一葵(ザアザア)インタビュー 『人と話をするのが苦手だという思い込みを払拭してくれたバイト経験』【俺達の仕事論vol.47】
独自のコンセプトで着実に動員数を伸ばしてきたザアザア。感情の深くに迫る特異なステージングや、歌詞を手がけるボーカルの一葵(かずき)さんに、バイト経験についてインタビュー。地元での初々しいエピソードや、ザアザアとして大阪を活動拠点にしていた時代の特別な出会いについても伺いました!
初めてのバイトで学んだのは、基本的な挨拶やメモをとること
――どんなバイト経験がありますか?
時系列でいうと、ファストフード店、工場から届いたコンビニの惣菜を店舗ごとに仕分ける仕事、ファミレス、洋服店、古着屋ですね。
――最初にファストフード店を選んだのは?
生活費が必要で始めたんですけど、最初は“そこの食べ物が好きだったから”っていう、それくらいしか考えていなかったですね(笑)。調理のほうに入っていて、だいたい2年くらい働きました。でも、どのバイトも1年以上は続けています。
――初めての社会経験になるわけですが、印象に残っていることはありますか?
自分の礼儀が全くなっていなかったので、たくさん怒られました。普通に「おはようございます」さえも、ちゃんと言えないくらい出来ていない子だったんで、生活指導されるレベル(苦笑)。でも、そうやってちゃんと指導されることってあまりないので良い経験だったと思います。
――確かに家庭や学校とは違うかもしれないですね。
はい。それと、初めてメモをとるということを覚えました。最初は説明されて「はい」って返事はしていたんですけど全然覚えていなくて(笑)。それ以降は、どのバイトでもちゃんとメモをとるようになりましたね。
――その店で記憶に残っている事はありますか?
時間との勝負みたいなところがあったので待たせないように必死でした。昔は本当に要領が悪かったんです。でも、徐々に効率をあげて早く作れるようになっていったのは楽しかったですね。
――その後、惣菜の仕分けを選んだのは?
ダンボールで運ばれてきた惣菜を店舗ごとに仕分けるんですけど、朝の4時からの仕事だったので夜勤手当が出て給料が高かったんです。その時期は、仕分けとファミレスを掛け持ちでやっていました。
――ハードですね。
バンド活動も始めていたので忙しい時は、朝4時から8時まで仕分けで働いて、少し休憩して、11時から夕方までファミレスに行って、19時からスタジオに入る日もありました。生活費も必要でしたけど、バンドの方でもスタジオ代とか、レコーディング代とか、お金はそれなりにかかっていましたね。
ファミレスでバイトをしたことで、接客業の楽しさを知った
――ファミレスも調理のほうですか?
そこはウエイターでした。
――挨拶も出来なかったのに(笑)!?
ファストフード店で鍛えられたので(笑)。でも、ファミレスは初めての接客業だったので、よりコミュニケーション力が必要で、相手と接する時の表情とか話し方も意識するようになりました。
たとえば、お客さんからクレームがきた時に、最初は棒読みで「すみません」って言っていたのが、気持ちを込めることで表情や言い方も変わるし、ちゃんと相手に伝える大切さを自然と学んだ気がします。
――その後、地元の高知県から大阪に引っ越すんですよね?
はい。大阪では、興味のあることをしようと思って、もともと服が好きだったので洋服店と古着屋で働きました。ファミレスで働いたことで接客業が楽しいと思えたので、それ以降は接客業を選ぶようになったんですけど、さすがに洋服店でのお客さんへの声がけは難しかったですね(苦笑)。
――一葵さんは人見知りなイメージがありますが。
人見知りというより、あんまり人への関心が高くなくて(苦笑)。だから、プライベートですぐに人と打ち解けるのは難しいんですけど、仕事としての接客や声がけは出来ました。ずっと人と話すことに向いていないと思っていたんですけど、それはファミレスで働いたおかげですね。
――テンパったりはしないんですか?
テンパると早口になってボソボソって声がちっちゃくなるんです。でも行動には出ないので、あんまり気付かれなかったかもしれないです。今でも、ライヴ中に早口になっている時はテンパっている時です(笑)
バンドよりバイトが生活のメインになっていた時期は辛かったけど、反骨精神が養われた
――では、その後の古着屋はどうでしたか?
古着屋は、お客さんが持ってくる服を査定して買い取ったり、あとは店番とか。そこでは色んな服を見れたり、気にいったものは社割で買えたので楽しかったです。
――すでにザアザアとしてのバンド活動も本格的になっていたと思いますが、大変さはなかったですか?
