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2017年10月02日

声優インタビュー:森久保祥太郎【先輩のオフレコ!】1

森久保祥太郎 声優 爆走兄弟レッツ&ゴー!! ミニ四ファイター  MAJOR  茂野吾郎 NARUTO-ナルト-疾風伝 ナルト 奈良シカマル 弱虫ペダル うたの☆プリンスさまっ♪ ナレーター buzz★Vibes ヴォーカルプロとして社会で活躍する「先輩」たちの成長の秘密に迫る『先輩のオフレコ!』。話題の声優さんに、アルバイト・新人時代のお話を伺います。今回のゲストは『弱虫ペダル』の巻島裕介役や『NARUTO-ナルト-疾風伝』の奈良シカマル役で話題の森久保祥太郎さん。全3回に渡ってお届けします!

 

芝居の楽しさを知った英語演劇

森久保祥太郎 声優 爆走兄弟レッツ&ゴー!! ミニ四ファイター  MAJOR  茂野吾郎 NARUTO-ナルト-疾風伝 ナルト 奈良シカマル 弱虫ペダル うたの☆プリンスさまっ♪ ナレーター buzz★Vibes ヴォーカル―森久保さんがお芝居をはじめられたキッカケについて教えてください。

僕の地元は八王子なんですけど、子どもの頃に何度か引っ越しをして、小学校2年生のときにまた戻ってきたんですね。

そのとき隣に住んでいたのがお遊戯しながら英語を学ぶっていう英語演劇の先生で、その方から「近くに住んでいるお兄さんお姉さんも来るから遊びにおいで」って誘われて、習い事感覚で英語演劇をはじめたのがお芝居のキッカケです。

はじめはやる気がなくて、半ば騙されたと思いながら通いはじめたんです…(笑)
でも、おかげで中学のときに1カ月ほどアメリカにホームステイをしましたし、英語演劇で出会った仲間とは今でも付き合いがありますし、後に声優にもつながりました。今振り返ると通って良かったなって思います。

―演技を仕事にしたいと思ったのはいつでしょう?

高校のときですね。
僕は子どもの頃から人前に立つのが好きだったんですよ。

親父の出身地が福島なんですけど、福島にいた家族が楽器をやっていたんです。じいちゃんは太鼓を叩いてましたし、ばあちゃんは琴やってましたし、親父もギターやトランペットをやってたんですよね。
それを見て育ったので、子どもの頃から人前でなにかするっていいなあって思って、僕も中学からはバンドをはじめました。

それで高校に入って将来何になろうって考えたときに、漠然と芝居か音楽がいいなって思ったんです。

バンドで食べていくのもそんなに遠い現実じゃない気がしてたんですよ。高校のときは音楽をやってる大学生の先輩とも付き合いがあって、わりと身近な先輩がバンドでメジャーデビューをしていたんです。
当時はホコ天が流行っていて、『JUN SKY WALKER(S)』が演奏している横で、先輩のバンドがジュンスカと同じぐらい客を集めていたりして。

でも、近くにいたからこそ先輩たちが音楽を仕事にしているのを見て、大変そうだなって、音楽は好きだけど仕事にするとやりたくないこともやんなきゃいけないのかなって思ったんです。
だったら音楽は一生遊びでやっていけばいいや。じいさんになっても、友達集めて楽しくやれればいいやって思いました。

そこから役者をやろう、25歳まで全力で目指して、それでダメなら別の道に行こうって決めて、大学に通いながら役者を目指しました。

 

やりたいことをやって生きたい

森久保祥太郎 声優 爆走兄弟レッツ&ゴー!! ミニ四ファイター  MAJOR  茂野吾郎 NARUTO-ナルト-疾風伝 ナルト 奈良シカマル 弱虫ペダル うたの☆プリンスさまっ♪ ナレーター buzz★Vibes ヴォーカル―大学では何を勉強されたんですか?

大学は多摩美術大学の映像制作のコースに通って、萩原朔太郎のお孫さんの萩原朔美さんに映像を習いました。

モノを作るクリエイティブな仕事をしたい気持ちはあって、役者でダメだったら映像系のカメラマンや、ディレクターみたいな裏方で食っていきたいって思っていたんです。それがダメなら当時バイトをしていたガソリンスタンドの店員ですね。

やっぱり、周りにクリエイティブなことをしている先輩たちがいたからこそ、すべてがうまくいかないっていうのもわかってたんですよ。役者をやるのは賭けみたいなものだったんです。
それでも、やりたいことをやって生きたいって思いは消えなくて、失敗したらこうするって三段階ぐらい構えていました(笑)

―その頃、演劇はどんなことをやられていたんですか?

