拓(ペンタゴン)インタビュー 『ライヴハウスでバイトしたことで、色々なジャンルの音楽を吸収できた』【俺達の仕事論vol.41】
“ダークファンタジー”をコンセプトに、幅広い音楽性が魅力のペンタゴン。今回はバンドでも作曲を多く手がけるギターの拓さんにバイト経験をうかがいました。バンド結成当初からお世話になったというライヴハウスRUIDO K4への想いも語ってくれました。
スーパーで初めてのバイト——初給料はバンドの資金になった
——初めてのバイト経験から教えて下さい。
高校1年の時、おばあちゃんが地元のスーパーに貼ってあったバイト募集のことを教えてくれて電話して面接を受けました。高校に入ってから兄とバンドを始めて、比較的すぐにライヴハウスにも出ていたから練習のためのスタジオ代とか、チケットのノルマでお金が必要で。初めてもらった給料は嬉しかったけど、そういうお金を払うとすぐになくなってしまったから、お金を稼ぐのって大変なんだなと思いましたね。
――ギターもバイト代を貯めて買ったんですか?
ギターは、母がピアニストで音楽家系ということもあって『楽器は高くても最初から良いものを使いなさい』と言われていたので、父からお金を借りました。ウチでは、金利なしの“パパローン”って言ってるんですけど(笑)。なので、父にバイト代から毎月払っていた感じですね。ただ、うやむやにしてる月が何回かあったような……。これ読まれるとマズイですね(笑)。
段取りを組むのが下手だったけど、周囲の人の優しさに救われた
——最初に働いたスーパーでは、どんな仕事を?
品物がなくなったら補充する“品出し”がメインでした。お店の中で補充することもあれば、倉庫で作業することもありました。
——初めての社会経験はどうでしたか?
大変でした。基本的にあまり仕事が出来るほうじゃなかったら失敗が多くて。たとえば、冷凍庫で品出しをする時に、外からしか開けられないのに、作業中に間違って自分で閉めて出られなくなったりしまって。「あぁ、俺の人生もここまでか……」とか若いながらに死を覚悟して凍えて震えてたら奇跡的にポケットにケータイが入っていて、バイト先に『冷凍庫に閉じ込められています』って震え声で電話して助けにきてもらったり(苦笑)。そうならないための指導はあったので、お店に落ち度はなくて、完全に自分の失敗だったんですけど、1つのことに熱中するとそれしかできないみたいです。
——危険だから、すごく怒られたのでは?
それがスタッフのみんなが優しくて、大柄な男性に『怖かったよなぁ、大丈夫だったか』って抱きしめてもらいました(笑)。自分のミスだったのに心配をかけてしまって申し訳なかったですね。他にも小さな、おっちょこちょいミスはたくさんしました。職業日誌があったんですけど、よくそこにも書かれちゃって。氷をつくる機械にスコップいれたまま帰って『スコップが埋もれていました、気をつけてください』とか。
人見知りだからこそ、話せない時は取っ付きやすい空気感を意識してた
——書かれると、ちょっとムッとしたりは?
いや、自分が一番出来てなかったんで(苦笑)。でも、どのバイト先でも上司とか先輩には可愛がってもらえたので楽しかったです。仕事だと必ず関わるべき相手がいるじゃないですか? 僕は人見知りなんですけど、そういう人とは無理してでも仲良くならないととは思っていました。簡単なことなんですけど挨拶は自分からしたりとか、話せない時は、“とっつきやすそう”って思ってもらえるようになるべく明るい表情で、話せなくても“いい人”って思ってもらえるように頑張ってました(笑)。
――確かに、第一印象の雰囲気ってありますよね。そのスーパーの他には、どんなバイトを経験しましたか?
バンドに力を入れるようになったら時間が合わなくなって、スーパーでのバイトを辞めて派遣に切り替えました。派遣は、音楽系の会場設営の仕事が多くて、たまに某J系の物販スタッフとかもやって、『物販に並んでる間は日傘を刺さないでくださーい』とか声がけをしたり、ウチワを売ったりもしましたね(笑)。
――ライヴ会場設営で印象に残っていることは?
東京ドームとか大きな会場が多かったんですけど、本当に敷地が広いんですよ! “こんな広いところいっぱいに人が入るのかぁ”って衝撃でしたね。イスを並べた会場を見て“この一区画くらいがいつものライヴハウスの大きさだよなぁ”って思ったりして。規模が大きすぎて、漠然と“すごいな”くらいにしか思えなかったですね。あとは、PA(音響)さんとか照明さんとかの技術職の方以外にも、バイトも含め、“こんなに人が動くんだな”と感じました。
カラオケ店業務で初めての接客。自分の中のスイッチに気づいた!
