Room4: 高崎翔太 インタビュー2/3 【僕らの休憩室】
3回に渡ってお届けする高崎翔太さんのインタビュー。2回目は俳優としての転機や高校時代のアルバイトのお話です。高崎さんが高校時代に行っていたアルバイトとは……?
俳優一本で生きていこうと決めた25歳
―俳優一本で、生きていこうと決めたのはいつですか?
俳優としてやっていこうと決意したのは、25歳ぐらいですね。
その頃、窪田将治監督の映画『BAR神風〜誤魔化しドライブ〜』に出させていただいたのですが、窪田監督に死ぬほど怒られて、現場に行きたくなかったくらい…根本から打ちのめされたんです。
今までやってきたお芝居は何だったんだって思うくらい、作品との向き合い方が変わりました。俳優として、自分を見直すキッカケになりましたよ。
それまでは、漠然と台本を覚えて、ノリで演じていたところがあったんです。
でも、窪田監督と出会って、ちゃんと役柄をとらえて、一人の人間を育てるように、役を作りこむ楽しみや難しさを覚えましたね。
作品との向き合い方が学べましたし、単純にお芝居がおもしろくなってきたんです。
その時に、俳優として無理になった時の事を考えるのを辞めました。
たとえ売れなくてもやるしかないって思えたんです。
―役者の勉強のためにも、自分の出演した映画や舞台のDVDなどはチェックしますか?
舞台は見ないですね。
舞台って、理想の芝居に近づけるための稽古を1カ月もするんです。
それだけ役と向き合ったうえで、何回も公演を重ねますし、公演途中の映像も見ますからね。公演が終了した時点で、役柄の反省点も見えているんですよね。
だから、パッケージとして出来上がったものを見ることはないですね。
でも、映画は必ず完成版をチェックしています。
映画って監督がOKを出しても、その時点で自分は映像を見ていないんですよ。だから、その芝居の何がOKだったのか、完成版を見ないとわからないんです。
あとは、見ないと制作発表で何も言えないですからね(笑)
でも、自分の芝居って見たらへこみますよ。反省ばかり…見なくていいなら見ないです(泣)
―俳優になって、つらかったことはなんですか?
オーディションは落ちるとキツいです…、バイトの面接や、就活の面接で落ちるのも同じくらいキツいんでしょうけどね…。
ペラ1枚の台本を読んで演技をしただけで、自分では落ちる理由がわからないんですよ。
特に、CMのオーディションがわからないですね。
顔を洗ってくださいって言われて、その通りに洗うだけで合否が決まるんです。
どこに原因があるのかわからないことが多いです。
オーディション中もつらいですね。
同い年ぐらいの俳優が並んで自己PRをするんですが、何をしても笑わない審査員の方や、プロフィールばかり見ている審査員の方を前にするのは精神的にキツいですね。
オーディションに来る人もバラバラで「頑張ります!根性なら負けないです!」って勢いのある人もいますし、落ち着いた雰囲気の人もいます。でも、結果が出るまでどちらが受かるかわからないんですよ。
その時の正解を出した人が受かるんでしょうけど、オーディションは未だにわからないことだらけです。
お世辞を言わない接客を心がけたアパレル時代
―子どもの頃はどんなお子さんでしたか?
今と変わらず明るい性格でしたね。
女の子は苦手で…、今もそうなんですけど、あまりしゃべれないんです。何を話していいかわからないんですよね。
でも、友達は多かったです。男同士だとすぐ仲良くなれました。
―高崎さんは友達も多そうですし社交的なので、接客業に向いている気がします。
めっちゃ向いていると思います(笑)
アパレルショップでバイトしていた時は、たくさん服を売って歴代史上最速で時給が上がりました。
メンズのお店だったので、男性しかお客さんがいなかったのが良かったのかもしれないです。
その時は、なるべく、お世辞じゃない正直な感想を伝えていましたね。
似合わなかったら「その服は、っぽくないですよ。こっちはどうですか?」って正直に伝えると、お客さんも「そっちのほうがいいね」って、喜んで買ってくれるんです。
あとは、その人っぽくない服を買おうとしている場合は、コーディネートのアドバイスをしていましたね。
例えば、ピンクのチェックシャツ買おうとしていたら「大丈夫ですか? 合わせる服持ってますか?」って声を掛けるんです。
すると、お客さんも「どういう服が合わせやすいですか?」って聞いてくれて、会話になるんですよね。そこで「こういう服なら、合わせやすいですよ」って言いながら、コーディネートをするとセットで買ってくれるんです。
お店でもセット売りをしてくれって言われてたので、めっちゃセットで売っていました(笑)
―洋服に興味を持ったキッカケは?
