RUKA(NIGHTMARE、LSN)インタビュー『仕事のあとの休憩が心地よいって知ったバイト時代』 【俺達の仕事論vol.3】
NIGHTMAREのドラマーでありリーダーRUKA(ルカ)。2016年4月からはバンドと並行してソロプロジェクト“LSN”も始動。NIGHTMARE活動休止中の現在も勢力的に活動中。ジャイアン的(?)キャラクターからなのか、RUKAがバイトをしているイメージが湧かないが、じつは数多くのバイトを経験している働き者。学生の頃のアルバイトを中心にお話を伺いました。
俺のバイトと言えば“訪問販売”っていうイメージなのかな?
ーーアルバイトにまつわる思い出を教えてください。
“RUKAがしたバイトと言えば訪問販売”っていうイメージがいまだに強いんじゃないかな? NIGHTMAREで『Hey,Hey,Hey』(ダウンタウンが司会をしていた音楽番組)に出演したときに、その話をしたことがあったから、ファンの人たちはよく憶えていると思う。
ーー訪問販売の仕事はどのくらい続けたんですか?
訳あってすぐ辞めました。どうしても続けられない理由があったんだけど、それがどんなことかは今でも秘密(笑)。
ーーでは、他にはどんなアルバイト経験がありますか?
鬼のようにバイトをしていましたっていう人と比べたら、俺の場合そこまでいろいろな仕事を経験しているわけではないけど、求人雑誌にはよくお世話になったな。まずは雑誌で求人広告をみて、電話をかけて、面接に行くっていうのを俺もやっていました。
ーー初めて体験したアルバイトは覚えていますか?
どっちが先だったかな? 今となってはうろ覚えだけど、高校時代に春休みとか夏休みの時だけやった引越のバイトか、ケンタッキーフライドチキンでの宅配のどっちか。
ーー引越のバイトは体力的な面でしんどそうですね?
確かに、慣れるまではちょっとしんどかった。でも、引越の仕事って、荷物が少なかったりすると、すごく早く終わっちゃうこともあって。そういう場合は、朝8時半からスタートしても、午前10時くらいに終わったり。それでも日給として普段と同じだけのバイト代をもらえてたから、そういう時は“やった、ラッキー!”って(笑)。
ただ、逆にあまりにも早く仕事が終わり過ぎちゃうと、別のもっと忙しい現場に助けに行って、そのまま夜10時くらいまでってこともあったから、勤務時間はけっこう日によって波があった気がする。
初めて月給をもらった時は重みを感じた
ーーそもそも、引越の仕事を選んだのは?
学校が休みの時にだけ出来るバイトが、当時住んでいた仙台では、あんまり無かった気がする。しかも、その頃の俺からすると日払いっていうのも重要な要素で。要は、その頃のバイトって、生活の為というよりは、単に遊ぶカネ欲しさでやっていた仕事だから、働いたその日にすぐにお金をもらえるという点は非常に魅力だった(笑)。
ーー初めての“賃金”を手にしたときの感動は?
それが意外と感動とかはなくて……。なんなら、その日のうちに全部パーッと無駄づかいしちゃった(苦笑)。いわゆる、“賃金のありがたみ”みたいなものをちゃんと感じられるようになったのは、そのもっと後の“日給”じゃなくて“月給”として、ある程度まとまったバイト代をもらうようになってからかな。
ーー初めての月給は、どの仕事でしたか?
ケンタッキーの宅配だった。それまでは日給で基本的に数千円単位のお金しか受け取ったことがなかったけど、それが月給となると額がいきなり万単位になってきて。さすがに、それは重みを感じたな。……っていうことは、ケンタッキーの方が引越より後だね。今やっと思い出した(笑)。
ーーちなみに、ケンタッキーはデリバリーのみですか?
そう。俺、宅配の仕事はけっこう好きで、弁当屋でもやってたことがあるんだよね。デリバリーの仕事って、基本ひとりでの行動だから接客的な要素もそんなに多くないし、マイペースにやれるっていう点で、自分には向いてたみたい。
ーー自分の仕事を淡々と遂行するところが良かったんですね。
もちろん雨の日も雪の日も配達をしていたけど、デリバリー用の原付ってちゃんと屋根もついているし、俺は全然つらくなかった。確か、ケンタッキーは半年くらいはやっていたと思う。
番長く続いたのは引越のバイト。当時の髪の毛はピンク
ーー今までで一番長く続いたバイトは何でしたか?
