楓(R指定)インタビュー『仕事は1人では成立しない。人間関係も含めてバイトで学ぶことは多かった』【俺達の仕事論vol.43】
結成10周年、独自の世界観でヴィジュアルシーンを席捲するR指定。ギターの楓さんに、学ぶことが多かったというバイト経験について伺いました。広い視野を持つ楓さんならではのインタビューは必見です!
高校時代は、バイトをすることが、大人びてカッコよく見えた
——初めてバイトをしようと思ったのはいつですか?
高校1年の夏休みに、原付バイクの免許を取るためにお金が欲しくて始めました。周りの友だちもバイトを始めていたし、お金を持っているのがすごく大人びて見えて羨ましいっていうのもありましたね(笑)。
最初はコンビニの弁当を作る工場で、惣菜を箱に詰めるとか、寿司用のシャリを並べる流れ作業でした。8時間ずっと作業するんですけど、時間が過ぎるのが遅く感じて、単純作業はあんまり向いていなかったです。
——それは夏休みだけだったんですよね。
親にバイトを反対されていたのもあったから夏休みだけ。でも次は、高校2年の時にバイクが欲しくて継続的にバイトをしました。“欲しいものがあるなら働くのは当たり前”っていう考えは昔からあったし、放課後に友だちを遊びに誘うと、「今からバイト」って言われるのがカッコよくみえて。“俺もバイトって言いてぇ”っていう(笑)。
カッコイイっていう意味では、夏休みの工場でのバイトは給料が手渡しだったけど、次に始めたコンビニのバイトは振込みだったから、その時に初めて自分の通帳も作ったんです。今でこそ普通ですけど、田舎の学生にしてみたら、「俺通帳あるけど、お前どこの銀行?」みたいな。その全部が大人びて魅力的でした(笑)。
——すべては“カッコイイ”から始まっているわけですね(笑)。
バンドもそうだったし、全部はそれが基本なんだと思います。次にバイトしたコンビニでは、通常業務は普通にこなしていたけど、お歳暮とかお中元の受付、クリスマスケーキの受付とかが苦手でしたね。お客さんに用紙にいろいろ書いてもらわないといけないんですけど、まず言葉の意味がわからない。“どこに何を書けばいいの?”みたいな。最初に教えてもらってはいたけど、毎回オーナーに「ここに何書けばいいんすかぁ」って電話で聞いていました。
——悪いなと思いつつも電話はすると(笑)。
ちょっと適当なところがあるから、結局面倒くさいが勝っちゃって全部を覚えるまでは出来なかった(苦笑)。でも仕事に関しては、飛ぶとか無断欠勤だけは絶対にしなかったですね。自分が休んだら、代わりの人を店側は探さないといけないし呼ばれたほうも大変だから。仕事になると迷惑のかかり方が違うっていうのは無意識のうちに思っていました。
説明も含めて教えてもらえたことで、すべてのことに意味があると気づけた
——楽しかったことは?
シフトが終わった後に、お金が合っているのか確認をするんですけど、計算が合う瞬間は気持ちよくて好きでした。違算が出てもお金を数え直して、どこがおかしいのかを探して合うと“よしっ!”って。
あと、そのコンビニでは陳列の順番も細かく指示されて。「こう並べたほうが、こういう理由で手にとりやすいから」って説明をされると、うるさいなと思いながらも“確かにな”って。お客さん目線で考えることを学んだし、説明しながら教えてくれたから、すべてのことに意味があるんだと思った記憶はありますね。
バイトを始める前は、必ずその店の下見に行ってた
——コンビニでのバイトは長く続いたんでしょうか?
そこでは4年くらい。その後、大学に入ってバンドを始めると、さらにお金が必要になるから、もう1つ別のコンビニで掛け持ちして働きました。もう1つのコンビニは、店長とも仲良くなっていて、髪の毛が紫でも大丈夫か聞いたら、いいよって言ってもらえたから。
実はバイトをする前はまず下見に行くことにしていて。コンビニであれば、店員さんの感じとか、客層とかを気にしてみていました。それには理由があって、募集の情報だけ見て、いざ入った時に“えっ!?”ってなるのがイヤなんです。自分のためっていうのもあるけど、店側からしたら“入ってみたけどイヤだから辞めます”って言われたら、“働きたくてそっちから連絡してきたんじゃないの?”って思うだろうなって。
——雇い主の気持ちを考えられるのはすごいですね。掛け持ちしたコンビニでは何か違いはありましたか?
ファストフードが充実していたのが楽くて。仕事量は増えたけど、それまで料理はしていなかったから、ホットドックにレタスを入れるだけでも“料理っぽいことしてるな”って(笑)。
——やっぱり“そんな俺カッコイイ”みたいな?
