奏多(ぞんび)インタビュー『“どんなバイトをやるか”じゃなくて、“そこで何を掴むか”に意味がある』【俺達の仕事論vol.46】
独特な世界観を持つヴィジュアルと、毒々しい強烈なインパクトを放ちつつ、キャッチーなフレーズを散りばめた楽曲が魅力のバンド、ぞんび。今回はヴォーカルの奏多さんに登場いただき、バンドでの奇抜な姿からは想像つかない、意外なバイト経験について語っていただきました。
大好きな服を買うため、ファーストフード店で働き始めた
――奏多さんは、今までどんなバイトを経験してきたんですか?
高校1年の時にファーストフード店で働き始めて、高校卒業後は、日焼けサロン、焼肉屋、カラオケでもバイトしましたね。で、もう一度焼肉屋の別店舗に戻って働いたのが、最後だったと思います。焼肉屋のバイトが一番長かったので、印象的ですね。
――なんだか気になるバイト名が出てきましたが……ではまず、最初にバイトを始めたキッカケは?
僕、今もそうなんですけど、服が大好きなんですよ。だから、服を買うお金がほしくて。友達がバイトしていたファーストフード店が人を募集してるっていうのを聞いて、面接を受けました。僕の地元は静岡なので東京都内ほど時給は高くなくて、当時は時給が680円くらいで安かったんですけど、服のために頑張ろうって。
――探してみたら、もう少し時給の高いバイトもありそうですけど。
居酒屋とかで働けばもう少し時給がよかったのかもしれないけど、当時は考えていなかったですね。というのも、高校の時はテニス部で朝練があったから、その前に働けるバイトがよくて。ファーストフード店だと朝メニューがあるから、都合が良かったんです。
毎日、朝5時~7時までバイトをして、朝練に出て、授業を受けて、放課後にまたバイトをするっていう繰り返しでしたね。高1の終わりから、受験勉強が本格的になる高2の終わりくらいまではそこで働いていました。
――そして、入ったバイト代は……。
貯めることはなく、全部服に消えました(笑)。最初に入ったバイト代も、ほしくてずっと取り置きしていた服を買った気がしますね。2万5000円くらいの紫色の服を。って、今考えるとダサいな(苦笑)。
バイトをやめた後も交流があるくらい、バイト仲間とは良い関係を築いてきた
――結構派手な服が好きだったんですね(笑)。ということは、当時から明るい性格だったんでしょうか?
性格はそうだと思います。ただ、やっていた仕事は実はキッチンの方で(笑)。奥でひたすらハンバーガーを作っていたんですよ。
――じゃあ、ハンバーガー作りはお手の物ですか。
それが、めちゃくちゃ忙しい店だったから、スピード命で……その中でも丁寧さを求められるじゃないですか? 僕は細々とした作業が苦手だったから、作ったハンバーガーが包んでいる途中で分解しちゃうことがあって。「雑!」って、店長によく怒られてましたね(笑)。
他にも、毎朝、パティ用の肉の塊が届くんですけど、それを冷凍庫に運ぶ作業がめちゃくちゃ寒くて! 個人的には、その作業が一番苦手でした。
――苦手な作業が多かったようですね(笑)。好きだった作業はありますか?
好きだったこと……あっ、肉(パティ)を焼くのは好きでした!(笑)9枚くらい同時に肉を焼くんですけど、それは得意でしたね。
――好きな作業もあってよかったです。それに、怒られながらも1年は働いていたことを考えると、良い職場だったんでしょうね。
うん、みんなよくしてくれましたからね。バイトをやめた後も、何年かはその店に顔を出していましたし、良い関係は築けていたのかなって思います。このファーストフード店だけじゃなくて、他のバイト先でも人には恵まれていました。
ギャル男に憧れ、日焼けサロンと焼肉屋を掛け持ちする日々
――先ほどから気になっていたのですが、日サロのバイトは、高校卒業後、上京してから始めたんですか?
そうですね。僕、ギャル男になりたくて東京に出てきたんですよ(笑)。だから、大学の友達に「一緒に焼かない?」って誘われて、一緒に日サロで働き始めました。高校時代がずっと裏方だったから、接客業をやりたかったというのもありますね。
でも、上京して1年くらいは日サロだけだったんですけど、それだけじゃお金が足りないから、焼肉屋のホールと掛け持ちするようになって。
――自分も焼きつつ、肉も焼くようになった、と。
あははは。たしかに、バイト先の日サロでタダで焼かせてもらえたので、真っ黒でした(笑)。
――焼肉屋では、見た目について指導されたりはしなかったんですか?
当時は髪色も青かったから、接客中は「頭にタオルを巻け」と言われていたんですけど、結構自由な店でしたね。賄いで焼肉を食べられるというのも、大学生の自分にはありがたくて。1年くらい働いたところで、最初に働いていた店舗が閉店してしまって、一時期はカラオケで働いていたこともあるんですけど、後々、同じ焼肉屋の別店舗で働くことになって(笑)。そこに居た分も足すと、全部で4年くらいは焼肉屋でバイトしていましたね。
――ホールのバイトをする上で、大事にしていたことは何かありますか?