休みはなかったですけど充実はしていました。でも、バイトがメインになってしまっていた時期は、“バンドのために働いているのに何やってるんだろう”って思うこともありました。でも、それを打破するためには“バンドを忙しくしていくしかない”って前向きに考えるようにしていたし、そういう反骨精神が育ったのは良かったことだと思います。
古着屋のバイト仲間が短い製作期間でザアザアの衣装を作ってくれた
――全部のバイトを通して特別な出会いはありましたか?
古着屋で働いていた時期に、同僚で服のリメイクが得意な人と仲良くなって。「コワイクライ」(2015年3月リリース)という曲の衣装を作るのを手伝ってもらいました。
――どういう流れがあったんでしょうか?
いずれ洋服店を出したいと思っているような人で、僕もバンドをやっているという話はしていたんです。バンドのことについても色々と聞いてくれたので、衣装で悩んでいるという話をしたら「教えられることがあったら、なんでも教えるよ」って言ってくれて。
その人に作ってもらった衣装はMVを撮るために必要だったんですけど、制作のための期間がめちゃくちゃ短くてグチられながら(笑)。3週間で、仕事をしながらメンバー分を作ってくれました。普通に衣装を頼むとすごく高かったので、頼れる人がいたのはすごくありがたかったですね。MVという作品として見せることが出来て、それは喜んでくれました。
――ほかの作品の時はどうしていたんでしょうか?
初期の頃は自分で作っていました。その人にミシンの使い方を教えてもらったりして、スーツを買ってきて袖を縫ったりするリメイク程度でしたけど。
――そこで洋服への興味がさらに増したりは?
音楽への思いは変わらなかったです。音楽には、5分でも聞いている人が涙をながしたり、人の心を動かすことが出来る魅力があると思っているので。
――ステキな考え方ですね。ほかに音楽関係でお金をかけたものというと?
1ヵ月生活を切り詰めて5万円のマイクを買いました。欲しいマイクがあったんですけど、楽器屋に行ってもたくさんあり過ぎて、迷って店員さんに聞いたのを覚えています(笑)。
何より大切なのは人間関係。お互いに気を使い合える関係が心地いい
――どのバイトも1年以上は続けてきた一葵さんですが、バイトを長く続けるための重要なポイントはなんだと思いますか?
人間関係ですね。仕事内容以上に、一緒に働く人の存在は大きかったです。上下関係は必要だと思いますけど、たとえば「なんでこれやってないんだ!」って言われたら、“そんな言い方しなくても……”って思っちゃうじゃないですか(笑)。そこで「これよろしくね」って言われると“頑張ろう”って。特に、ファミレスはみんなが優しかったので、分からないことも質問しやすかったですね。
それもあって自分も人に対して優しく対応するとか、言葉を選ぶっていうのは意識するようになったと思います。どんな場面でも、普通にお互いに気を使い合えるって大事なことだと思います。
心からのありがとうは相手の気持ちを変えられる
――バイトをして良かったと思えることは?
今思うとですけど、ファミレスで自分の働きに対して、直に“ありがとう”って反応がもらえただけでも当時は嬉しかったのを覚えていますね。
――“反応が直にもらえる”というのは、ある意味ライヴ感がありますね(笑)。
そうですね(笑)。良いライヴをすると、オーディエンスの顔色が変わる瞬間って分かるんです。それと同じで、良い接客すれば相手もニコニコしてくれるし心からのありがとうをもらえる。そういう意味ではつながってるんじゃないですかね。
――では、最後にこれからバイトを始める方にアドバイスを。
バイトには色々な出会いがあるんで……。ステキな女の子・男の子もいると思うので、楽しいバイト生活を送ってください!
――女性との出会いの話は出てきてないんですけど(笑)。
そうですね(笑)。でもトキメキはありましたよ。バイト先の先輩に片思いをした時期もありましたし……って、あんまり話が広がらなかったですね(笑)。とにかく、出会いも勿論ですが、僕の場合はバイトを通して、人とコミュニケーションも取れるようになったので、何かしらプラスになると思います。
一葵(かずき)/ザアザア
2014年12月に大阪を拠点に全国で活動を開始。中毒性のある楽曲と独自のコンセプトで着実に動員数を伸ばし、東京に活動の拠点をうつす。昨年12月に、4周年記念ワンマンを渋谷WWWで行いソールドアウト。
7月4日から始まる夏のワンマンツアー『取扱注意』のファイナルには、バンド史上最大キャパとなる、新宿BLAZEが決定している。
◆ザアザアOFFICIAL SITE:http://xaa-xaa.com/
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※すべての詳細は、http://xaa-xaa.com/
企画・編集:ぽっくんワールド企画 撮影:青木早霞(PROGRESS-M) 取材・文:原千夏