咲人(JAKIGAN MEISTER)インタビュー『卒業文集に書いた“ミュージシャン”という夢。それが1つの指標になっている』~俺達の出発点vol.1~
2020年の復活を発表したNIGHTMAREの咲人さん。現在は、ソロプロジェクトJAKIGAN MEISTERとして全国ツアー中。音楽やギターとの出会いから、今を形成するまでに彼を支えた物や想いについて伺いました。
中学卒業時の文集に書いた“10年後の自分”——その時の想いが今でも支えになっている
——“自分を支えてくれた物”を中心に、咲人さん自身の変化を伺いたいと思います。
中学時の卒業文集に、10年後の自分を“ミュージシャン”と書いたんですけど、その想いはずっと変わらないという意味で文集を持ってきました。
——他の方は、会社に勤めているとか結婚とか現実的なことを書いていますね。
当時の自分もミュージシャンは特別というより、なるものだと思っていました(笑)。
——では、ミュージシャンを目指したキッカケから教えて下さい。
音楽をやる以前に、中学時代に学校にCDラジカセを持ってきた人がいて、カセットしか知らなかった自分からすると“CDってなんだ!?”って、音楽より先にそこで衝撃を受けました(笑)。それが、すごく大人びてカッコよく見えたから、親に頼んで買ってもらったのが最初のキッカケ。そこからCDを買うようになって、自分で初めて手にしたCDがToshiさん(X JAPAN)の「PARADISE」。そこで新しい世界を知ってロックミュージックにはまっていきました。
——そこからギターを始めたのは?
ギターはもうちょっと後で中2くらいですね。当時、仲の良かった友だちに「エレキギターを買った」って言われて、“なにそれ!?”って、第二の衝撃を受けて(笑)。漠然とギターは知っていたけど、“すげぇなコイツ、やたらかっこいいな”って。今でもそうだけど、形から入るところがあるんです(笑)。中2のクリスマスプレゼントで親に買ってもらうまでは、父親が持っていたガットギターで、“なんか違う”って思いながらXを弾こうとしていたのを覚えています。
夢中になる時のパワーは自分の理性さえも超越してくれる
——それが、いつから夢へと変わるんでしょうか?
ギターを練習して弾けるようになってくると夢中になって。そういう瞬間って自分を疑わないんですよ。1曲弾けるようになるたびに、音楽仲間の家に行くんだけど、小さいアンプを自転車のカゴに積んでギターを持って“早くアイツに聞かせたい!”っていう一心(笑)。夢中になった時の強い願望とか、疑わない気持ちにはすごいパワーがあるし、自分の理性でも逆らえない。その感情がずっと中学校から高校まで続いていった感じですね。
——ギターと出会った中学時代は、まだバンドは組んでいないんですよね?
はい。でも、中学の時に同級生のドラムの子と初めて音を合わせた時のことは忘れられない。各自が家で練習してきて、学校の音楽室でLUNA SEAの「ROSIER」を弾いたんだけど、2人の音が合わさった時の高揚感がすごくて、“バンドやりたい!”って。ドラムとギターだけだったけど、あの時の気持ちは、未だに何も越えていないかもしれない。それくらいのインパクトでした。
もう1つの支えになった物——イベント出演時にもらった缶はずっと使ってた
——そして高校では念願のバンドを始めると。
高校に入ってからは、学校の空き部屋を借りて防音性もなにもないところでやっていました(笑)。高1の時に、先輩が出られなくなった音楽の大会に誘われて、オリジナルもないのにコピー曲を演奏して賞をもらったんです。それで、翌年のTEEN’S MUSIC FESTIVALに出る権利を得て、そこで始めてオリジナル曲も作りました。
——ある意味、初めての認められた体験?
そうかもしれないです。TEEN’S MUSIC FESTIVALに出られたのは嬉しかったし、参加賞でちっちゃい缶の入れ物をもらったんだけど、それをずっとピックとかギターを調整するための道具入れにしていました。あまりにボコボコでガムテープで止めてたくらい。NIGHTMAREの初期のツアーもまだそれを使っていたけど、その後スタッフもつくようになって、缶にもこれ以上は無理させられないなと思って今は家に仕舞ってあります。
音楽や人との出会いが学生時代の自分を導いてくれた
——その賞をとったことで何か変化はありましたか?