18歳になったときに、英語演劇で知り合った先輩の三島ゆたかさんと一緒に劇団『おにぎりスキッパーズ』を立ち上げました。

三島くんとは僕が小学4年生のときに出会ったのですが、彼は「いつか、本格的に演劇をやりたいね!」って言ってくれてたんですよ。

ちょうど小劇場が流行っていた頃で、三谷幸喜さんの『東京サンシャインボーイズ』、鴻上尚史さんの『第三舞台』、八嶋智人さんのいる『カムカムミニキーナ』、松尾スズキさんの『大人計画』辺りが、よくメディアに出ていたんです。ウチの劇団もあんな風に大きくするのが夢でした。

当時は、演出をやってみたかったんです。
映画『コーラスライン』で、主演のマイケル・ダグラスがステージ上から「はい、次!」って指示を出している姿を見て「あの仕事なんだろう?」って、調べたんですよね。そのときはじめて演出家って仕事を知って、やってみたいなと思ったんですよ。

劇団を立ち上げた時も、三島くんに「演出やりたい!」って言ったんです。そしたら「経験もないくせになに言ってんだ。お前演出わかってんのか?演出やりたいんだったら、とりあえず役者の経験を積め!」って言われました(笑)

 

先輩にキッカケをもらって声優の道へ

森久保祥太郎 声優 爆走兄弟レッツ&ゴー!! ミニ四ファイター  MAJOR  茂野吾郎 NARUTO-ナルト-疾風伝 ナルト 奈良シカマル 弱虫ペダル うたの☆プリンスさまっ♪ ナレーター buzz★Vibes ヴォーカル―先輩の影響を大きく受けられてるんですね

そうですね。特に、『おにぎりスキッパーズ』座長の三島くんからは影響を受けました。彼がいろんなキッカケを作ってくれたんです。

劇団立ち上げと同時に運よく劇団ごと芸能事務所に預かってもらったのですが、その事務所に入るキッカケも彼が作ってくれましたし、僕が最初の声優事務所に入るキッカケも彼が作ってくれました。彼がいないと今の僕がいないですね。

それこそまだ、ガソリンスタンドの店員をやっていたかもしれません(笑)

―先輩にキッカケをもらって声優の道を歩まれたんですね。

当時、『おにぎりスキッパーズ』の舞台がキッカケで「セリフのデモテープを録らないかって言ってるんだけどやる?」って三島くんが間を取り持ってくれたんですね。

そのときは、とにかく「役者で食うぞ!」っていう気持ちだけはあったので、声優の経験はないですし、アニメも当時はもう見てなかったんですけど、とりあえずやってみようと思ってアニメ用のデモテープを自宅で音楽用の録音機材で録りました。

BGMを流して、CMのナレーションっぽい声を入れて「こんな感じですか?」って声優事務所の方に渡したんです。
そしたら気に入ってもらえて、ちょいちょいラジオCMやTVCMのナレーションの仕事をもらうようになりました。

その頃、たまたまオーディションを受けたのがアニメデビュー作の『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』で、それも1シーズンで終わりかと思ったら、ラッキーなことに延長延長で3年間続いたんです。
21~23歳ぐらいの頃だったんですけど、その間に別のアニメの仕事もいただくようになって、芸能事務所から声優事務所に移りました。

でも、声優事務所に入っても、劇団での舞台は続けていたんです。
劇団を大きくするのが夢だったので声優で人気が出ると劇団にも人が来るぞって言われて、「声優やります!」って感じでした。

はじめは劇団を大きくするために声優の仕事をしていたんですけど、あれ?声の仕事の方が向いているのかなって思うくらい、気付いたら役者の仕事より、声の仕事のほうが多くなっていましたね(笑)

 
次回は初めてのアフレコで失敗してしまった話や苦労続きの新人時代を支えてくれた2人の先輩声優について語っていただきます。声優だけでなく歌にラジオに多彩な森久保さんですが、その原点はどこにあるのでしょうか…?どうぞ、お楽しみに!

森久保祥太郎 声優 爆走兄弟レッツ&ゴー!! ミニ四ファイター  MAJOR  茂野吾郎 NARUTO-ナルト-疾風伝 ナルト 奈良シカマル 弱虫ペダル うたの☆プリンスさまっ♪ ナレーター buzz★Vibes ヴォーカル

■Profile
森久保祥太郎 Morikubo Showtaro

2月25日、東京都生まれ。
『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』ミニ四ファイター役で声優デビュー。
代表作は『MAJOR』茂野吾郎、『NARUTO-ナルト-疾風伝』奈良シカマル役、『弱虫ペダル』巻島裕介役、『うたの☆プリンスさまっ♪』寿嶺二役など他多数。
声優以外にもナレーター、ラジオDJ、俳優など幅広く活躍。森久保祥太郎個人としてのアーティスト活動に加え、buzz★VibesのヴォーカルM.K.Bとしても活躍中。

【公式HP】http://www.vims.co.jp/morikubo/
【公式twiiter】@MorikuBorn

撮影:田形千紘
ヘアメイク:佐茂朱美
取材:舟崎泉美

※文中の社名・所属等は、取材時または更新時のものです。

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