スマートフォン用サイトを表示

アルバイトや転職に役立つ情報が満載!最新のお仕事ニュースなら【タウンワークマガジン】

2019年04月19日

アーティスト・松岡侑李 インタビュー『いかさん時代から歌を続けてきたことが、今の松岡侑李に繋がっている』【クリエイターの原点 vol.5】

松岡侑李 いかさん 両声類 デジタルクリエイター インタビュー タウンワーク townwork

インターネットをきっかけに、動画や歌の配信、ゲームや楽曲制作などマルチな才能を発揮して今を走り抜けるデジタルクリエイターたち。そんな著名人たちの学生時代・駆け出し時代の貴重な経験や今に活かせていることを中心に『クリエイターの原点』として読者にお届けしていきます。第5回目は一人8役の声色でも有名ないかさんこと松岡侑李さん!

学生時代から動画投稿を始め、自由自在に声色を変えられるスキルと確かな歌唱力で注目を集める「いかさん」が、ジェンダーレスな男性ボイスを活かしアーティスト・松岡侑李としてメジャーデビュー。1月から連続リリースした3枚のミニアルバムについてインタビューしたほか、歌い手を始めた当時のお話や、学業との両立について伺いました。

 

3ヵ月連続リリースにしたことで、俯瞰的に自分自身の歌と向き合えた

松岡侑李 いかさん 両声類 デジタルクリエイター インタビュー タウンワーク townwork——メジャーデビューを、3ヵ月連続ミニアルバムリリースにしたのは理由があったのでしょうか?

色々な面を知ってほしいという思いでミニアルバムを3枚にして、それぞれにMV(ミュージックビデオ)の撮影もしました。これまで、歌い手の“いかさん”として特典用のMVを作ったことはありましたが、松岡侑李の表現として、振り付けもして歌ったのは初めてだったので良い経験になりました。

——MV撮影時のエピソードはありますか?

とにかく寒さが厳しかったですね(苦笑)。そんななか、朝早くから監督さん・メイクさん・衣装さんなど、スタッフさんたちが動いて下さっていたのがとても印象的でした。たくさんの方が関わってくれた作品だからこそ、より多くの方に知ってもらいたいという思いも強くなっていきました。

——それぞれの作品に対する曲選びのポイントは?

1月に発売した『.A(ピリオドエー)』は、“まずはこれを聴いてほしい”という自己紹介的な要素が強いですね。ジャケットも3パターンで色を変えているんですけど、『.A』は赤に象徴される鮮烈な「Burn!」が1曲目になっています。曲中にセリフが入っているので、少し攻めすぎかなという懸念もありましたが、最初のインパクトとして聴いてくださる方に刺さればいいなと思っています。

『.B(ピリオドビー)』は、挑戦や遊び心。その一環として初めて「まだ見ぬ僕らの世界へ君を連れ出してみようか」という楽曲で作詞をしました。ただ、最初はどこから手をつけていいのか分からなくて作詞本を買って勉強しましたね(笑)。曲から思い描いたイメージを頭の中でイラスト化して、ストーリーとして組み立てていく方法で挑戦してみました。

——作詞する楽曲は先に決まっていたんですね。

はい。松岡侑李はクールなイメージが強いと思うんですけど、あえて明るめの曲に素直な気持ちをのせました。星空の中で手を伸ばして、みんなで駆け上がっていく、みんなを連れ出したいという思いを込めて、1ヵ月くらい書いては消してを繰り替えして完成しました。

――そして最新作となるのが3月にリリースされた『.C(ピリオドシー)』。

その前に2作を作って、徐々に自分自身を俯瞰で見られるようになったので『.C』は発展を意識しました。レコーディングでは、より感情を重視して歌えたので、生身の歌声を強く感じてもらえると思いますし、3作を通して、作品ごとの変化や過程も見られると思うのであわせて楽しんでもらえたら嬉しいです。

 

