声優インタビュー:野島健児【先輩のオフレコ!】2
プロとして社会で活躍する「先輩」たちの成長の秘密に迫る『先輩のオフレコ!』。声優・野島健児さんのインタビュー2回目の今回は、幼少期を過ごした大分でのエピソードやアルバイトに対する思いを語っていただきます。
厳しさを乗り越えた先にある自分を信じて
―思いがけず声優になった野島さんですが、声優を辞めたいと思ったことはありますか?
「ああ、もう辞めよう!」って思って、台本をビリッて破ったことは何回もあります。僕の新人の頃は、厳しい現場も多かったので。ゴホッゴホッってストレスで血を吐きながら通っていたところもありました(笑)
でも、どの世界でもきっと厳しさはあるので、厳しさを乗り越えた先の自分を信じてやってきました。とにかくものすごい負けず嫌いなんですよね。
なので、そういった辛さを乗り越えるためにも、自分の居場所作りを大事にしてました。
現場では、自分の座る物質的な「場所」の確保からはじまり、そこに座ってなるべくいろんな人と話すんです。すると次第にコミュニケーションがとれて、お互い助け合える。誰かにキツイことを言われても、助けてくれる仲間が自然とできるんです。
あとは向上心ですね。やっぱり人間、向上心をなくしたら成長せずに止まってしまいます。声優で向上心のない人はあまりいないんですよ。
雑誌とか本とかって、どんどん更新されるじゃないですか?
あれも同じ内容の本を出し続けていたら、売れないですよね。それと同じで、声優もどんどん新しいお芝居に挑戦して、身につけていかなければならないんですよ。
時代によって表現も変わるので、そういうところで自分自身をちゃんと更新していかないと取り残されてた古い人間になってしまいますからね。
どんなにベテランの先輩方でも、今日はじめて出会ったような新鮮な気持ちで、同じ役に毎週取り組んでるんですよね。そういった姿勢だったり、父と同じような世代の方でも少年少女のようなピュアさ、童心っていうものを絶対に忘れないで勝負している姿を見て、この仕事に対する純粋性の大切さも学びましたね。
―負けず嫌いの精神で先輩にも接していったのでしょうか?
そこは少し違っていて、負けず嫌いといっても自分との戦いなんですよ。
先輩たちを見て、どういうところに気付いて、どうやって盗んでやろうかとか、どう食らいついてやろうかって思っていました。でも、戦うわけではなく先輩は先輩で、僕は僕なんですよ。
赤色のペンが黒色のペンに勝とうとしても戦いは成立しないですよね。
どうやったら黄色は黄色としてきれいな色が出せるのだろうか、黒は黒として色を全うできるだろうかってところがすごく大事だと思うんです。
先輩の頑張っている姿を見て、もちろん僕も影響を受けるし、刺激を受けるんですけど、やっぱり戦うのは先輩ではなく自分なんです。
「生きるために」生きていた大分での自給自足生活
―仕事にも真摯に取り組む野島さんですが、これまでにアルバイトはされましたか?
アルバイトの経験はないんですが、家の畑仕事をして働いてました(笑)
僕は東京生まれなんですけど、母がナチュラリストだったこともあり8歳の時に家族みんなで九州の大分県竹田市に引っ越しし、それから18歳まで自給自足の生活をしていたんですよ。
当時は椎茸を栽培したり、お米を作ったり、果樹を植えたり、野菜を作ったりしていました。働いて得る報酬はすべて食べ物でしたね。
隣の家とも随分離れていて、回覧板を持ってくのも命がけなんですよ(笑)
ツタをつたって谷を降りるんですけど、その途中には蜂もいるし、毒蛇もいるのでほんとうに危険なんです。
1人で行くと危ないので2人がかりで行かなきゃならないんですけど、万が一のことがあっても助けを呼べるように、どちらかが緊急時に鳴らす笛を持っていくんですね。
30分ぐらいかかって谷を降りると、アスファルトの道に出て、そこをさらに歩いて川を渡った先に隣の家があるんです。そうだな、1時間ぐらいは歩くかもしれないですね(笑)
そういったほんとうに小さなコミュニティにいたので、僕にとって家族ってひとつの社会なんですね。それぞれの役割分担があって、全員が働かないとまわらないんですよ。
中学生ぐらいから草刈り機を使って草刈りをして、耕運機で畑をならして、もちろんご飯も作って、飽きないように週替わりで持ち場を交代して働いていました。当時は朝5時に起きて、田んぼの草抜きとかをしてたんです。ほんとうに「生きるために」生きていた感じでしたね。
ただ、フランスやドイツなど世界各国からいろんな人がホームステイに来ていたので人とのふれ合いはありました。
言葉は通じないんですけど、みなさん一カ月ぐらい滞在していくので、なんとかコミュニケーションをとっていましたね。
―周囲にいる同世代は、ご兄弟のみですか?