ミュージシャンになろうとは思っていたけど、親に大学進学を辞めて音楽の専門学校に行くことを伝える時の後押しになりました。進路を決めるという意味では、柩(NIGHTMAREのメンバー)との出会いも大きかったですね。高校の文化祭で演奏した後に機材を片付けていたら、見にきていた柩にいきなり「プロになるために一緒にバンドを組まない?」って言われて。俺もなにを思ったのか「いいよ!」って。そのままメンバーとして今に至ります(笑)。
——初対面にして何か感じるものがあったと。
求められるとか、頼りにされたっていう体験の1つなのかな。思春期は“自分ってなんなんだろう?”とか存在理由を考える時期でもあるけど、俺もそういうのを考えちゃうタイプの人間だったから、そこで“こっちこいよ!”って手を差し伸べてくれたり、道を示してくれる人や言葉が嬉しかったんだと思うんです。
初めて音楽を聞いて涙が溢れた時のことは今でも覚えている
——道を示してくれるものが人であったり音楽だったわけですね。
そうですね。音楽でいえば、進路に悩んでいた時期に、別の学校の軽音楽部の子が「先輩、最近悩んでるみたいなのでこれを聞いてください」って貸してくれたのが、INORANさんのアルバムだったんです。そこに入っている「人魚」が、“自分を信じて諦めないで”というテーマの曲で。それを歌詞カードを見ながら聞いた時に、初めて音楽を聞いてボロボロ泣きました。それが、今でも自分たちの曲で、誰かを支えられたり、後押ししてあげられたら……と思う原点かもしれないです。
——お話を聞くと、すごくたくさんの出会いをされてきていますね。
人は必ず何かの影響を受けているわけだから、その影響をどう自分に生かしていくか。出会うものに対して、自分が何を感じるかを大事にしていくと世界が広がるし、刺激を受けることで何かが生まれていくんじゃないかな。
文集に書いた想いは、今でも悩んだ時にその霧を払ってくれる
——当時の自分と今で変化したところはありますか?
相手の気持ちを考えて発言するようになったことですね。今でも地元に帰ると、高校時代にバンドをやっていたボーカルの子とご飯を食べに行くんです。昔の話をしている時に、当時「この曲のキーは出ないよ」って言ったら、俺が冷たく「出そうとしないからでしょ?」って返したらしくて。でも、「やってみたら声が出て“お前が正しかった”って思ったけど、あの時はすごいムカいた」って言われて、20歳を越えてから反省しました(苦笑)。
——でも咲人さんの一言がなかったら1つ可能性が消えていたわけですから、その関係性はステキですよね。
そういう意味では一緒に音楽をやっていた友だちに恵まれたんだと思いますね。俺は常に意見を出し合って、良い意味でケンカしながら前に進みたいタイプなんです。だから、その時に言ったことは間違っていなかったと思うけど、相手が受け入れてくれたから成立したわけで、言い方一つで傷ついちゃう人もいるから、そこは難しいなと思いますね。
——かといって譲るばかりでもダメでしょうし。
気を使いすぎて、“そっちの意見でいいよ”っていうのも正しくないと思うから。物創りをしているうえで遠慮をしていたら、それこそ当時の自分に“なに気を使って嘘つんてんだ!”って思われそうだし。自分の意見を持ちつつ、相手とも対峙していくバランスは心がけるようにはなりました。
——今回挙げてもらった文集や缶は、今でも手にすることはありますか?
わざわざ取り出して眺めたりはしないけど、事あるごとに思い出します。自分が立っている場所が見えなくなったり悩んだ時に、その霧を振り払ってくれるアイテムになっていますね。その当時の自分に嘘はつきたくないし、文集に夢を描いた当時の自分が、憧れられる存在になっているかは今でも大事にしている部分です。
——では、最後に読者にメッセージをお願いします。
何かに迷った時の判断基準は、直感と夢中になれるかどうか。選択肢があったら、どっちががワクワクドキドキするかを大切にしてみてください。
咲人(JAKIGAN MEISTER/NIGHTMARE)
NIGHTMAREのギタリストであり、JAKIGAN MEISTERのソロプロジェクトでは作詞・作曲に加えヴォーカル&ギターとしてセンターに立つ。
◆NIGHTMARE OFFICIAL SITE:http://www.nightmare-web.com
◆咲人 Official Twitter:@suck_it_nm
取材・文:原千夏(ぽっくんワールド企画)、撮影:河井彩美 Hair&Make:松田よりこ
※文中の社名・所属等は、取材時または更新時のものです。