来店して最初のドリンクはとにかく早く出す、っていうのは徹底していましたね。仕事帰りのサラリーマンのお客さんが多かったんですけど、疲れてるのにドリンクが遅いとイライラするだろうなって思ったので、他のバイトの子にも「とにかく早く出して!」「あそこの席、まだ出てないよ!」って言うようにしていて。そういうところが気に入られたのか、よく話しかけてくれる常連さんもできました。
バイトを通してヴィジュアル系と出会い、歌を好きになった
――そういうお客さんとの交流が、接客業の醍醐味だったりしますよね。
そうですね。子供連れのお客さんも多かったんですけど、僕は子供が好きなので、お客さんの子供をあやすのも楽しかったです。
――それにしても、大学に通いながら、日サロ・カラオケ・焼肉屋でバイトをするって、いかにもリア充という感じがしますね(笑)。
どちらかと言えば(笑)。でも、大学よりもバイトの友達と遊ぶことのほうが多かったですね。当時のバイト仲間とは、今も仲良かったりするし。焼肉屋の店長も、僕がぞんびに加入したのはバイトを辞めてずいぶん経ってからなんですけど、「今、こういうバンドをやってるんです」っていう報告はしていたから、「ぞんびの曲がコンビニで流れてたよ」って連絡をくれたり、いまだに気に掛けてくれてて。
――それは嬉しいですね。とはいえ、店長さんも、まさか真っ黒なギャル男だった奏多さんがヴィジュアル系になるとは思わなかったのでは?
そうでしょうね(笑)。でも、僕がヴィジュアル系を知ったのって、焼肉屋でのバイトがキッカケだったんですよ。バイト先の先輩にヴィジュアル系好きな人がいて。バンドを始めたのもその頃だったから、あの焼肉屋でバイトをしていなかったら、バンドすらしてなかっただろうなって思います。
しかも、その後に始めたカラオケのバイトでは、お客さんから「なんか歌ってよ」って言われるので、歌うたびに自信がついて。バイト後に自由に歌わせてくれる店だったこともあって、バイトを通して、歌うことがもっと好きになっていきました。
バンドとバイトを両立する中で、コミュニケーション能力や自ら発信することを学んだ
――ただ、バンドとバイトの両立は苦労も多そうですね。
なるべく融通を利かせてもらえるように、店長にお願いしてはいたんですけど、バンドの用事が急に入った時、代わりに出勤してくれる人を探さなきゃいけないのは、結構大変でしたね。バイト仲間にはなにかと迷惑をかけてしまうので、普段はめちゃくちゃ気を遣って接してました(笑)。
早めに「今、バンドをやってるんだ!」って言っておいて、自分からみんなに協力してもらいやすい環境を作っていたことも、今思うとよかったのかなって思います。
――そして、諦めずに両立した結果、今があるわけですが、これまでのバイト経験を振り返ってみて、バンドをする上で活きていると思うことは何かありますか?
やっぱり、コミュニケーション能力とか、自ら発信する力みたいなものはバイトで学んだなって思いますね。接客もそうだし、バイト仲間との人間関係からも学ぶことは多かったので。今はヴォーカルとしてMCで話す機会も多いですし、インストアイベントなどで初めてのお客さんと話すことも多いんですけど、動じずに気さくに話しかけられるのは、バイトの経験があったからかなって。
――では、そんな奏多さんから、これからバイトを始めようとしている人へアドバイスをするとしたらなんでしょう?
僕自身、コミュニケーション能力を高めたいからこういうバイトを始めたというわけではなくて、友達の紹介からバイトを始めた結果、バンドという夢が見つかったので、深く考えずに始めてみたらいいんじゃないかなと思いますね。
“どんなバイトをやるか”じゃなくて、“そこで何を掴むか”に意味があると思うから、まずはとにかく始めてみる。そして、そのバイトを楽しめるかどうかは、自分がバイト仲間とどう付き合っていくかで変わっていくと思うから、バイト仲間と仲良くしたり、自分が働きやすい環境を作る。そうすれば、どんなバイトでも頑張れるんじゃないかなって思います。とにかく始めることで、僕のようにやりたいことや将来の夢が見つかることもあると思います。
奏多(ぞんび)
2015年8月にバンドに加入して以降、唯一無二の歌とパフォーマンスで魅了し続ける、ぞんびのヴォーカリスト。
◆ぞんび OFFICIAL WEB SITE:https://zombie-web.com/
◆奏多 Official Twitter:@zonbi_kanata
※すべての詳細は、https://zombie-web.com
企画・編集:ぽっくんワールド企画 取材・文:斉藤碧 撮影:河井彩美