お笑い芸人・EXITりんたろー。さんインタビュー「介護の仕事を通して学んだ、”いろんな人の立場にたって楽しませる事”」
EXIT兼近大樹さんインタビュー
「やってみることがとにかく大事!自分の向き・不向きはバイトをする事で学べた」
初めてのバイトは、大学生の時の焼き肉屋
――りんたろー。さんはどんなバイト経験があるのでしょうか?
地元・浜松にいる時には焼き肉屋、ファミレス、派遣の仕事もやったし、NSC(吉本総合芸能学院)入学のために東京に出てきてからはパチンコ店や老人ホーム、芸人さんがやっている居酒屋で働いたりしました。
――最初にバイトしたのは、いくつの時なのでしょう?
大学生の時ですね。生活したり、遊んだりするお金が欲しくて。最初は、大学の先輩が働いていた焼き肉屋でした。
――仕事内容は、どんなものだったのでしょう?
ホールですね。オーダーをとったり、お肉やできた料理をテーブルに運んだり、片付けをしたり。炭火を使う焼き肉屋で、お客さんが帰ったあとのテーブルのロースター内部にこびりついた炭をはがすという仕事もありました。
――ほかにも、大変なことはありましたか?
肉の種類を把握するのにも苦労しましたね。カルビかロースかとか、ハラミかサガリかとか、見ただけでは判断しづらいんですよ。特にハラミとサガリなんかは、横隔膜っていう同じ部位でお腹側か背中側かっていうだけなので。
――わからなくなってしまった時とかは……?
「サガっちゃっているかもしれないですけど……ハラミかもしれません」とかって言って、お客さんに「ダメじゃんおまえ!」って言われたら、「すみません、確認してきます」みたいな。持ち前の明るさと愛嬌で乗り越えていましたね(笑)。
――その後上京したとのことですが、その時は何のバイトをしていたんでしょうか。
パチンコ店で働いていました。パチンコ玉を入れる“ドル箱”は、一気にたくさん運ばなきゃいけないときはすごく重いし、倒しちゃったりすると玉を回収するのが大変だったり色々あって……ただ、そこは地域密着型の店舗で優しい常連さんが多かったので、みなさんの温かさに助けてもらっていたところがだいぶあると思います。
――温かいお店でなによりです。そのパチンコ店は長く続いたんですか?
それが、芸人って急に仕事が入るから、バイトを代わってもらうのが大変で。それでも途中までは理解してもらっていたんですけど、結局やめちゃいました。ま、芸人あるあるだし、だから芸人はみんないろんなバイトを転々とするんですよね。
介護士は、僕みたいな“受け流せる”人に向いている仕事
――その点、老人ホームは、芸人であるりんたろー。さんにとって理解ある職場だったのでしょうか?
僕はオープニングスタッフで、その時のメンバーとは研修からずっと一緒だったこともあって、本当に理解があったんですよ。急に芸人の仕事が入っても、「行ってきなよ」って言ってくれましたから。
――ありがたいですね。しかし、芸人として夢を追いながら老人ホームで働く、という両立は意外な気もします。
もともとおじいちゃんおばあちゃんが好きだし、ただ普通に働くのはもったいないなっていう想いがあって。チャラ男とおじいちゃんおばあちゃんのコラボはきっと面白いはず、いろんなエピソードが生まれるはず、って思ったんですよ。
――まさかの発想。ただ、介護の仕事は力仕事も多く精神的にも大変だ、とも聞きます。
確かに過酷だし、その割にお給料も高くはない。だから、人の入れ替わりが多いんですけどね、僕は8年くらい続けました。
――りんたろー。さんがそんなに長く働き続けられたのは、どうしてなのでしょうか?