18歳を過ぎた頃ぐらいかな……バンドをやるための資金が欲しくて、また始めた引越の仕事ですね。そのほかにも、サウナでタオルをたたんだり掃除をしたりする裏方のバイトとか、ポリッシャーっていう機械を使うビルの床清掃、バンドマン的に定番の土木工事もやったけど、結果的には引越の仕事が一番長かった。
ーーポリッシャーを使っての床清掃や、土木工事は体力だけでなく技術も必要そうですね。
確かに、あの丸い大きなブラシがウィーンって回るポリッシャーの操作は、最初めっちゃ難しかった。あれって、ハンドルで左右を選べるわけじゃなくて、右に行きたいときはハンドルを上げて、左に行きたいときはハンドルを自分側の手前に倒すんだよね。
ーーそうなんですね。ビル清掃だと窓拭きとかも仕事にありそうですけど。
俺は床のみ。高いところが怖くてダメだから、面接の時に“窓拭きは出来ません”って最初にちゃんと説明しておいた(笑)。
ーー土木工事はどんな作業がありましたか?
足場づくりとか、エレベーターの基礎づくりをやってた。特に、左官っていってさ、コテを使ってコンクリートを綺麗にならす仕事があるんだけど、あれは楽しかった。いかにテカテカに仕上げるかを無心になってやってたよね(笑)。コテをスーッと引くんじゃなくて、上から垂直に何度もペタペタペタってやるの。それも巧い職人さんがやると全然違うんだよなぁ。すごく優しい方で、どうしてこうなるかとかも教えてもらった。
ーーちゃんと理論的なところまで教えてくれるんですね。
いや、それは自分で不思議だと思ったから直接聞いたの。“どうして、塗るようにするんじゃなくて上からペタペタした方が良いんですか?”って。そしたら、説明をしてくれて、それは今でも覚えてる。あれは勉強になったな。曲とかって、ずっと作り続けてても出来ないときがあるじゃない。その点、土木工事は、やったらやった分だけ作業が目に見えて進むっていうのが良いよね(笑)。
ーーなるほど(笑)。ちょっと話を戻しますが、18歳で改めて引越屋を選んだのは、どうしてだったんですか?
髪の毛の色とか長さについて、とくに何も言われない仕事だからっていうのが大きかった。帽子をかぶって、髪の毛が隠れれば一応どんな髪型や色でもOKだったから。
ーーそう聞くと、その頃のRUKAさんがどんな風貌だったか気になりますね。
髪の毛はピンク色 (笑)。
ーー当時、引越のバイトで身に着けた技はありますか?
しっかり、キレイにロープを結ぶこと。でも、そのやり方はもう忘れちゃった(笑)。でも、大きな家具を動かすとき、下にいらない毛布を敷いて引っ張るとかは自分の引越の時にも役立ちました。
ーーアルバイト経験の中で得られたことはありますか?
仕事をした後の煙草とコーヒーが美味しい、っていうことかな。
ーー労働のあとの一服というやつですか(笑)。それだけ、仕事を一生懸命にしていたってことなんでしょうね。
ほんと、仕事の後の一休みってこんなにも心地よいものなんだ!っていうことが、バイトをして本当の意味で分かった気がする。だから働くっていうこと自体は全然キライじゃなかった。
今も昔も変わらない。俺は“遊ぶように働いている”からね
ーーアルバイトは、どんな意味を持つものだったと思いますか?
客観的に振り返ってみると、バイトをしていた頃の自分と、今こうして音楽をやっている自分は、何も変わってないと思う。言葉の表現としてはあんまり良くないかもしれないけど、当時も今も俺は“遊ぶように働いている”からね。もし自分に出来ないことがあればその時はハッキリ“それは出来ません”って言う姿勢も、当時から変わらないですね。
ーーやりたいことだけをやるということとは違うんですよね?
そうそう。もちろんイヤなこともやるよ。でも“何でもやります!”って最初に言っておいて“実は出来ませんでした……”っていうよりは、出来ないことは出来ないって最初に表明しておく方が、俺は良いんじゃないかなと思うからね。そのときできなくても後からできるようになることだってあるし。音楽を始めてからも、全くそこは変わらないな。
RUKA(NIGHTMARE)
ヴィジュアルロックの雄“NIGHTMARE”のドラマーでありメインコンポーザー。2006年には人気アニメ「デスノート」の主題歌で、ヒットした「the World」もRUKAの作詞・作曲である。NIGHTMAREの活動は2016年11月23日の東京体育館公演「NOT THE END」をもって一時休止。2017年4月よりソロプロジェクト“LSN”として本格始動。4月19日にはLSN名義として初の「≠(Not Equal / ノットイコール)」をリリースする。
◆LSN-OFFICIAL SITE:http://lsn.tokyo/
◆Official Twitter:@ruka_nightmare
企画・編集:ぽっくんワールド企画 取材・文:杉江由紀 撮影:外林健太(Rim) ヘアメイク:芋田モトキ (Mk.9)