アーティスト・燕(BugLug)インタビュー『人との出会いなど何が起きるか分からないのもバイトの大きな魅力』【俺達の仕事論vol.33】
既成の枠に囚われない柔軟な発想から生み出される独創的かつ多様性のある楽曲が魅力のBugLug(バグラグ)。今回はベーシストの燕(つばめ)さんに、初めてのバイトから、“人生が変わった”というピザ屋でのバイトなど、貴重な体験談をお伺いしました。
初めてのバイトだった薬局は、人間関係に恵まれていた
——燕さんが初めてバイトされたのはいつですか?
16歳の夏に薬局で働いたのが初めてのバイトです。当時は原チャリの免許をとったばかりだったんですけど、たまたま友だちとバイクを止めた駐車場の近くに、その薬局があって。そこでちょうど“バイトがしたい”っていう話をしていたから“目の前に貼紙もあるし、ここに電話してみたら?”ってなったんです。薬局って夏に入ると涼しいじゃないですか。だから最初は“こんな涼しいところでバイトできるならいいなぁ”っていう単純な発想だったんですけど(笑)。
——バイトをしてみてどうでしたか?
当時、時給720円だったんですけど、けっこう稼ぎました(笑)。そこは、個人経営の薬局だったんですけど、薬のほかに化粧品とか、米も売っていて、ちっちゃなスーパーみたいな感じでしたね。倉庫から米を運ぶのが重たかったくらいで、仕事は楽しかったですよ。(笑)。あとは、レジ、品出しとか。薬も種類によって、どこのコーナーにあるとか、だいたいのものは覚えました。
初めてのバイトで、人間関係に恵まれたのもラッキーでした。常連のお客さんとも仲良くなったし、店長も“バイトだから”とか、子ども扱いをせずに、他の社員の方と平等に接してくれたのはうれしかったし良い思い出です。
——初めての給料はいくらでしたか?
7万円くらいでバイクを買いました。免許はあったけど、バイク自体は友だちのを借りていたので。
——その薬局を辞めたのは?
薬局が無くなってしまったんです。“これからバイトどうしようかな”と思って街中を歩いていたら、またバイト募集の貼紙を見つけて(笑)。ピザ屋だったんですけど、そこで人生が大きく変わりました。それまで音楽の道を目指していたわけではなかったんですけど、今のバンド(BugLug)のメンバー・一樹(かずき/ギター)との出会があったんです。
一樹先輩に連れて行かれたライヴで受けた衝撃が人生を変えた
——人生の分かれ道だったんですね。
一樹は、俺が中学の時に友だちの付き合いでベースをやっていたのを知っていたらしくて“バンド好きなの?”“ベースもう弾かないの?”って声をかけてくれました。“熊谷でヴィジュアル系のバンドがライヴをやるから見にいこう”って誘われた時は、あまり興味がなかったけど、一樹は先輩だったから断りづらくて(笑)。でも、そこで衝撃をうけちゃったんですよね。ヴィジュアル系のライヴを見たのも初めてだったし、同じ年の人がヴォーカルで“すごいな、俺もやりたいな”と。そこから、ヴィジュアル系にハマっていきました。
——その後、一樹先輩とバンドを組むんですか?
一樹はもう別のバンドを組んでいたので、一樹の同級生でベースを探しているバンドを紹介してもらいました。その後、両方のバンドが解散したところで、一緒に組むようになるんです。
——ピザ屋でのバイトがなかったら、今の音楽人生はないと。
そうなんですよね。バンドがなかったら、今なにをしているのか想像もできない。
ピザ作りは“この道でプロになれるかも!?”って思うくらいハマりました
——では、話は戻りますが、ピザ屋ではどんな作業をしていましたか?
一樹は配達だったんですけど、俺はキッチンでした。キッチンでは、ピザと揚げ物のドーナツを作ったりして。ピザづくりは、まんじゅうみたいな生地から空気を抜いて、ローラーをかけて伸ばしたものに、トッピングをしていました。たまにオリジナルを作らせてもらったりして。“俺、この道でプロになれるかも!?”ってくらいの量は作っていましたね(笑)。
——そもそも貼紙があったにせよピザ屋を選んだのは?
ピザが大好きだから! バイトをすれば食べられると思ったんですよね(笑)。幸せな職場でした。
——そのピザ屋で何か失敗談があれば教えてください。
基本はキッチンだったんですけど、人手が足りない時は、たまに配達もしていて。そこで、なかなか配達先が見つけられなくて、3件くらい“はぁ?”って対応をされた時は、さすがに“どこに行ったらいいの!?”ってテンパりました。“何号棟”とか棟数の多い団地だと迷いやすいんです。
——念のため聞きますが、その電話を受けたのは?
自分ですね(笑)、自分でやらかして怒られたっていう。
——燕さんが電話をとって、配達の方が怒られる場合もあるわけですよね?