今もそうですけど、山奥で自給自足の生活している人たちは稀有な存在だったので、周りに同世代の子は少なかったです。
でも、兄弟の仲はすごく悪くって…、特に兄ですね(笑)
僕は3人兄弟の真ん中なんですけど、弟は末っ子でみんなから可愛がられていて僕とも仲が良かったんですよ。でも、兄とはケンカばかりでした。
やっぱり男同士ですし、子どものときって常にライバルなんです。遊ぶにしても、どっちが先にやるかで揉めたり…、数少ない友達をとりあって揉めたり、ただケンカの火種を作るのはだいたい僕でした(笑)
さわるなっていったものを片っ端からさわっていったり、大事だって言われたものは壊していったり、家に電化製品があるとすぐに分解したり、すごくあまのじゃくな子だったんです。
兄とはずっとケンカしっぱなしだったんですけど、17歳になったときに、僕の中で兄に対する意識が変わりました。兄が大分の番組制作会社に就職したんですよ。
ずっと家族という小さなコミュニティにいた兄が、社会に出て働いてる。ってことで一気に尊敬してしまったんです。
兄は番組を制作しながら、地方局のCMナレーションを読んだりしていたんです。テレビをつけたら兄の声が聞こえてきて、尊敬する反面、すごく悔しいな、負けてるなって思ったのを覚えています。
当時、兄は電車で1時間ぐらい離れたところに住んでいたんですけど、そこまで遊びに行って「どういう仕事してるの?」とか、「会社ってどうなの?」とか、「番組ってどうやって作るの?」とか聞きに行きましたね。
働いている!一人暮らししてる!社会人すげえ!って思った瞬間から、兄とのケンカはなくなりました(笑)
役者もアルバイトも仕事への思いは同じ
―アルバイトをしたことのない野島さんからは、アルバイトをしてる人達はどう見えましたか?
いろいろな友人の話を聞くと、もちろん大変そうだなと思う反面、楽しそうでうらやましいなと思っていました。
あとは、どういうモチベーションでアルバイトをしているか興味があります。
夢のために一生懸命働いてお金を作っている人もいるだろうし、夢はないけどいつか夢ができたときのためにお金を貯めている人もいるだろうし、今やっているバイトが将来進みたい方向性に近くて、勉強のために働いている人もいるだろうし、きっとなんの当てもなくはじめたけれど、すごく自分にあっていてバイトを極めてそのまま就職する人もいるだろうし、ってすごく気になります。
僕の友達は役者を目指しながらハンバーガーショップで働いていたんですけど、すごく頑張っていたので、毎日のように店長になってくれないかって声を掛けられていたそうです。でも、役者という夢があったので、かたくなに断ってバイトリーダーのままだったみたいですよ(笑)
飲食店の厨房でアルバイトをしていた別の知人は、モチベーションが上がらなかった日に「いつもと同じ材料で、どこまでおいしいものを作れるだろう」ってことに集中して料理を作ったそうなんです。
そしたらその日、お客さんが「すごくおいしかったです」ってわざわざ厨房まで言いに来てくれたらしくて「料理に込めた思いって、すごく伝わるな」って、アルバイトをしながら思ったという話をしてくれました。
そういう話を聞くとやっぱり一つ一つのお仕事への思いは役者もアルバイトも変わらないし、すごく大事なものだなって感じます。
最終回の次回は憧れのアルバイトや声優として大事にしていることについてお話してもらいます。野島さんが働いてみたいアルバイト先とは…?お見逃しなく!
野島健児 Nojima Kenji
東京都出身。主な出演アニメ作品は『PSYCHO-PASS サイコパス』(宜野座伸元役)など。最近の出演作品に『干物妹!うまるちゃん』(土間タイヘイ役)、『クズの本懐』(鐘井鳴海役)などがある。2017年10月からは、『干物妹!うまるちゃんR』が放送予定。
撮影: 佐藤航嗣 ヘアメイク:佐茂朱美 取材:舟崎泉美
撮影地: Peche