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2018年02月01日

【アノ人の学生時代】灯台もと暮らし編集長・伊佐知美さんインタビュー「20代中盤からでも夢は叶えられる」

伊佐知美 灯台もと暮らし 編集長 ライター 旅 タウンワークマガジン

あらゆる視点から”今”を読み解き、新たなムーブメントを生み出していく、Web界隈のクリエイター達。その中でも、SNSを中心に活躍し、今の大学生にとって”気になる先輩世代”となる著名人にインタビュー。好きなことを仕事にするために、彼らはどのような道を歩んできたのか? この連載では、彼らの学生時代の話を通して夢を叶えるヒントを探っていきます。

第2回の”気になるアノ人”は、伊佐知美さん。27歳から本格的にライターとして働き始め、現在はWebメディア『灯台もと暮らし』で編集長を務める他、個人名義での執筆や司会業など幅広く活躍されています。また、2016年~2017年にかけては、海外30カ国50都市以上を旅しながらのリモートワークにも挑戦。そんな行動派な彼女に、学生時代の話から”自分らしい働き方”まで、じっくりと語ってもらいました。

幼少期、村上春樹の旅行記に憧れていた

伊佐知美 灯台もと暮らし 編集長 ライター 旅 タウンワークマガジン
――最初にライターの仕事をやりたいと思い始めたのはいつ頃だったんですか?

小学生の頃ですね。もともと読書と旅が好きだったんですが、ある時、村上春樹さんの『遠い太鼓』っていう旅行記を読んだんです。そしたら、『ノルウェイの森』を執筆しながらギリシャやイタリアを旅している様子が綴られていて。”これ、すごいやん!”ってなったのが始まりですね(笑)。

――そもそも、旅好きになったのにはどんな理由が?

私、新潟県出身ではあるんですけど、実は幼い頃から転校を繰り返していたんですよ。最初の転校も中国の上海だったので、そこで、海を越えたら違う言語・違う国があることを面白いなと思うようになりました。当時はまだ日本語の本屋さんがすごく少なかったから、図書館に行くことも多かったんですけど、写真も好きだったから雑誌もよく見ていて。そういう環境の中で、なんとなく翻訳者や編集者というものに憧れを抱いていましたね。でも、具体的に動き始めたのは、社会人になってからでした。

――小学生の時点で、今の仕事への憧れが芽生えていたとなると、高校や大学も将来を見据えて進学されたのかなと思ってしまいますが……。

当時はそこまで考えていなかったです(笑)。大学進学を決めた時も、漠然と”海外””書き物”っていう将来のイメージはあったんですけど、編集者になるためには出版社に入るしかないと思っていたし、フリーランスは危ういイメージがあったから、今のような仕事の形態は想像もつかなくて……。まずは裾野を広げようという想いから”海外に関係する学部””書き仕事に関係する学部”を目指して。最終的には、横浜市立大学の国際総合科学部に進学しました。

でも、こういうことを言うと夢を壊してしまうかもしれないんですけど……入学してからは、授業はそっちのけで昼夜問わずダンスに明け暮れていて。1・2限は出られない。3限はギリギリ行ける!みたいな生活で、とくに何か特別なことをしていた学生ではなかったです。本当にふつうの、大学生でした。

日本全国を旅しながら、バイト・ダンスに明け暮れる日々

伊佐知美 灯台もと暮らし 編集長 ライター 旅 タウンワークマガジン
――ちょっと意外でした。でも、アクティブなのは一貫しているんですね。

そうですか……?(笑)でも、ダンスをしながら、”卒業までに日本1周を制覇する”ことを目標にして、青春18切符を使って日本全国を廻ったりとか。19~20歳の時には、カナダのバンクーバーに1~2ヵ月単位で語学留学に行ったりとかはしていました。あと、バイトもめちゃくちゃたくさんしていたかな。

――どんなバイトをしていたんですか?

