YOMI(NIGHTMARE)/淳(TAKE NO BREAK)インタビュー 『どんな仕事をするにしても、そこに愛があるべき』【俺達の仕事論vol.16】
NIGHTMAREのヴォーカリストYOMI。バンドが活動休止の現在は“淳(TAKE NO BREAK)”名義でソロアーティストとして活動中。
元来人見知りで、接客の仕事よりも、黙々とできる清掃の仕事が向いていると話すYOMI。メジャーデビューするまでのバイト遍歴を聞きました。
最初の給料で憧れのブランドのステージ衣装を買った。
――YOMIさんが初めてバイトをしたのは、いつ頃ですか?
高校生のときですね。友だちに紹介してもらって、ピザ屋で配達をしました。ただ、配達ってお客様対応をするわけじゃないですか。
――商品をお届けして、代金をいただいて。
そう、そういうやりとり、接客が、もともと人見知りな僕はあまり得意ではなかったんですよね。でも、僕の地元・宮城県の古川は田舎だから、ピザ屋とか、コンビニとか、スーパーとか、接客業ばかりで選択肢が限られていて。やってみたら、やっぱりつらかったです(苦笑)。
あと、当時やっていたコピーバンドのリハーサルとバイトのスケジュールをダブルブッキングしてしまって、バンドの練習を優先させてバイトをズル休みしたことがあるんですよ。そのとき、バイト先の店長さんと道で偶然会ってしまって、当然ながらかなり厳しくお叱りを受けたこともあります。
――かなり気まずいですけど、そこでピザ屋さんのバイトを辞めたりは……?
いや、辞めなかったですね。ちゃんと謝って、続けさせてもらいました。
――誠実に謝ったんですね。なお、初めてのお給料はどう使ったのでしょうか?
シフトをたくさん入れて稼いだ6万円で、ずっと憧れていたヴィジュアル系衣装の老舗、ID-JAPANというブランドの衣装を買いました。
その衣装を着てステージに立ったら、明らかにほかのコピーバンドとはクオリティが違っていたし、そのときたまたま対バンしたのが柩(NIGHTMAREのギタリスト)のバンドで、彼に「すごい衣装だね」って言われて。そこから柩と仲よくなって、一緒にバンドをやることになったんですよ。
――苦手な接客でもがんばったから、今があるわけですね。
ホント、がんばってよかったなと思います。ピザ屋さんのあとには、短期間ですけど、酒屋さんでバイトして。いくつもの飲食店に開店前に「お酒持ってきたよ!」ってお酒を届ける仕事、めっちゃ楽しかったですね。
力仕事は筋トレになるから、毎日生き生きし仕事をしていました。
――ピザを届けるのはつらかったのに⁉
ピザの場合は毎回違うお宅に行くわけですけど、お酒の配達はいつも同じ店舗に行くから、お店の人と仲良くなるんですよ。力仕事でもあったけど、筋トレにもなるし、毎日生き生きしていましたね。
その後、高校を中退してNIGHTMAREを組んでからは、清掃のバイトを始めました。僕の地元・古川は仙台から新幹線で一駅、在来線で1時間くらいかかるところにあって、仙台市内で毎日のようにメンバーとスタジオに入るのも大変だったから、18歳の頃からひとり暮らしをするようになって。
仙台駅からすぐのところにある、地上31階の複合ビルで、屋上からゴンドラに乗って、泡のついたワイパーで外から窓を掃除していました。
――高い所に上らないといけないわけで、危険を伴うし、ハードそうです。
そうですね、肉体的にはハード。でも、日給が9000円くらいだったかな? 当時としてはお給料もよかったし、高い所はわりと平気だし、黙々と掃除をするっていう仕事が自分に合っていたみたいで。接客にくらべて精神的にはラクだったし、楽しく仕事をしていましたよ。ただ、10階くらいの低いビルだと、ロープにブランコみたいなものがついていて、それで下りなきゃいけないんですね。それはさすがに「無理です!」って言ったら、何日か練習してみることになって……。
僕には接客よりも、黙々と清掃の仕事をするのが向いている。
――結果、ロープで降りたんですか⁉
いや、練習してみたものの、結局怖さを克服できずに、僕は免除してもらいました(笑)。
――風が強いときなんか、頑丈そうなゴンドラだって揺れていますもんね。怖いに決まっています。
そうそう、風が強いときはゴンドラでも結構揺れますからね。ま、その揺れに合わせてワイパーを動かすんですけど。あと、人間だけじゃなくて、それぞれが使う掃除道具にもちゃんと命綱をつけるんですよ。
――落下しないように、そういう安全策もとっているんですね。
ですから実際に落とたことはないです。
――そういった先輩やバイト仲間とは、仲よくなれたのでしょうか?