そうそうそう。そういう厨二病くさいところあるんですよ(笑)。普段はちょっと冷めてたけど、そういう節はあったなぁ。
趣味だった麻雀を生かしてはじめた雀荘でのバイト
——コンビニの掛け持ちを辞めたキッカケは?
バンドが割と忙しくなってシフトに入れなくなったのもあって、もともと趣味で行っていた雀荘で働きました。雀荘の仕事は、掃除やドリンク運びなどの接客もしていたんですけど、お客さんとの交流も多かったです。
雀荘は2店舗で働いたんですけど1件目を辞めた時に、ルールを知らないよりは分かっていたほうがお客さんとも話せるだろうし、ちゃんと知識として学びたいなと思って勉強もしました。2件目では結果的に現場のチーフになるところまで働きました。
——チーフ時代は大変でしたか?
人に教えたり伝えるのって難しいですよね。みんな同じではないから、接し方も変えていかないとダメだし。チーフになる前は、“その人が出来ないなら自分がやればいい”で済んだけど、それだと仕事量が限られてしまう。それぞれの立場で仕事を進めていくことが大事だということも学びました。
とはいえ当時は、チーフといっても立場としてはバイトだったから、オーナーに怒られたくなくて指導するっていう部分もありましたね(笑)。ただ、今は自分が経営者として人を雇う立場になっているので、余計に大変だなと感じています。
——改めて伺いますが雀荘では、どんなことを経験しましたか?
年配の人が多くて、普段だと接点がないような人しかいないんです。世代も職業も全く違う人たちが集まる人間模様が面白かったし、仕事でのトラブルが起きてもオーナーや、他のお客さんたちが気にして声をかけてくれたりして、“人が好きだな”と思えた場所でした。
——まさに社会経験の場だったんですね。
そうですね。お客さんだけじゃなくて、一緒に働く相手も“人として合う合わない”はあるけど、仕事をする上では仲間という感覚でした。結局、一緒に働くわけだからイヤがっても仕方ないんですよ。だったら“この人のこういうところは嫌いやけど、こういうところは面白いな”って考えたほうがいいなと。
――お話を伺っていると楓さんはすごく視野が広いですよね。
ありがとうございます(笑)。でも昔から、そういう見方をするところはありましたね。その雀荘は、R指定として拠点を東京に移すことになった時に辞めたんですけど、個人経営ですごく理解のある夫婦で、僕のバンド活動も応援してくれていました。上京の時は「とりあえずサインもらっとくわ、たまには来てね」って言ってもらって(笑)。3〜4年前に遊びに行った時には「頑張りよるね。音楽の世界は詳しくないけん分からんけど、すごいっぽいやん」って、HPは見ていてくれたみたいです。そこで、昔話に花を咲かせつつ、当時のお客さんとの再会もあったので行ってよかったですね。
すべての仕事はつながっているから、好きを見つけるキッカケもあるはず
——ちなみにバイトに追われて、バンド活動がおろそかになることは?
麻雀はあくまで趣味で“バンドのためのバイト”っていうのは変わらなかった。でも、それもアリだと思いますよ。バイトでいろんな職種を経験することで、実は“こういうのが好きなんだ”って知ることもあるだろうし。たとえば飲食店を1つとっても、フロアと調理がある。さらに、厨房に入った時に食材の発注で卸しの人と仲良くなって“こんな仕事もあるんだ!”って気づけるかもしれない。仕事が仕事に繋がっているから、やりたいことが見つからない人は、そういう視点を持ってみてもいいんじゃないですかね。
——バイト経験が、今に役立っていると思うことはありますか?
コミュニケーションとかバランス感覚ですね。中学・高校時代は“1人で生きていける!”って思っていたけど、仕事は1人では成立しない。たとえ工場で単純作業をしていても、隣には他の従業員がいるし、誰かがミスったら、誰かがカバーしてくれている。それを学ぶ最初のキッカケがバイトなのかなって。“雇われる=守られている”うちに、仕事や人間関係もふくめて学べたことは良かったと思います。
楓(かえで)
2008年地元福岡博多にて結成。2009年に活動拠点を東京にうつす。上京後のワンマンライブは次々に完売。2016年には前例のない全国88ヵ所を廻る『日本八十八箇所巡礼』を施行し、ファイナルを幕張メッセで行なう。楓個人としては、Art photo book『我楽画-ガガガ-』を企画&プロデュース。
◆R指定 OFFICIAL SITE:http://r-shitei.net/
◆楓 OFFICIAL Twitter:@r_shitei_kd_
企画・編集:ぽっくんワールド企画 撮影:河井彩美 取材・文:原 千夏 Hair Make:井上佳代
※文中の社名・所属等は、取材時または更新時のものです。