昔から歌を含めて“表現”することが好きだった

松岡侑李 いかさん 両声類 デジタルクリエイター インタビュー タウンワーク townwork

――では、これまでの歩みもお伺いしたいのですが、音楽やニコニコ動画との出会いを教えてください。

小さい頃からテレビの前で歌手の方にあわせて一緒に歌って踊っていたそうで、カラオケが好きでよく連れて行ってもらっていましたね。小学生の時も、学芸会の主役をやったりと、昔から歌も含めて“表現”をするのが好きだったみたいです。

少し大きくなってからは自然とニコニコ動画を見るようになって、音ゲー(音楽ゲーム)にハマったり、“歌ってみた”の楽曲をよく聴くようになって。当時から、赤飯さんとかピコさんみたいな女声・男声を使い分けるアーティストや、ハイトーンで歌いあげるアーティストに惹かれていました。

 

女なのに女声を練習!? 中学時代に受けた友だちからの提案を“面白い”と思った

松岡侑李 いかさん 両声類 デジタルクリエイター インタビュー タウンワーク townwork——リスナーとして触れて以降、ご自身が投稿するようになったのは?

友だちから「ニコニコ動画で一緒に生放送をやろう」と誘われたのがキッカケです。最初は、雑談をしたりゲームの中継をしたりと、動画投稿というよりはユーザー生放送がメインでした。

その中で、友だちに「女声を練習しよう!」と言われて。その時は『ん!? 自分、女なんだけどな(笑)』と思いつつ、もともと男声と女声を操る歌い手さんに魅力を感じていたので、キャッチコピーとして『女が女声を練習してみる!』というのも面白いなと。ただ、途中で誘ってくれた友だちが忙しくて生放送に参加できなくなってしまって……。

――1人になった時に辞めようとは……。

それが、全く思わなかったんです。人から反応をもらえる楽しさや喜びを感じていたし、昔から目立ちたがり屋というのもあったので、むしろ“どうしたら1人でも続けていけるのかな”という感じでしたね。そのなかで、歌が一番聴き手にも伝わりやすいと思ったところで、“歌ってみた”をメインにするようになりました。それが15才で中学3年生の頃ですね。

 

まずは飛び込むこと。“やりたいからやる”という精神は昔から変わらない

松岡侑李 いかさん 両声類 デジタルクリエイター インタビュー タウンワーク townwork――生放送配信や動画投稿を始めるためにどんな準備をしましたか?

最初は、インターネット配信用の5千円くらいのUSBミキサーを買いました。歌に関しては、その付属品として付いてきたマイクと、フリーの音楽ソフトを使っていたので、しばらくは実質0円でした(笑)。学生ですし、そんなに高価なものは買えないですからね。

――これから動画投稿を始めたい方に勇気を与えますね(笑)。

“やりたい気持ちがあるなら始める!”もうそれだけでしたからね。“細かいことは後で考えよう”と(笑)。今“歌ってみた”に残っている一番古い作品が中学生のときに投稿した「夢地図」なんですけど、実はその前にも2〜3本投稿しているんです。

レコーディングをした後に、声に軽くリバーブをのせたり、音のMIXも自分なりに調べて試行錯誤しながらやったんですけど、今思うと素音源(歌を録音したままの状態)のほうが聴きやすかったかもしれないというくらい音質も悪くて(苦笑)。でも、楽しかったですね。

——そこからどのように輪は広がっていくのでしょうか?

全部自分1人だけでやった時に、どうしても音質等、うまくいかない部分があったので、当時好きなテイストの作品を投稿していたMIX師のひちまさんに掲示板を通してオファーしました。「東京テディベア」という曲で、構成的なアレンジは自分でしたんですけど、“冒頭に女声・ブレイクからは男声”という構成にして、初めの10秒にインパクトを持たせたことと、MIX師さんにお願いして音質もよくなったことで、一気に視聴者数が増えたのを覚えています。

当時は、歌うことも好きでしたけど、それ以上に投稿をたくさんの人に見てもらえるということが嬉しかったんです。

 

練習も含め学生時代は1日に平均3時間〜5時間くらい“1000本ノック”のように夢中で歌ってた

松岡侑李 いかさん 両声類 デジタルクリエイター インタビュー タウンワーク townwork――高校3年生の時に初めて、いかさん名義でCDもリリースしていますが、学業との両立は大変ではなかったですか?