4年間ずっとやっていたのは、大学の近くにある個人経営の居酒屋さん。あとは、みなとみらいが近かったので、”英語を使えそう”っていう理由でホテル業務にも興味があって。ホテルの受付や宴会場の配膳、中華街の高級料理店で働いたこともありました。ただ、やっぱりダンスの練習に時間を割きたいっていう気持ちがあったので、効率よくたくさん稼げるかどうかが、私には重要なポイントでしたね。

――じゃあ、今の仕事に活きるようなバイトをあえてやったわけではないんですね。

そうなんです。でも、バイトから学んだこともいくつかあって。配膳のバイトはいつも戦場のような忙しさで、料理を出すと同時に空になった食器を下げるんですけど、”1回行ったら手ぶらで帰ってくるな!”とか、何人かで同じテーブルを片付ける時に”他の人が皿を片付けていたら、自分はフォークを片付けるとか違うことをしろ!”ってよく言われていたんですよ。そういう”周りを見て行動すること”の大切さは今の仕事に活きているなって思いますね。”遅刻をしない”とか”休む時はちゃんと連絡する”っていう基本的なルールも、バイトをする中で身につきました。

――ちなみに、ホテル業務は英語のスキルアップに繋がりましたか?

いや、そんなに(笑)。あと英語は、未だにめちゃくちゃ得意!とは言えません(笑)。

夢が諦められず、転職をして27歳でライターの道へ

伊佐知美 灯台もと暮らし 編集長 ライター 旅 タウンワークマガジン
――なるほど。まずは金融系を選んだと伺っていますが、その理由はなんでしょう?

なんでなんだろう。もちろん本命の出版社も受けましたが、全部落ちちゃったんですよね。わけあって就活を始めるのが私は遅かったから、他の就活生が黒髪でスーツ姿の中、私は未だめちゃくちゃ明るい髪色だったし、見るからに本気度も低そうだったので……。それこそ、実際に就職したカード会社も、”世界共通で使えるクレジットカードに魅力を感じたから”っていう志望理由もありつつ、最初は”給料が良さそうだからいいな!”っていう感じでしたからね。会社説明会の時にいた社員さんが面接官として現れた時は、”終わった”って思いました(笑)。それで内定をいただけたので、縁があったんでしょうね。入社してからは営業の仕事をしていました。

仕事に違和感を覚え始めたのは、入社3年目のこと。その時期に結婚をして、ハワイで挙式を挙げたんですけど、”こんなにゆったりと景色を楽しみながら暮らせるのに、なんで私は週5で会社に通って、朝から終電まで必死に頑張ってるんだ!?”って思っちゃって。1回退職をして、専業主婦を半年やった後に転職活動を始めました。

――そこから、ようやく出版関係の道に?

はい、やっと(笑)。転職と言っても、未経験の業種に正社員で就職するのは難しかったので、まずは出版社の契約社員募集に応募して。3ヵ月契約社員を経験した後、正社員になりました。

が、しかし、私が入れたのは広告部。ライターや編集をやりたかった私からすると”やりたいことと違うなぁ〜”となっちゃって(笑)。

――簡単に好きな部署に異動できるわけでもないですしね。

そう。それも知らなかったから、入ってしまえば、後々興味のある部署に移動できると思ってたんです。甘かったですね。ただ、その頃は9~18時で働いていたので、それ以外の時間を使って”Webライターの仕事をしよう!”と思い立って。Webライターという肩書きをもらって1本500円で記事を書き始めたのが、27歳の時でした。

同じ志を持つライター仲間との出会い

伊佐知美 灯台もと暮らし 編集長 ライター 旅 タウンワークマガジン
――正直なところ、1本500円ってめちゃくちゃきつくないですか?

今思うと”どうした!?”って感じる方が多い金額だとは分かるんですけど(笑)。長年書き仕事をしたいと思い続けて、ようやく辿り着いた仕事だったので、その時は仕事をもらえること自体が嬉しかったし、”そんなにお金くれるんですか!?”っていう感覚でしたね。その勢いで、1ヵ月100本記事を書くっていう修業時代に突入。半年経たないうちに1本1~2万に単価が上がりました。

――半年で1~2万!? かなりハイスピードですね!?