単純に、介護の仕事が自分に合っていたから、じゃないですかね。大きな介護施設ではなく、小さなところでアットホームな雰囲気だったし。食事や排泄、入浴の介助も当然あり、認知症の方もいたりして、さっき言ってもらったように、力仕事が多くて精神的にも決して楽な仕事ではないんですけどね。おじいちゃんやおばあちゃんと触れ合う中で、僕のことを孫みたいに思ってくれる瞬間があったり、話しかけたときに笑顔を向けてもらえたりすると、やっていてよかった、って思えたりもするんですよ。あとは、起こることにいちいち一喜一憂せず、これはしょうがないことなんだ、って思うことも大事。僕みたいな“受け流せる”人に向いている仕事なんじゃないかな、と思います。
“芸人を絶対続けていく”という想いが心の支えだった
――芸人の仕事と両立させるのは辛くなかったですか?
そんなに大変じゃなかったですよ。長らく、お笑いの仕事があまり忙しくなかったですからね(笑)。それに、お笑いの仕事で行き詰まったときは介護の仕事で気分転換出来たりしたりもしたので。
――きっとその逆もまた然り、うまくバランスがとれていたのですね。当時、バイトの掛け持ちはしていたのでしょうか?
していました。介護の仕事は2日連続で夜勤できないから、空いた日に居酒屋のバイトをしたりして。お笑いの仕事もないのに遊ぶのはダメだろうって思っていたから、当時は寝る時間も惜しんで働いていましたね。
――すると、時に心折れそうになるときもあったと思うのですが、心の支えになっていたものというと?
実際、心折れそうになったこともあるんですけど……芸人を絶対続けていく、っていう気持ちですかね。あと、介護の仕事がしんどい時は同じ老人ホームで働いていた彼女と一緒に励まし合ったし、お笑いの仕事で悩んでいる時は芸人の同期が奮い立たせてくれたんですよ。相席スタートの山添なんかは、僕がピンになった時、「絶対に舞台には出続けておけよ」って言ってくれて、そういう僕を見て兼近が声をかけてくれたりして。本当に、いろんな経験、人との出会いがあって、今の自分があります。
“まず飛び込んでみる”っていう勢いが大事
――いろいろなバイトを経験してきた中で得たものが、今の芸能生活に生きていたりもするのでしょうね。
人を認めること、それは老人ホームで働いてできるようになったことです。どんなに自分の気持ちが伝わらなくても、努力が報われなくても、それはたとえば認知症のせいであってその人のせいではないわけだし。人に対して、寛大になりました。
――考え方を変えると、ものの見方も変わって。
そうそう。病気のせいで意図せず暴れてしまう人をあの手この手でなだめるのは大変だけど、そういう経験はいろんな人と関わっていくためのコミュニケーション能力を磨く訓練になったと思うし。夜勤中、仕事はちゃんとしながら、隙間でネタ作りをしたりもしていたんですよ。そうやって、たくさんのハプニングやちょっとした空き時間をお笑いに繋げていけばしんどくなくなるし、いろんな人の立場に立って人を楽しませるためにはどうすればいいかを考えるにしても、介護の仕事を通して学んだことは多いです。精神的にも、だいぶ強くなったと思います。
――そんなりんたろー。さんが、夢を追う人、夢を追うための一歩をなかなか踏み出せずにいる人に何か言ってあげるとしたら?
まず飛び込んでみる、っていう勢いは大事だと思います。僕も、介護はまったく知らない世界だったし、自分に人の下の世話ができるのかなっていう不安もあったけど、やってみたらなんとかなりましたし。夢のためだと思ったら耐えられる苦しさっていうのもありますからね。ただ、やってみてどうしても自分に合わなかったり、そこで楽しみを見出せなかったりしたら、スパっとやめちゃってもいいと思う。なりたい自分、叶えたい夢があるなら、その芯だけはブレないように、躊躇せずにどんどん新しいチャレンジをしていってください!
りんたろー。
1986年3月6日、静岡県生まれ。東京NSC14期。
別コンビやピン芸人としての活動の後、後輩の兼近大樹から声をかけられ、2017年12月にEXITを結成。チャラ男キャラが光る“ネオ渋谷系漫才”で大ヒット中!
◆EXIT りんたろー。 Official Twitter:@rinnxofficial
◆EXIT りんたろー。 Official Instagram:@rinxbabygang
撮影:河井彩美 取材・文:杉江優花(ぽっくんワールド企画) 企画・編集:森晶
※文中の社名・所属等は、取材時または更新時のものです。