高校生の頃に、動画投稿と生放送をしていた時期が一番忙しかったですね。授業が終わってからダッシュで家に帰って、そこからすぐにレコーディングや歌の練習を始めていました。特に動画作りのレコーディングは、フレーズごとに納得がいくまで繰り返し続けていたので数日かかったり、生放送も1時間30分〜2時間くらい1人で話して歌っていました(笑)。動画用のレコーディングと、生放送の中でも歌っていたので、1日に平均3時間〜5時間くらいは歌っていたと思います。

嬉しいことにファンレターなどもいただいていたのですが、ちゃんと読む時間を確保したかったので、それは授業の合間の休み時間に読んでいたりもしました。

松岡侑李 いかさん 両声類 デジタルクリエイター インタビュー タウンワーク townwork
――毎日続けることで歌声のスキルも磨かれていったんですね。

歌は練習するほどに好きになりましたし、比例して声の音域も増えていきました。始めた頃は1人2役が限界だったんですけど毎日練習していたら、女声だけでなく気付けば男声も含め1人8役まで挑戦するようになりました。

なぜ8役までやりたかったかというと、ボカロ(機械の音声)が歌っている「Crazy∞nighT」を、人間が出来たら面白そうだなとずっと思っていたんです。色々な声の面白さに注目して練習しているうちに、気づいたらバリエーションが増えていきました(笑)。

 

松岡侑李として始動したことで“届けたい歌”が変化してきた

——そういった歌い手時代の積み重ねが、アーティスト松岡侑李を育てたともいえるわけですが、メジャーデビューしてみて気持ちに変化はありますか?

“松岡侑李”を始動して一番変化したのは、届けたい歌が変わってきたこと。歌い手時代はカバー曲がメインだったので、“曲をどう調理して、どう聴かせたらみんなが楽しんでくれるか”に専念していたので、音作りや声色などに気を使っていたんです。

今はそれに加えて、作詞への挑戦も含めて“自分の感じていることを伝えたい”“アーティストとして積極的にオリジナルなものを発信していきたい”という思いが強くなっています。制作スタッフさんも、松岡侑李の世界を大切にしてくださるので感謝していますね。

——自宅の部屋で1人で作業していた時代に比べると……。

大きな変化ですよね(笑)。当時は1人での作業が多かったですし、若さゆえの頑固さもあって人から意見をされてもなかなか聞けませんでしたが、今は意見=アドバイス、加えていけるエッセンスとして受け止められるようになったことで、視野が広がって刺激も増えました。

――最後に、これから動画投稿や、音楽に関わる仕事をしたいと思っている人へのアドバイスをお願いします!

自分の場合、動画投稿を始めた時も、1人で幾つ声色を出せるかチャレンジしていた時期も、とにかく“出来るか出来ないか”じゃなくて、マインドはいつも“やってみよう!”だけでした。

それは音楽に限らずどんなことでも同じだと思うので、興味を持ったものであれば“好きだからやってみよう!”の精神で向き合ってみるといいと思います。

◾Profile
松岡侑李(まつおか ゆうり)
1996年9月23日生まれ/東京都出身
2011年から動画共有サイトにて「いかさん」として動画投稿を開始し、3枚のアルバムをリリースしている。
2016年からは声優/俳優として「松岡侑李」名義で、アーティスト・声優・俳優など様々なフィールドでの活動を開始。同年の初舞台『おやすみジャック・ザ・リッパー』ではK・A役、ナレーション、声のみのキャラクターなど1人4役を演じた。
確かな歌唱力とジャンダーレスなビジュアルが魅力。2019年1月から3ヵ月連続リリースしたミニアルバムでメジャーデビュー!

◆松岡侑李 OFFCIAL SITE:https://yurimatsuoka.com/
◆松岡侑李 Official Twitter:@matsuoka_info

撮影:河井彩美 取材・文:原千夏(ぽっくんワールド企画)

※文中の社名・所属等は、取材時または更新時のものです。

早速バイトを探してみよう