることです。

――これからの目標を教えてください。

やりたいことがたくさんあるんです! ケータリング会社を設立したいし、料理によってみんなが笑顔になれる空間を作るプロデュースもしてみたい。そして、やりたいことがある10代、20代の若者を支援するような会社も立ち上げたい。こうやって口に出して叶えていきたいと思っています。

■プロフィール
出張料理人 新羅彩乃

http://www.pictaram.com/user/shinra_a/1750481236

取材・文:中屋麻依子 撮影:田辺さちこ

※文中の社名・所属等は、取材時または更新時のものです。

早速バイトを探してみよう