それはもう心からごめんなさいですよね。“自分がやらかしたせいだ”って思うと、ゾッとします(苦笑)。
——今でもピザは好きですか?
冬はあんまり家を出なくなるから、今でもよく頼みますね。ピザ屋でバイトしたことで、デリバリーを頼むときは、お釣りが出ないように気を使うようにはなりました。
——そのピザ屋を辞めたのはバンドが忙しくなったからですか?
いや、そこも薬局と一緒で無くなっちゃったので(苦笑)。
時間もお金もなかった下積み時代は、コンビニの深夜バイトに助けられた
——では、ピザ屋のあとは?
派遣とかコンビニですね。その頃は、まだ地元(埼玉)にいたんですけど、もうバンドを本格的に始めつつ、先輩バンドのお手伝いもしていたので、とにかく時間がなくて。東京に来て、朝から昼は先輩バンドのお手伝い、夕方は自分のバンドでスタジオに入ったりライヴをして、深夜はコンビニで働く。その繰り返しでしたね。埼玉に帰れない日は、お金がないから新宿の路上で寝たこともあります。
——時間がなくてもバイトは必要だったわけですね。
この時期が、本当に一番きつかった。そういえば、2014年に新宿アルタ前(新宿ステーションスクエア)でゲリラライヴをやって、けっこう人が集まってくれたんですけど、その時は“俺ここで寝てたことあるぜ!”って思うと感慨深かったです(笑)。
——そのコンビニでの深夜バイトを辞めたのは?
そこは髪色が問題になって、本社から指導が入ったみたいなんです。当時は、ピンク色とか、かなり派手でしたからね。店の人には親切にしてもらっていたからこそ、迷惑をかけちゃいけないと思って辞めました。
Barの面接で“顔マッカッカ”状態になったわけとは!?
——その後、上京してからはバンド1本ですか?
東京に出てきて比較的すぐにバンドが忙しくなったので、あまり長い期間ではなかったんですけど、Barで働きました。
——そこも貼紙を見て?
さすがに東京に出てきてからは、貼紙じゃなくなりましたね(笑)。それこそタウンワークで調べました。そのBarは、少し値段が高めの店でベルギービールを推していたんですけど、そこでお酒の味を知りました。
——印象に残っているエピソードはありますか?
面接でお酒が飲めるかを聞かれたんです。ベルギービールの良さを知ってほしいって、次々に持ってきてくれて。当時はそこまでお酒に強くなかったので、もう顔マッカッカですよ(笑)。でもだんだん俺もいい気分になってきちゃって“これうまいっすね”“でしょ?”って会話をしましたね。最終的にベロベロの状態で帰って“あれっ? 面接に行ったんだよな”って(笑)。絶対落ちたと思っていたら“いつから来れる?”って連絡をもらいました。賄いも美味しいパスタが出たり、当時は金髪でしたけど常連の方にも仲良くしてもらいました。ベルギービールは高いから、普段は飲まないんですけど、気分が高揚している日とかは、今でもたまに飲みます!
バイト先は潰れてしまったけど、個人経営のお店の雰囲気が好き
——お話を聞くと、人と仲良くなるのが上手だなと思うのですが、コツはあるんでしょうか?
自分から話しかけること。黙ってブスッとしていたら感じもよくないだろうし、なるべく笑顔で人と話すようにはしていました。
——全体を通して、個人経営のバイト先が多いのには理由があったんでしょうか?
薬局とピザ屋は、結局なくなってしまったんですけど、そういうお店は大事にしたいなと思うんです。地元に帰った時は先輩がやっているCDショップには今でも顔を出すし、ツアー先でも古くからある商店街の雰囲気とか、おもちゃ屋さんとか入ると“いいなぁ”って。お肉屋さんのコロッケとかも好きですね。育った環境が大きいのかなと思います。
——では、最後に印象に残っている出会いや言葉があれば。
出会いでいえば、やっぱり一樹ですよね。俺の人生を変えた男なんで(笑)。バイト先の先輩として出会ったのに、今では同じバンドのメンバーだっていうのは不思議だなと思いますよ。俺みたいに、バイト先で人生が変わることもあるんですよね。
燕(BugLug)
今年、結成7周年を迎えたBugLug(バグラグ)のベーシスト。バンドは2016年5月7日に起きたヴォーカル一聖の事故のため、ヴォーカル不在のまま4人での活動を続けていたが、翌年2017年5月7日に一聖が完全復帰し日本武道館公演を成功させる。燕(つばめ)は、賑やか、かつ華のあるパフォーマンスと、小技を効かせたプレイで魅せるベーシスト。プライベートの交友関係も幅広く、ファッションへの造詣も深い。
◆BugLug Official Site: http://buglug.jp/
◆燕 Official Twitter:@bame_ba
企画・編集:ぽっくんワールド企画 取材・文:原 千夏 撮影:河井彩美