Shinji(シド)インタビュー 『どんな経験も必ず身になるから、自分で限界を決めつけないことが大切』
「delete」のレコーディングで意識したのは、荒削りな疾走感
——新曲「delete」がリリースされたばかりですが、最初に聴いた時の印象を教えて下さい。
明希くんが作曲していますが、スリリングな疾走感を感じました。レコーディングでは、丁寧に演奏するよりも荒削りで一発で録ったような勢いを出したくて、Aメロのミュートで刻んでいる部分はほぼ編集せずに収録しています。
——歌詞についてはどんな印象を受けましたか?
マオくんはいつも文学的な感じの歌詞を書くんですけど、今回はストレートですごく伝わりやすいなと思いました。
——マオさんは、バンドとしての年月を経て“そぎ落とす”ことに意識を向けられるようになったと話していましたが、Shinji さんはいかがでしょうか?
確かにその感覚は分かりますね。個人的なことでいうと若い頃よりも、少しずつ、自分自身や、自分の決めた決断に自信を持つように心がけたことで、自分の中にある制限が少しずつ減っている気はします。たとえば昔は写真撮影にしても、自分の好きなカットや顔の角度とかこだわりが多かったんです。でも、徐々に信頼しているカメラマンに委ねるとか、スタッフさんの言葉を聞けるようになってきた面はありますね。自然体になることで、良い意味でフラットになってきた所があるのかもしれないです。
——メンバー間においても、その変化はありますか?
そうですね。楽曲の制作時は、バチバチでぶつかることも多かったのですが、信頼関係が出来てからは作曲者が舵をとる傾向にあります。
——歌詞にちなんで、逆境に直面した場合の対応策について教えて下さい!
バンドを始めた頃は親に反対されたり、友だちに夢を語ってバカにされたりしたことが、逆に反骨精神になって頑張れました。親に関しては、今になってみれば、それが愛情だと分かるんですけどね(照笑)。
——ここ最近のエピソードもありますか?
一番悩んだり苦しさを感じるのはやっぱり曲作りですね。よく“曲が降りてきた”とか、カッコイイ発言を耳にしますけど、僕はそういうのが全くなくて(苦笑)。今までに作ってきた曲を越えたいと思うと毎回苦しいんですよね。
——それをどうやって乗り越えているのでしょうか?
なるべく気負わずフラットな状態で向き合うようにしています。最近は、「自分が作った曲の中で何が一番好きですか?」と聞かれた時に、あえて1曲を選ばなくなりました。自分の中で、一番を決めて言葉にした時点で、“その曲を越えなければいけない”という意識が働いてしまう。そうすると縛られて、その曲以上のものが出来ないんです。自分で“勝手に限界を作らない”ということは心がけるようになりました。
——5月には河口湖ステラシアターで野外でのライブも決定していますね。
シドには星空が似合う曲もあるし、天体観測にハマっていた時期もあるので、無事に晴れて星空の下でライブが出来たらいいなと思っています。
店長まで務めたアパレルショップで得た特技は、“ジーンズの裾上げ!”
——ここからはバイト経験について伺いたいと思います。
長く働いたのは、アパレルショップで8年、データ入力のデスクワークを2〜3年、テレアポを6年ですね。その他にも派遣の短期では、いくつかバイトをしました。
——最初のバイトはアパレルショップですか?
はい。高校時代にギターが欲しくて始めました。母親が店長として働いていたアパレルショップなんですけど、そこの店長代理の方がバンドをやっているということもあって母がススメてくれました。
——アパレルショップでは、どんな作業をされていたのでしょうか?
主に接客や陳列ですね。それとジーパンの裾直しもそこで覚えました。チョークでラインを書いて切って折って縫うんですけど、セールの日は何百本も対応していたので縫うのはすごく早いですよ!
——逆に苦手なこともありましたか?
接客が苦手でしたね(苦笑)。自分がお客さんとしてお店に行った時は、そっとしておいて欲しいタイプなので、無理やりは行かないようにしていました。
——先輩から怒られたりは?
売り上げ目標を達成出来ていれば大丈夫でした。売り上げが悪い時は、店頭に立ってメガホンで、「いらっしゃいませ、本日⚪⚪のセールを〜」と、なるべく多くの人に届くような働きかけはしていました。
——代案を立てられるのが素晴らしいですね。
ありがとうございます(笑)。当時は、お金が必要だったのもあって誰よりも必死に頑張っていましたね。後期は、店長としてお店を任されたので、レイアウトを替えたり棚卸しの在庫チェックをしたり。最終的には、他の店舗を回って抜き打ち確認をする仕事もしていました。
バイト先で出会った先輩に、バンドや遊び方までたくさんのことを教わった
——ちなみに、店長代理だった先輩とは仲良くなれたのでしょうか?
