なぜか「モテる」人の秘密【第5回】「モテる」人の立ち位置(名越康文)
※第1回目のコラムはこちら>> 【第1回】思春期と「モテ」
※第2回目のコラムはこちら>> 【第2回】「モテ」のエネルギーを燃やすということ
※第3回目のコラムはこちら>> 【第3回】「モテたい」は「変わりたい」ということ
※第4回目のコラムはこちら>> 【第4回】「モテたい」から自意識過剰になる
「モテる」人は立ち位置が中途半端
人は自分に関心を寄せてもらいたいし、話を聞いてもらいたい。そして何より、「受け入れられたい」と願っています。だから、もしも究極の「モテる人」がいるとしたら、僕は「決して他人を断罪しない人」ではないかと思います。
僕たちはついつい、会話の中で他人や自分を批判したり、評価したり、判定してしまいます。これを止めるには、結局のところ「善悪」や「正邪」といった基準を捨てるしかありません。
でも、これは非常に難しい。これは、否定はもちろん、肯定もしない、中途半端な立ち位置に立ち続ける、ということですからね。
他人を肯定するというのは、無意識のうちに、他の誰かを断罪することです。でも、人は心のどこかで「善悪とか正邪があるから、人は正しい行動ができるんだ」と考えている。でも、本当の意味で他人を断罪しない人間になろうと思ったら、その基準そのものを一度捨てるしかないんです。自分を否定せず、他人を断罪しない境地は、あらゆる「レッテル貼り」を止めることでしか辿り着けないのです。
他人や自分にレッテルを張るのは執着です。「この人は私のことが好きに違いない」とレッテルを貼るからこそ、「嫌われていないか」という不安が生じる。「自分はモテない」というレッテルを貼ってしまった人は、実際にモテなくなる。でもね、現実にはすべてのことは変化していきます。人の気持ちも変化すれば、モテなかった人がモテるようになることもある。
「なぜかモテる人」とは何事にも執着しない人
心に貼ったレッテルをうまく捨てる方法を自分なりに見つけてみてください。そうすると、心は軽やかになります。
何事にも執着しない人というのは、端から見ると「天然ぼけ」に見えるかもしれません。「大いなる賢者は愚者に見える」といいますが、「なぜかモテる人」というのは、そういうところがありますよね。何事にも執着しない人は、人が安心して近づけますよね。相手を断罪しない人や、過去にも未来にも今にも執着しない人……。難しいけれど、そういう境地に向かっていきたいものです。
そこに近づいていくと、心が晴れ晴れしてきます。「モテる」というのは、そういう「誰にも頼らず、自分だけで爽やかな気分を作ることができる人」に訪れることなのかもしれませんね。
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名越康文(なこしやすふみ)
1960年、奈良県生まれ。精神科医。臨床に携わる一方で、テレビ・ラジオでコメンテーター、映画評論、漫画分析など様々な分野で活躍中。著書に『毎日トクしている人の秘密』(PHP、2012)、『自分を支える心の技法 対人関係を変える9つのレッスン』(医学書院、2012)、『Solo Time 「ひとりぼっち」こそが最強の生存戦略である』(夜間飛行、2017)などがある。 2019年より会員制ネットTV「シークレットトーク」を配信中。