なれました! 「バンドやっているんですよ」っていう話をして、「がんばれよ」って応援してもらったりとか。ライヴがあるときには、シフトを調整してもらったりとか。
――融通をきかせてくれる、理解ある職場だったんですね。
それは、すごくありがたかったですね。
――ちなみに、掃除するのは窓だけだったんですか?
窓と、あと床清掃もしましたね。朝から20時くらいまで、各フロアの床に業務用ポリッシャーでワックスをかけたりとか。
――その場合、危険はないものの、単調な仕事のように思いますが……。
やっぱり僕は黙々と仕事をするのが好きみたいで、全然苦じゃなかったですよ。今でも、清掃の仕事をやりたいなって思いますもん。
お金をたくさん稼ぐより好きなことをする方が幸せ。
――つらかったことはなく?
仕事はつらくなかったんですけど、生活がキツかったですね。稼いだお金は家賃とバンド活動のために消えていくから、大好きな週刊少年ジャンプが買えなかったりとか。
――ささやかな楽しみにも手が届かないとなると、心折れそうになったりしませんでしたか?
いや、それはないんですよね。むしろ、NIGHTMAREの活動が忙しくなってバイトができなくなってからのほうが、しんどかったですよ。清掃のバイトを辞めたら当然のように生活が厳しくなって、再度接客する仕事を試したものの、やっぱり向いていないことを思い知らされ、1ヵ月で辞めてしまって。
その後は一度実家に戻ったんですけど、バイトする時間はないわけで、いい歳して親からもらう毎月のお小遣いを、なんとかやりくりしていましたから(苦笑)。
21歳でNIGHTMAREでメジャーデビューしたときは、純粋にうれしかったし、決まった給料をもらえるようになったので、ホっとしました(笑)。
――本当によかったです(笑)。NIGHTMAREが活動休止をしている現在、YOMIさんはTAKE NO BREAKとして活動しているわけですが、バイトでの経験が今に生きているなと感じることもありますか?
質問とはちょっとずれちゃいますけど……清掃のバイトを始めたとき、「接客よりこっちのほうが好きだ」と思ったんですね。そして今、やっぱり自分の本当に好きな仕事をするのが幸せなんじゃないかなと感じていて。お金をたくさん稼ぐよりも、僕にとっては好きなことをするほうが幸せなんです。
――いくら多くのお金を得られても、好きじゃない仕事であれば……。
最終的につらくなると思うんですよ。
頑張っている姿を見せたら、周りの見る目は変わる。
――割り切って仕事をする大人も多い中、YOMIさんは純粋さを失っていないんですね。
っていうことなんですかね。だって、楽しんで仕事できたほうが絶対いいじゃないですか。
――実際、今は新しくソロプロジェクトを立ち上げたばかりで大変なことも多いのでしょうけど……。
好きなことじゃなかったらつらいなと思っちゃうのかもしれないけど、超楽しめていますから。
――音楽が好きという気持ちはもちろん、ここまでのお話から察するに、YOMIさんは根性もあるのではないでしょうか?
根性しかないですよ、僕は。自分で言うのもなんですけど、だいぶ打たれ強いと思います(笑)。
――そんなYOMIさんが、これからバイトをしようとする人に伝えたいことは?
どこに行っても、人間関係は大事。もしうまくいかないときは、頑張っている姿を見せたら、周りの人の自分に対する見る目が変わるんじゃないかな。そして、どんな仕事をするにしても、そこに愛があるべき。その仕事を楽しんでできるかどうかということを、一番大切にしてほしいなと思います。
YOMI(NIGHTMARE)/淳(TAKE NO BREAK)
活動休止中のNIGHTMAREのヴォーカリスト。NIGHTMAREは2006年にリリースしたアニメ『DEATH NOTE』のオープニングテーマである『the WORLD』のヒットによって世界的に認知されるバンドになった。現在は“淳”名義でソロのプロジェクト“TAKE NO BREAK”として活動中。NIGHTMAREとはまた違ったエレクトロニカなサウンドを展開している。
◆NIGHTMARE Official Site:http://www.nightmare-web.com/pc/
◆TAKE NO BREAK Official Site:http://www.takenobreak.com/
◆TAKE NO BREAK Official Twitter:@takenobreak_com
企画・編集:ぽっくんワールド企画 取材・文:杉江優花 撮影:河井彩美