姉ちゃんが、新潟でアパレル業をしていたことですね。
よくお店に手伝いに行きました。
でも、田舎だから人が少ないんですよ。これ店員必要なのかな? ってくらいお客さんが来ないんです(笑)
それで、人のいるところでアパレルの仕事をしたくて東京に出てきたんです。
でも、今は服に興味がなくなりました。当時、服にお金を使いすぎていたので、その反動ですね。
―高校時代は着るモノも意識していたんですか?
大体、ジャージを着ていました。どこへ行くのもジャージ。
ちょっとオシャレなNIKEのジャージを着ていたんですけど…、今、思えばヤンキーっぽいですよね(笑)
東京に来たばかりの頃は、ジャージしか持っていないので、アパレルの先輩からダサいって言われ続けていました(笑)ダサいって言われながらも、すごくかわいがってもらってたんですけどね。
お客さんに声を掛けてもらえば仕事も楽しくなる
―高崎さんは、ガソリンスタンドのバイトもされていたんですよね?
高校の部活を引退してから、卒業まで働いていました。
時期的に、夏と冬の両方を経験したんですけど、夏は暑いし、冬は寒い。キツかったですね。
―ガソリンスタンドで働いたキッカケは?
僕がバイトしたガソリンスタンドって、中学生の時に職場体験をした店だったんですよ。
僕の育った地域は、新潟でも田舎の方なので、家の近くには何もなくて、求人誌を手に入れる手段もなかったんです。
だから、最初どこでバイトができるかさえもわからなくて…。
職場体験をしたあのスタンドなら働けるんじゃないかなと思って「バイトをしたいんです」って電話しました。それで面接を受けて、働くことになったんです。
当時は400ccの中型バイクに乗っていたので、洗車もできるし、ガソリンも安くなるかなって思ったこともスタンドで働こうと思った理由の一つですね。
田舎だったんで働ける場所といえば、ガソリンスタンドとコンビニくらいなんですけど、コンビニで働くと、お客さんとして苦手な先輩が来そうで嫌だったんですよ。
先輩は車を持っていなかったんで、スタンドなら大丈夫だろうと思いながら働いていました…(笑)
―どれぐらいの頻度で働いていたのですか?
学校帰りのバイトだったので、一日3時間、週に3、4日ぐらいですね。
業務は全部、やっていましたよ。
「オーライ! オーライ!」って車の誘導からはじまり、注文を聞いて、ガソリンを入れて、窓を拭いて、灰皿を変えて、洗車をして、空気圧を調べて…、かなりの業務をこなしていましたね。
好きだったのは洗車です。
基本的には機械が全自動で洗車してくれるんで、拭けばいいだけなんですよ。洗車中も座ったままでいいですしね。ラクな作業なんで、洗車を頼まれた時はラッキーって思ってました(笑)
ただ、意外と拭く箇所は多いんですよ。でも、綺麗に拭くと全体的にピカピカになって気持ちいいんです。
―ガソリンスタンドでの、やりがいはどこでした?
お客さんに顔を覚えてもらえた時ですね。
車好きなおじさんに「おう、今日もチャラチャラしないで頑張ってるな!」って、声を掛けてもらうとうれしいんですよ。
良いこと言われれば「あざーっす!」って、失敗したら「すみません!」って、元気よく返事をして、なるべくニコニコと笑顔を心がけて仕事をしていました。
常連さんと仲良くなれればうれしいですし、仕事も楽しいですよね。
高崎翔太(たかさき・しょうた)
1988年9月21日、新潟県生まれ。
2008年『ミュージカル テニスの王子様』でデビュー。約2年に渡り、青学5代目・菊丸英二役として活動。以降、舞台・映画・ドラマなどを中心に活動中。
主な出演作品は『おそ松さん on STAGE ~SIX MEN’S SHOW TIME~』、『あんさんぶるスターズ!オン・ステージ』、ミュージカル『薄桜鬼』シリーズなど。
今後の出演作品は、『あんさんぶるスターズ!エクストラ・ステージ~Judge of Knights~』、映画『サムライせんせい』など。
【公式チャンネル】 http://ch.nicovideo.jp/tokientertainment
【公式twiiter】 @takasaki_shota
撮影:田形千紘 ヘアメイク:佐茂朱美 取材:舟崎泉美
撮影地: KICHIRI Garden Table 北千住