――それからもずっと派遣ですか?
その後は、バンドを続けながら大学に入ったので、大学近くのカラオケ店で働きました。ここで、初めて本格的な接客業をしたんですけど、自分の中でスイッチがあることに気づいたんです! 友だちになろうとか気負ってしまうと上手く話しかけられないけど、お客さんとして接すれば誰とでも話せるというスイッチです。当時、ステージでも少しMCをしていたので、度胸がついていたのかもしれないですけど(笑)。
――バンド経験がバイトに活きている新しいパターンですね(笑)。
でも、おっちょこちょいは治らなくて、部屋に入った瞬間にドリンクを全部こぼしたりとかありました。でも、ちゃんと謝れば許してくれたし何故か仲良くなって『これで美味しいラーメン食べな』って、お小遣いをもらったこともありました。
――拓さんの必死さが伝わったんでしょうね。
一生懸命ではあったと思います(笑)。毎回“次は失敗しないようにしよう!”って思うんですけど、それでも同じ失敗をめちゃくちゃしちゃって(苦笑)。でも、続けていれば1ミリずつかもしれないけど良くはなっていくし、頑張る姿勢は大事だなと思いました。
その後、地元のダイニングバーで、夕方から夜にかけて働いたんですけど、そこも接客がメインでしたね。店長がシェイカーを振るのがカッコよくて、『やらせてください』って言ってみたら、それも教えてもらえたので言ってみるもんだなと(笑)。
ライヴハウスの店長には感謝しているし、音楽で長く恩返しをしていきたい
——そこが最後のバイトですか?
最後はライヴハウス・新宿RUIDO K4のスタッフですね。バンドを結成した当初、一番たくさん出演させてもらっていたライヴハウスで、前のバンドの解散の時に店長に相談したら『とりあえずウチで働いてみたら?』って誘ってもらいました。
ドリンクの交換、チケットもぎり、掃除がメインで、ペンタゴンの前身バンドに加入が決まるまで、そこで働きました。RUIDO K4はヴィジュアル系だけじゃなくて、いろいろなジャンルのライヴをやっていたので、“こんなに音楽に触れられる場所はないな”と思って、ドリンクカウンターに入った時はいつもステージを観ていました。
――自分のバンドがない状態で、他の人のステージを見るのはメンタル的に辛くはなかったですか?
それはなかったですね、楽天的だったのかな(笑)。むしろ、せっかく色々な音楽が聴けるんだから、そこで吸収できたらいいなと思っていたし、本当にジャンルがバラバラで、アカペラのバンドとか、おじさんバンドとか、クラブイベントとか、いろんな音楽が自分に染み込んだという意味では今でもすごく大事な時間でした。
K4の店長には、今でもご飯に誘ってもらったりして感謝しかないですね。ペンタゴンになって、他のライヴ会場への出演が多くなって、あまりK4でライヴができない時期があったから“疎遠になっちゃうのかな?”って思ったこともあったんですけど、いつでも温かく迎えてくれて。だから、今でも『K4で働いていた』っていうことは公言したいし、自分のバースデイライヴは、毎年K4でやることにしているんです。無くなってしまうライヴハウスもある中で、ずっと出続けたいし、長く恩返しが出来たらいいなと思っています。
今あらためて思うのは、学生時代の行動力のすごさ!
――ちなみに拓さんは、高校から大学までと、バイト・学校・音楽の両立期間も長いですよね。
そうですね、めっちゃ大変でした。もう今じゃ絶対できない(苦笑)。“学生時代の行動力はすごいな”って今になってよく思うんですよね。今はライヴの日はライヴだけですけど、当時は学校から制服でライヴハウスに向かってライヴして、そのままバイトに行くこともありましたからね。それは、目指すものとか、やりたいことがあったから出来たのかなって。
なので、僕は無理に働けとは思わないんです。でも、目的のためには自然と頑張れると思うので、やりたいことがあるなら、それに向かってバイトをしてみるのもいいんじゃないかと思います!
拓(たく)
うさぎの人形“ペンタゴン”が目覚めた時に、メンバー千吊-chizuru-(Vo)、ゆとり(Gt)、拓(Gt)、眠花-minpha-(Ba)、篤輝(Dr)が集まっていたところから2015年1月バンドがスタート。“ダークファンタジー”をコンセプトに、多彩なビジュアルと音楽性で作品ごとに様々な表情を見せる。
♦ペンタゴン OFFICIAL SITE:http://pentagon-official.com/
♦拓 OFFICIAL Twitter:@pentagon_taku
企画・編集:ぽっくんワールド企画 撮影:河井彩美 取材・文:原 千夏