私がライターを始めた頃はバイラルメディア(※)が急激に増えていた時期だったので、その流行に乗れたというのが大きかったんだと思います。ラッキーですね。でも徐々に、バイラルメディアでバズる記事を生み出すことの楽しさより、”誰のために書いてるんだろう?”という気持ちのほうが大きくなっていって……。そんな時に『MATCHA』という邦日外国人向けのメディアと出会い、”ちゃんと取材をして、良いところを伝えることを実直にやっている姿勢”に強く惹かれていったのをキッカケに、『MATCHA』を中心に記事を書くようになりました。

その後、『MATCHA』は結果として離れることになるのですが、当時のメンバーと今、Waseiという会社で『灯台もと暮らし』を作っています。

※TwitterやFacebookなどSNSで拡散されることを目的としたメディア

伊佐知美 灯台もと暮らし 編集長 ライター 旅 タウンワークマガジン
――『灯台もと暮らし』で、伊佐さんは編集長という立場にいらっしゃいますね。さまざまな人の”暮らし”や”生き方”に注目したのは、なぜでしょうか?

私にはいくつか軸となる仕事があって、『灯台もと暮らし』の編集長はその1つという位置づけにはなるのですが……。このメンバーで集まって何をしていきたいか?っていう話をしたら、全員地方出身者で、夢を追って東京に来たけど、20代半ばで”あれ?”ってなった人達だったんですよ。

だから、自分達が読みたいものを作ろう、自分達が羨ましいと思う人を取材しよう、と。これからの暮らし方に注目したWebサイトなんだけれども、その答えを提示するというよりは、”こういう人もいるんだよ”っていうことをWebの中に置き手紙として置くようなものを作ろうという想いから、『灯台もと暮らし』が生まれました。

大変なことばっかりだけど、それを全て多い隠すくらい楽しい

伊佐知美 灯台もと暮らし 編集長 ライター 旅 タウンワークマガジン
――伊佐さんご自身も、家を持たない生活を2年間続けていたり、海外を旅しながらリモートワークをされていたり、かなり画期的な暮らし方をしていらっしゃいますよね。まさに仕事と生活が密接した毎日を送られていると思いますが、好きなことを仕事にするやり甲斐や苦労については、どう感じていますか?

家がなくなった1つの原因は、離婚したことだったんですけど(笑)。リモートワークに関しては、その前から国内出張が増えていて、出張先でPCで仕事をするのが当たり前になっていたし、徐々に”会社行かなくても仕事できるな”って気づいていったという流れですね。

自分自身、旅しながら働くことに憧れていたし、学生さんなどに”憧れます!”って言っていただくこともあるんですけど……この生活、正直めっちゃきついですよ!好きじゃなきゃ無理むり!(笑)

――ですよね(笑)。

SNS上ではキラキラしたところしか見えないかもしれないけど、原稿を書く時は孤独だし、会社のメンバーとミーティングする時は、時差があるから朝7時に起きなきゃいけなかったりするし、そもそも遠いから寂しいし。試行錯誤する機会が増えました。会社員ではありますけど、完全フレックス制でほぼフリーランス状態だから、自分を律することも難しいですしね。好きなことが仕事に関係するぶん、逃げ場がないし……誰の文句も言えない!

でもやっぱり、それを全て覆い隠すくらい、毎日楽しいって思うかな。人生のベースが自分の好きなことで埋まっているし、私が発信したことに反応してくれる人や、好きなことを通じて集まった仲間達がいるので、こうして続けられているのかなって思います。

■Profile
伊佐知美

1986年新潟県生まれ。横浜市立大学卒。三井住友VISAカード、講談社勤務を経てWaseiに入社。現在は、Webメディア『灯台もと暮らし』の編集長を務める他、フォトグラファー、司会業、書籍『移住女子』の出版など、多方面で活躍。家なし生活2年目。2016年~2017年にかけては、海外30カ国50都市以上を旅しながらのリモートワークにも挑戦し、新たな暮らし方を提案している。

編集:ぽっくんワールド企画 撮影:河井彩美 取材・文:斉藤碧