はい。色々なことを教えてもらいました。すでにライブハウスに出ているような人だったので、「どうしたらいいですか?」って素直に聞いて。アドバイスのおかげで地元(埼玉)で初めてのステージに立てました。
その後、東京に出ることを決めた時も、先輩に「本気でプロを目指すなら、人のモデルギターでステージに立っちゃダメだよ」と言われて、新しくギターを買って、オリジナル曲も1曲作って東京のステージに立ちました。先輩から、オリジナル曲をめちゃめちゃバカにされたのも良い思い出です(笑)。
——その方とは今も連絡をとっているんですか?
今でもたまに飲みに行きます。オシャレでカッコよくて、すごく影響を受けましたし、仕事や音楽以外にも、お酒の飲み方や遊び方など色々教わりました(笑)。当時、早く大人になりたいと思っていた時期だったので、より魅力的に感じたんだと思います。
バンドとバイトの両立に疲ていた時、救ってくれたのも音楽だった
——その後、データ入力のバイトを始めたのは?
アパレルショップが閉店してしまったんです。パソコンのタイピングが早かったので、それを活かした仕事を探しました。当時はすでにバンドも結成していて、自分たちのチラシを作らないといけなかったので、少しでもパソコンに触れられたらと。
——バンドも本格的になっていたんですね。
はい。ただ、バイトとバンドそれぞれに全力投球しすぎて、両立に少し疲れ始めた時期でもありました。メンタル的にも辛かったので、昼ご飯に誘われても1人になりたくて、よく公園で過ごしていました。
——公園ではどう過ごしていたんですか?
当時は、SIAM SHADEさんの曲を聴きながら、“なんで自分は成功しないんだろう”って、焦りとか不安で涙ながらにおにぎりを食べていたのを覚えています(苦笑)。
苦手を克服しようと思って始めたテレフォンアポイントのバイト
——その時期をどう打破したのでしょうか?
その会社も無くなってしまったので、次はバンド活動に集中するために、シフト制で自分の都合で入れるテレフォンアポイントや派遣の仕事を選びました。テレアポは、元々の自分の声が低くて普段から怒っているように思われることが多かったので、それを克服して声を高くするためのチャレンジをしてみようと思ったのも理由の1つでした。
——結果はどうだったんでしょう?
自分の中で一番高い声で勧誘の電話をするんですが、結果的にはあまり上手くいかなかったので、それ以来無理やりテンションを上げるのは止めました(笑)。それでも“向いてないものは向いてないんだ”と分かったことが重要だし、しんどかったですけど後悔はないです。ちなみに、当時は仕事先の近所にある美味しいラーメン屋に行くのを心の支えに頑張っていました(笑)。
バイトは早く大人になりたかった自分を支えるためのものだった
——どのバイトも比較的、長く続いているShinjiさんですが、秘訣はありますか?
実は若い時に親父が亡くなって、母親の大変な姿も見ていたので、“早く大人にならなきゃ”という思いが強かったんです。そのためにはお金も社会経験も必要でしたし、夢を追うのであれば少なくとも親に迷惑をかけないくらいは自分で稼ぎたいという一心で続いていたんだと思います。
——最後に、これからバイトを始める方たちへメッセージをお願いします。
作曲の話と似ていますが、自分の中で決めつける前にやってみる。そこで好き嫌いを見極めればいいし、たとえダメでも自分の中に必ず残っていくので、色々なことを経験をしてみてほしいと思います。
Shinji(シド)
2003年結成。マオ(vo)、Shinji(g)、明希(b)、ゆうや(ds)からなる4人組ロックバンド。2008年、TVアニメ『黒執事』オープニングテーマ「モノクロのキス」でメジャーデビュー。結成10周年となった2013年には、初のベストアルバムをリリースし、横浜スタジアムで10周年記念ライブを開催、夏には初の野外ツアー4都市5公演で5万人を動員。
昨年9月には2年ぶりとなるアルバム『承認欲求』をリリースするなど、精力的に活動中。今年は5月にスペシャルライブとして、河口湖ステラシアターでの2days公演が決定している。
◆シド Official HP:https://sid-web.info/
◆Shinji Official Twitter:@shinji_sid
企画・編集:ぽっくんワールド企画 撮影:花井透 取材・文:原千夏
スタイリング:奥村渉 ヘアメイク:大平修子
衣装提供:kiryuyrik 03-5728-4048 / GalaabenD 03-6455-2065